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1995年1月17日(火曜日)3

 学校に到着すると物が散乱し、冷暖房のための配管が壊れたのか、あちらこちらが水浸しでした。もちろん暖房は効きません。この状態では命をつなぐこと自体が戦いの子も多い私の学校では授業を受けることは不可能です。通学バスは走ることができず、また公共交通機関もストップし、私は見なかったのですが各所で大渋滞しているとのことでした。

 とにかく片づけを始め、水を拭き取ることしました。しかしこの時点で私は片腕が痛くて動かなくなっていました。仕方がないのでもう一方の腕だけで物を拾い片づけていきました。

 多くの物は落ちましたが、パソコン室のパソコンはすぐに教室で使用できるように、私が作ったアングルで作ったの可動式の台に載せていたので、そのまま揺れ動き、落下することが無かったようです。ちなみにこの時点では全ては私の私物だったと思います。

 そうしているうちに休校は決定されました。その後の対応については、休校のことも含めとにかく保護者に電話連絡しよう、ということになりました。この時点では死亡した子はいませんでした。

 私はお昼に学校を退出させてもらったようです。



kingstone 今、呉からです。
(18) 95/01/17 13:05

くっそーー、どことも入れません。(アクセスポイントが近辺ではつながらない、ということ。火事で焼け落ちたのと、混んでいたのと両方あると思います)
やっと呉から入ることができました。

実はうちの長男が昨日からもどしてまして、それでわりと家族がよりそって眠るようになってたので助かったのです。これがいつもの通りの寝かただったら・・・

今、実家です。タコ部屋の方を見に歩いて1時間程かけていったのですが、あちらも何とか被害はなかったようです。(もちろん部屋はむちゃくちゃ)

学校はボイラーが壊れたとかでいろんなところが水びたしでした。
近所から避難してきてはる方もおられました。
応急のことだけして、息子たちが気になったので、帰らせてもらいました。
まだ余震が続いています。

では・・・・

○○さん、□□さん、△△さん、みんな大丈夫???


kingstone 無事を確認
(18) 95/01/17 18:20

○○さんがご無事だということはLEOさんからの電話で知りました。
電話はうまくつながったり、つながらなかったりします。
□□さんもご無事なようでした。

△△さん、AAさん、BBさんなんかはどうなんだろう。

1995年1月17日当時の私の状況

 当時の私は肢体不自由特別支援学校で、主としてAAC(拡大代替コミュニケーション)に取り組んでおり、校長は若い頃に「意思伝達装置」を作ろうとしたこともあり、私のやろうとしていることがよく理解でき、私を信頼してかなりの仕事を任せて下さっていました。周囲の教師にも、私が実践をお見せし、研修を組織し、ようやく理解者が増えかけていたところかな。でもまだまだ理解して頂けないなあ、という思いはありました。

 そして、もともとのうつの傾向もあり、過労気味でもあったと思うのですが、学校を辞めたい、というようなことはよく言っていました。当時、夜、学校を閉めて一緒に出る時に校長にこんなことを話したのを憶えています。

「いや~学校辞めたいって妻に言いましたらね、妻は『あんたの好きにしたらええ』言うんですわ。そう言われたら、何かすぐに辞めるいうわけにもいきませんわ」

 1995年1月17日はデパートで開かれる書道展に子どもたちの作品を持って行く必要がありました。しかし、気分は重く、デパートまで行けるだろうか、と思っていました。

 しかし、早朝の地震で、私の中の何かスイッチが入ったような感じがありました。何も考えずに動く、みたいな。

1995年1月17日(火曜日)朝2

 すぐに家に戻り、どうしようと考えてまず校長に電話しました。やっぱり「組織」の人間だったのだなあ、と思います。

 停電し、断水していましたが、電話は通じました。

私「今の何なんでしょう?」
長「ワシにもわからん」
私「私、どうしたらいいんでしょう?」
長「わからん。ワシもすぐに学校へ行く」
私「じゃあ、私もとにかく学校へ行きます」

 そして次にしようとしたのが、パソコンを取り出すこと。当時、インターネットは見えるようにはしていたと思うのですが、まだそれほど利用していなかったと思います。パソコン通信の障害児教育フォーラムでは熱心にやりとりしていました。そこで一報を送ろうとパソコンを、本の散乱した中から探り当てました。起動し、つないだ所問題なくつなげました。(つまり近所のアクセスポイントがまだ生きていた)
 
 障害児教育フォーラムには当たり前ですが地震に関することを書く会議室(掲示板)はありません。そこで「お休み時間」というフリートークの会議室に書き込むことにしました。


kingstone すごい地震
(18) 95/01/17 06:31 コメント数:3

タンスがたおれてきて、私の肩で止まった。
それで長男や次男が助かりました。
昨晩は次男が泣きやまなかったのです。
きっと次男もなまず能力があるのでしょう。

みんなだいじょうぶか???


 この時点では「地震」と分かっていますね。電池式ラジオが手元にあったので、それを聞いていたのかな?

 この後、この「お休み時間」は、みんなのバカ話の場であったのが、臨時震災会議室の様相を呈します。これをアップした後、私はすぐ家を出て徒歩で学校へ向かいます。車で行ってはいけない、と強く思っていたわけではなく、何となく、です。

 空は薄暗いままだったと思います。信号は全て消えていて、私の家の周囲の道には車は一台も見えた記憶がありません。峠に向かって歩いていると雪が舞っていました。寒いけれど、雪がふるほどではないし、空もそんな感じではないし、変だなあ、と思っていました。後で考えるとこれは長田の方から飛んで来た灰ですね。

 峠に立った時、繁華街の方を見ると煙が立ち上っていたのが見えたような記憶があります。少し記憶が定かではないところがあり、後の報道とごっちゃになっている可能性はあるのですが、峠の上からしばらく見ていたような記憶があるのです。