北海道からCAを増やそう!

企画者のこん みつこです。

 

昨日は面接やESシートによくでる質問

「今まで人のために考え行動したことはありますか?」でした

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本日はAIR DOについてです。

GS推薦枠の面接試験やまもなくCAの面接試験も始まります。

AIR DOってどのような会社でしょか?

 

こちら北海道はAIR DOの地元

 

 

本日はAIR DOの創設の歴史と創造者たちの思いをお伝えします。

 

 

 

これからお話することは、沢山のブログを書かれている航空会社出身の方でも、

ほとんどご存じない、AIR DO創設の歴史です。

 

では、、、

 

 

 私が昭和63年にエアライン業界に勤め始め、国内航空業界では様々な事が

ありました。一つは航空運賃の自由化でした。 

 

 

当時は北海道民に関して言うと、内地(ないちと読みます)、つまり本州に行くには

飛行機に乗るか、青函連絡船に乗り、津軽海峡を渡るのが主でした。

(のちに青函トンネルは出来上がりJRでも行けるようになりますが。)

 青函連絡船⤵️

 

つまり、空の旅は贅沢であり、ビジネスとして使うのも今のようにはいきませんでした。

経費がかさみます。

 

 

 

当時の大手の航空会社は3社

1日本航空 

2全日空

3東亜国内航空(後に日本エアシステム⇒日本航空と合併)でした。

片道航空運賃は23850円

皆さんにとってこの運賃はどう思いますか?

現代のように様々な割引運賃はない時代です。

 

 

しかも、 航空運賃は国の認可制で、現在のように

オープンスカイ(航空自由化)として

運賃を自由に決められませんでした。 

 

 

航空会社にとって羽田ー新千歳はドル箱路線だったのです。

 

しかし、アメリカで始まったオープンスカイ政策(航空自由化)の波を止めることは

できず、日本も1995年に幅運賃制度を導入しました。

 

 

 

一定の範囲内で運賃引き下げ可能な仕組みです。

道民はこれで、少しは内地(本州)に行けるのが楽になると思っていました。

 

 

ところが、航空3社 は実質航空運賃の値上げに踏み切りましたムキームキームキー

 

 

 

いやー当時を思い出しますが、びっくりしました。

因みに、私はJALに勤めていたので、会社自体には利益がもたらされる訳で、

気持ちはびみょーショボーンでした。

 

 

困るのは、道内の企業です。

航空運賃が高いのは出張旅費としての

経費がかさみます。

 

 

この、値下げのはずが値上げになったことに対する道民の怒りが

AIR DO創設の原点です。

 

 

 

 「道民の手で運賃を下げたい👊

北海道再生の起爆剤にしたい👊」

こんな思いで、エアライン業界とは無関係の素人な道内の企業家が集まり、

企画会社が設立され、運営されました。

 

 

役員には

地元ではとても有名な

田中メディカルグループ理事長

田中 良治 氏

 

 

 

養鶏会社(現在の北海スターチック)社長 浜田 輝男 氏

AIR DO(北海道国際航空株式会社)社長 

などが中心に

1996年に企画会社を設立。これが後のAIR DOである、

北海道国際航空株式会社

です。

 

素人集団の企画は沢山の紆余曲折を経て、「道民のため」という熱い情熱

だけで大手より3割以上安い16000円で

1日3往復するAIR DOの便が大空を飛ぶことになりました。

 

 

しかし、現実は厳しい😱😱😱

大手が襲いかかります。

 

それについては、

長くなるのでまた明日😁

 

 

AIR DOをお受けになる皆さん。

熱い情熱、やる気を見せましょう。

皆さんの人柄を表す事を忘れずに❗️

 

昨年は、皆さんの人柄を知るための質問が多く、

しかも、時間も長く時間が余って何を話していいか

困ったというレポートが多かったです。

 

形にハマらず、伝える努力をしましょう!

最後の最後まで諦めずに行きましょうね。

 

 

成功するまで諦めなければ、

内定は取れます。

 

 

一緒に頑張りましょう。