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時々、知り合いの方が主宰する勉強会に参加させていただいている。その勉強会のキーワードの一つが、「しくじり」だ。お話を聞いているぶんには、その方がしくじっているという感覚はないのだが、ご本人からするとしくじりなのだという。
紆余曲折・浮き沈み等あり、その方は今は、某企業の役員に就かれている。事業部長として事業をリードする立場におられる。
その方は、以前にも役員をされたり社長を務められたこともある方である。しかし、「しくじり」により解任され、平社員として、社長として働いていた会社に勤務することとなった。そこから這い上がり、今は役員をされている。
その方からいろいろお話を伺う中でいつも思うことなのだが、
「なぜ、そこまでイメージできるのだろうか」
と思ってしまう。なかなか、そこまでイメージできない、思い描けないのが実情なのだが、なぜ、そこまでイメージできるのだろうか、ということを思わざるを得ないような感じすらしている。
おそらく、「しくじり」を経験されているから、いろいろな視点で、下へ下へと深堀っていけるのではないか、というのが、今の私(金山)の勝手な?答えである。失敗などを経験しながら、人は次へ向かう。そして次はうまくいくこともあれば、また失敗したりしくじることもある。たとえまたしくじったとしても、それを糧にすれば次へ向かう道が拓ける。
しくじりは明日への扉なのではないだろうか。
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ちゃんと仕事していても、まじめに働いていても、うまくいかないときはある。私(金山)も、何をやってもうまくいかないときはあった。
社会人3年目のとき、新潟県中越地震が発生し、その災害復旧の業務に携わった。そのときは、いろいろ考えていろいろやって発注者に協議・相談しにいくと、いろいろ怒られ、叱られ、呆れられ・・・ということばかりだった。しくじりまくっていた。
何をやってもうまくいかないというのを初めて味わった。
そのときは、上司・先輩・後輩の皆様にいろいろ手助けいただき、他社の方々からいろいろ教えていただきながらなんとか業務を遂行できた。
その他、熊本での仕事も同じようなもので、何をやってもうまくいかなかった。要求水準になかなか応えられない自分が何とももどかしく、恥ずかしく、情けない日々だった。自分の能力不足が顕著になった時期でもあり、余計に情けなく感じた。もがけばもがくほど泥沼にハマった。しくじりまくっていた。
けれども、「しくじった」という日々は、後になって貴重な財産になるということを、後々実感することが多かった。熊本での仕事を離れ、戻ってきてからの日々は、熊本に赴任する前と比べ視界が違っているのだ。少しだけだが、「今のうちにこれやっておいた方がいいかも」ということを、描けることがあった。
新潟県中越地震の災害復旧業務にしても、その後に携わった仕事で、見える景色が地震前と異なっていた。大きな成長ができていたかはわからないが、ほんの少し前に足を踏み出せていれたのかもしれない。
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しくじりや失敗、過ちというのは、そのときは辛い。けれども少し時間が経過して後になっていくと、自分自身の財産になっていく。すべてが財産になっていくわけではないだろうけど、少なくとも肥やしにはなる。
ある人の言葉が、頭を駆け巡っている。
自分に降りかかることは、すべてが肥やしになる。
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