【なぜ、説明ができないのだろうか?】 | 土木技術者(もどき?)のブレイクタイム

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土木技術者(的な)人物のブログです。ブレイクタイムを過ごしているような気分で書いています。個人でも仕事ができるように、ただいま準備中(やるかどうかはまだ未定)


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私は、説明がめちゃくちゃ下手くそだ。センスの欠片もない。マイナスなセンスであればまだしも、私の場合はゼロだ。だから、何をかけてもゼロになる。

よくあるのが、自分で作った資料なのに、自分で説明できないことだ。自分で作った資料なのだから、自分が説明するのが当たり前だし、自然なこと。けれど、その当たり前のことができないのだ。


なんでなんだろう?


この理由が、ずーっとわからない。全く検討もつかない。

自分で作ったものなんだから、何かしらのストーリーがあるはずだし、何かしらの根拠とか背景も把握しているはず。根拠があって、何かの結果とプロセスがある。綺麗でないかもしれないけど、流れがある。

なのに、まったく説明できない。どこから何を説明すればいいのか、イメージできない。


なんでなんだろう?


最近、一つの仮説が浮かんできた。


「問いを立てて答えを見つける習慣がない」
からではないだろうか。



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問いを立てるとはどういうことか。

「この視点から見ると、この部分はこれでいいか?」
「全体のバランスが良く無いのでは?」
「手順を変えると、ここはすんなりいきそうだけど、次のステップに影響が出ないか?」

といった、「?(クエスチョンマーク)」が浮かぶかどうか、という認識でいる。

つまり、
「疑いを持って見る」
ことだ。

これでいい、と思うのはいいんだけど、そこで少し立ち止まって、
「ほんとにこれでいいのか?」
「もっといい方法とかやり方はないの?」
「この順番入れ替えたら、もっと効率よくなるんじゃない?」
とか、なんでもいいから、間違ってもいいから、疑問を持つこと。

問いを立てるとは、疑いを持つことではないだろうか?

何も、人を疑う必要はない。問い詰める必要もない。

問いを立てるとは
「ほんとにこれで大丈夫?」
といった、何かしらの疑問を立てることを意味するのでないか。


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ふと、省みてみると、説明だけじゃなく資料作成も下手くそだ。どう説明するのかをイメージしてないので、ストーリー立てが無い。水の流れ道が無い。なので、そこかしこで川の流れに綻びがあり、そこかしこで水が溢れ出て混乱してしまう。

水の道が無いのだから、そりゃそうなるよね、という当然のこと。

説明をするにも、ストーリーがあり、相手にとって「そういうことね」とわかってもらえるような流れになっているかどうか。そして、そのために必要な項目が盛り込まれているかどうか。

肉だけを出されても、そんなの食えないわけで。食べられるようにするために、必要な手順を踏み、必要な項目をやり、「食べられる」状態になって、はじめて相手に出せる。

説明も同じこと。

わかってもらえるように、必要な手順を踏み、必要な項目をやり、それをいれて、「わかる」状態になって、はじめて相手に出せる。


なんて、言葉にすると簡単に見えるんだけど、いざやってみると、なかなか思うようにいかないのも事実。そこは、場数が必要だ。

まずは、問いを立てる、疑いを持つ。問いを立てる習慣をつける。
ほんとにこれでいいのか?と。

その習慣づけがあるだけでも、大きく違ってくるのではないだろうか。


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