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1995年1月17日当時の私の状況

 当時の私は肢体不自由特別支援学校で、主としてAAC(拡大代替コミュニケーション)に取り組んでおり、校長は若い頃に「意思伝達装置」を作ろうとしたこともあり、私のやろうとしていることがよく理解でき、私を信頼してかなりの仕事を任せて下さっていました。周囲の教師にも、私が実践をお見せし、研修を組織し、ようやく理解者が増えかけていたところかな。でもまだまだ理解して頂けないなあ、という思いはありました。

 そして、もともとのうつの傾向もあり、過労気味でもあったと思うのですが、学校を辞めたい、というようなことはよく言っていました。当時、夜、学校を閉めて一緒に出る時に校長にこんなことを話したのを憶えています。

「いや~学校辞めたいって妻に言いましたらね、妻は『あんたの好きにしたらええ』言うんですわ。そう言われたら、何かすぐに辞めるいうわけにもいきませんわ」

 1995年1月17日はデパートで開かれる書道展に子どもたちの作品を持って行く必要がありました。しかし、気分は重く、デパートまで行けるだろうか、と思っていました。

 しかし、早朝の地震で、私の中の何かスイッチが入ったような感じがありました。何も考えずに動く、みたいな。

1995年1月17日(火曜日)朝2

 すぐに家に戻り、どうしようと考えてまず校長に電話しました。やっぱり「組織」の人間だったのだなあ、と思います。

 停電し、断水していましたが、電話は通じました。

私「今の何なんでしょう?」
長「ワシにもわからん」
私「私、どうしたらいいんでしょう?」
長「わからん。ワシもすぐに学校へ行く」
私「じゃあ、私もとにかく学校へ行きます」

 そして次にしようとしたのが、パソコンを取り出すこと。当時、インターネットは見えるようにはしていたと思うのですが、まだそれほど利用していなかったと思います。パソコン通信の障害児教育フォーラムでは熱心にやりとりしていました。そこで一報を送ろうとパソコンを、本の散乱した中から探り当てました。起動し、つないだ所問題なくつなげました。(つまり近所のアクセスポイントがまだ生きていた)
 
 障害児教育フォーラムには当たり前ですが地震に関することを書く会議室(掲示板)はありません。そこで「お休み時間」というフリートークの会議室に書き込むことにしました。


kingstone すごい地震
(18) 95/01/17 06:31 コメント数:3

タンスがたおれてきて、私の肩で止まった。
それで長男や次男が助かりました。
昨晩は次男が泣きやまなかったのです。
きっと次男もなまず能力があるのでしょう。

みんなだいじょうぶか???


 この時点では「地震」と分かっていますね。電池式ラジオが手元にあったので、それを聞いていたのかな?

 この後、この「お休み時間」は、みんなのバカ話の場であったのが、臨時震災会議室の様相を呈します。これをアップした後、私はすぐ家を出て徒歩で学校へ向かいます。車で行ってはいけない、と強く思っていたわけではなく、何となく、です。

 空は薄暗いままだったと思います。信号は全て消えていて、私の家の周囲の道には車は一台も見えた記憶がありません。峠に向かって歩いていると雪が舞っていました。寒いけれど、雪がふるほどではないし、空もそんな感じではないし、変だなあ、と思っていました。後で考えるとこれは長田の方から飛んで来た灰ですね。

 峠に立った時、繁華街の方を見ると煙が立ち上っていたのが見えたような記憶があります。少し記憶が定かではないところがあり、後の報道とごっちゃになっている可能性はあるのですが、峠の上からしばらく見ていたような記憶があるのです。



1995年1月17日(火曜日)朝1

 1995年1月17日(火曜日)朝

 突然の音で目が醒めました。

 真っ暗な中、水平線の向こうから何かがやってくるような音。ゴーッと、ものすごく広く波が覆い被さってくるような音。いったい何だ、何だ、という感じ。ただ寝て聞いていました。

 その音が大きくなると、ガタンゴトンとそこらじゅうが動き出しました。揺れた、という感じではなく、動いた、という感じ。ものすごい音もしていました。

 正直なところ私は、「第三次世界大戦だ!核ミサイルで攻撃されたんだ!(いったいどこからやねん?何でそんなこと思ったんだろう)いや世界の終わりか!」と思いました。

 で、ガタンという大きな音とともに右肩に痛み。180cmほどのタンスが倒れて来たのでした。長男は私の肩で止まったタンスと布団の間の空間にいて何ごともなく眠っていました。どのくらいの時間揺れていたのかはわかりません。妻が

「動かれへん!動かれへん!」

と叫んでいました。私は、とりあえず起きあがり
両手でタンスを持ち上げ、妻と長男を助け出しました。
・・・

 次男のほうを見ると、(と言っても明かりは無かった)そちらは上下2段のタンスの上段が、次男の数cm横に落ちてきていました。おかげで危うく長男も次男も無傷ですみました。

 この話をするたびに親戚からは「亡くなったお父さんが守ってくれたんやなあ」と言われました。

 家の中は電灯の破片が散らばっており、素足では歩けない状態でした。たぶん室内は(ふだんは素足ですが)スリッパを履いて移動したと思います。

 別の部屋で眠っていた母は、当時リューマチでもう体が動きにくくなってきていましたが、咄嗟に家中の開口部を開けてまわってました。そんなことは私は気がつかないぞ。

 家族を安全そうな台所に避難させ、表に出てみました。まだ暗かったです。隣近所で玄関のところに人が出て来て立っていました。その人たちに

「何があったんでしょう?」

と尋ねましたが、みんな首を振って沈黙していました。