「山内(さんない)」とは「たたら製鉄」に従事する人達の職場と住んでいた場所を総称して呼ぶ言葉。
ここ「菅谷たたら山内」は、たたら製鉄の施設と、かつて従事していた人達の集落が残る日本で唯一の場所だそうです。
「たたら製鉄」の中心となるのは炉が置かれた「高殿(たかどの)」
中に入って見学することができ、ガイドの方が詳しく説明をしてくださいましたが、私は人に説明できるほど理解できてません(^◇^;)
ネットなどでも「たたら製鉄」について、詳しく書かれたものがありますので、興味のある方はそちらを調べてもらうとして・・・
ここでは、撮ってきた写真を並べつつ、観光気分でざざっと・・・(と逃げる)(;´▽`A``
これが高殿の内部で、中央に置かれているのが炉。
粘土で作られていて、この土も出来る鋼の重要なポイントとなるようです。
昔は風通しのいい露天で場所を転々として行われていた「野だたら」が、近世になって、このような「永代たたら」として場所を定めて行われるようになりました。
地上に見えてるのは、これだけですが、図解にすると、下図のような大規模な地下構造があり、作られる鋼の品質を支えていたようですね。(図は鉄の道文化圏HPより)
この炉の中に、たたら製鉄の技師長格の「村下(むらげ)」と副技師長格の「炭坂(すみさか)」が両側から砂鉄と木炭の投入を繰り返し、鋼が作られていきます。
炉の両側にあるのは風を送り込む装置で、江戸時代には番子(ばんこ)と呼ばれる作業者が足踏みふいごで風を送っていましたが、近代には水車の力を利用した仕組みに変わったようですね。
炉から立ち上がる炎のため、高殿の屋根は高く、熱を逃がす通気窓が設けられています。
村下は、風を送るパイプ(木呂)の位置を決め、火の状態や炉の中の状態を確認しながら、砂鉄や木炭の投入をしていくわけですが、その作業は全て一子相伝の勘と経験で行われたということ。
そんな作業を3昼夜、不眠不休で続けて炉の中に出来たものが「鉧(けら)」と呼ばれる塊。
これを炉を壊して取り出し(炉は毎回壊したんですね)、外にある人工池で冷やして、大どう場(写真下、右側の建物)に運びこみ、大きな分銅を落として小さく砕いたそうです。
ちなみに、大どう場の側に立っているのは桂の木で、たたらの神様・金屋子神(かなやごかみ)が降りてきたとされる御神木です。
大どう場で砕かれた鉧は、今度は元小屋の作業場に運ばれ、さらに細かく砕かれ分別されます。
こうして取り出された最良品が「玉鋼(たまはがね)」(写真は「さんち~工芸と探訪~」より)
現代技術を駆使しても作り出せない高品質の鋼で、特に日本刀作りには欠かせない物だということです。
さて、この元小屋ですが、山内の管理人である番頭の住居兼事務所でした。
そこに作業場が併設されていたのは監視のためだったらしく、住居スペースからは作業場がよく見えるようになっています。
窓からは高殿もよく見えてますね。
山内には、実に機能的に各施設が配置されていたようです。
ところで、菅谷たたら山内を流れる川が集落を抜けた下流は「龍宮渓谷」と呼ばれる、ちょっとした渓谷となっています。
この地形も重要だったようで、この谷川を吹き上げてくる風が高殿を吹き抜け、炉の火にも良い状態を作っていたということ。
たたら製鉄には「一土、二風、三村下」という言葉があるそうですが、ここ菅谷たたら山内はその条件を満たしていたようですね。