後54分で、2008年が終わる。
すごく成長した1年だった。
生まれた想いは。
また、計り知れない。
深く思い入れのある16歳になり、私の中の何かが変化を告げた。
自分は一生16歳のままなんじゃないか、という感じとか。
成長しないとかそういう意味じゃなくて、本当に何かが。いくらでも成長はできるし。
あの子の歳が、16歳だからだ。
同じ年齢になったんだ。
今気づいたけど、昔からあの子の年齢だけ変わってない。
心は誰より成長してるのにね。
2008年。たとえば1ページ前の記事に書いたこと全て。
これは最も大きい成長だった。そして今、自分自身を誇らしく思う気持ち。
とても書ききれない、たくさんの、気づいたこと。
世界は深い。不思議だ。
不思議で、当たり前で、偶然で、運命。
呪いで、祝福で、暗くて、明るくて。
絶望があるから。
希望があった。
『生きる意味なんて、本当は誰にもわからないのかもしれない。』
『幸せを感じることこそ、私達の生きる意味だった。』
幸せを感じられることこそ、人の、私達の生きる喜びだった。
『生きる意味なんて、本当は誰にもわからないのかもしれない。』
そこで、止まらないで。実はまだまだ浅い。
予想なんて到底及ばないくらい、深い深い続きがあるんだよ。
予想なんて及ばないから、人はそれに気づかない。
予想なんて及ばないから、ひょうたんから駒のように希望が見つかったりする。
たとえば。
希望は絶望であり、絶望は希望である。
この意味を、わかっているひとはどのくらいいるだろう。
絶望という言葉が存在するのは、絶望ではない存在があったから。
絶望があるということは、希望があるということ。
しかもそれだけでも、いろいろな見方ができる。
マイナスに考えれば。希望が深いほど、失った時の絶望は大きい。
希望があるということは、どうしても絶望もある。
信じるなら、覚悟しなければならないとか。何度克服しても、終わりが無いとか。
プラスに考えれば。絶望が深いほど、克服したときに大きな強さを得られる。
そんなふうに、反する二つのものは同時に存在する。
闇があるなら、必ず光は在れる。
闇が無かったら、人は光に気づかないから。という場合もたくさんあるし。
見上げた夜空が真っ黒に曇っていたら、自分の心に光を灯せばいい。
星を隠してしまう雲も曇りも、黒も闇もすべて許して。
自分がただ一点の光になればいい。
優しくいればいい。
大体闇とか光とか、勝手な概念だということに、人は全く気付かない。
理性を持ったくせに、暗いとか闇とか決め付けて、あれは良いとか良くないとか言って。
心が感じるのは仕方が無い。だけどその後、理性で考えることはできるはず。
認めることも許すことも。どうして人は、ある程度いったら止まってしまう。
弱いとか強いとか。
誰かが言う「強い」が、誰かにとっての「強い」だとは限らないのに。
あなたと私が積み上げてきたものは違うんだから。
強さも弱さも絶望も希望も、幸せも何もかも、文字通り人の数ほど在るのに。
私より長く生きてるのに、私より気付いてない人達が多すぎる。
それがその人の最善だったらいい。同じ人なんていないんだから。
だけどあまりにも、深く考えない人が多すぎる。最善とは思えない。
私にとって軽薄と短慮は、深くめぐりめぐって人の痛みを知らないことでもあるから。
『心の闇』とか。闇の意味をわかってない。勝手に作り出した概念だ。
闇を否定するのではなく、許して、受け入れた上で、どんな幸せに繋げられるか。
弱さを切り捨てるなんて強さじゃない。弱さを強さに変えられることが強いこと。
それにも人は気付かない。
ほかにもずっと・・・
と、いうふうに。
絶望と希望についてちょっと考えただけで、これだけの結論を導き出せる。少なすぎるくらいだ。
どこまでも繋がっている。こんなふうに、
一つが生まれようとすれば、二つ以上のものが必ず無限に生まれることを。
そしてそれを生むのは、人の心だということを。
あ、年明けちゃった。
相手に対して、自分がどうするか。
ぜんぶ自分次第だから。
花が咲いてるのを見て、『きれい』で終わりにするか。
いろいろ考えてみるか。人の心次第で、なんでも生み出せるから。
希望は、人の心が無限に生み出せるものだから。
今書いたことは、私の心のほんの一部でしかない。
もっともっともっともっと、たくさんの素晴らしい想いがある。
人はどれだけ幸せに気付けるか。
どれだけ強くなれるか。
素晴らしい成長ができた、一年だった。
5分前より2009年。
もっともっと気付きたい。
もっともっと、生きてゆきたい。