「熾火」読者のための和服講座(追記あり) | 『Go ahead,Make my day ! 』

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【オリジナルのハードボイルド小説(?)と創作に関する無駄口。ときどき音楽についても】

 
えーっと、前の記事でも書いたように「熾火」の第19回、20回の為に――と言うか為だけに――和服に関して勉強した物好きのわたしなのですが。
昔から「その努力を学校の勉強に向けてれば……」と周囲から残念がられたものですが、人間というのは興味があるものには集中できても、そうでないものは頭に入らないのですよね~。(なに、この言い訳?)

さて、そんな訳で作中で和服に関する描写をいろいろやっておりますが、しかし、そこには常に一抹の不安があるのです。曰く、

ホントに通じてるのか、これ?

もちろん、我が読者さまの半数以上を占める女性の皆様にとっては常識以前のことで、わざわざこんな記事を書いてその知性や品格を貶める必要などないのですが(びみょうにケンカ売ってるような気が……)、読者さまには男性もいらっしゃるので、ここで簡単にですが補足記事を書いてみようと思います。

「せっかく勉強したからひけらかしたいんだろ?」と思ったそこのあなた。大正解です(笑)

(尚、この記事はわたしの知識の源(笑)であるウィキペディアの「和服」の項のかなり乱暴な要約です。もちろん、他のサイト等で調べたことも付記してありますけどね。もっと詳しいことを知りたい方は当該項をご参照ください)

さて、それではまずはいつものように用語の定義から。

>和服(わふく)とは日本在来の衣服のこと。狭義の着物と同義。近年では日本における民族服ともされる。

とはウィキの書き出しなんですが、和服について書くときに最初にぶち当たるのが名称に関する言葉選び。和服を指す単語には「和服」「着物」「呉服」の3つがありますが、これは、

和服:読んで字の如く「和の服」。明治時代に西洋の衣服、すなわち「洋服」に対して日本の衣服を表す語として生まれた比較的新しい言葉。

着物:2つの意味があり1つは和服の同義語。もう1つは古来から用いられてきた単純に衣服全般を指す総称としての単語。その為、曖昧さを避けたい場面においては「和服」という語が用いられる。

呉服:語源は中国大陸が三国時代だった頃に呉の織物や着物の縫製方法が日本に伝わったことにあるとされる。和服そのものを指す語としては「和服」「着物」に比べ使用頻度は低いが、和服を扱う店は「呉服屋」と呼ばれることが多い。

ちなみに海外ではどうかと申しますと、日本で和服という言葉が生まれる明治時代よりもずっと前、16世紀の時点で日本のおける衣服の総称である着物(Kimono)が、現在で言う和服を表す語として(おそらくは和服そのものと共に)ヨーロッパに伝わり、現在ではヨーロッパに限らず世界の多くの言語で日本で和服と呼んでいる物はKimono(キモノ、またはカイモノ)と呼ばれています。

また、昨今では衣服総称の着物と見分けるためか、ひらがなで「きもの」と表記するケースも見受けられますね。和服に比べると語感も柔らかくて典雅なイメージを喚起しやすいからでしょう。
作中では基本的に地の文は和服、会話文で着物のほうが合うところだけ着物、俵屋の業種だけ呉服(どうでもいいですが「俵屋」という呉服屋さんが島根県に実在するそうな……)という使い分けをしてます。ひらがなは作品のイメージに合わない気がしたので未使用。外国人が出てこないのでkimonoも未使用。(← 当たり前)

・和服の構造/和服の特徴

えーっと、これについては割愛。ウィキを参照のこと。(説明するには図面が必要なので……)

ですが、1つだけ。以前、発掘屋さんが和服では女性も右前である理由について興味深い説を発表しておられましたが、わたしもその解釈に賛同いたします。(笑)
ここでもう一度「右前・左前」について確認を。
「右前」とは服の前身頃を合わせる際に左の前身頃が上に来る合わせ方を言います。この場合「前」は「先」と同じニュアンスで「右の前身頃を先に肌に合わせる着方」という意味になります。
上記の通り、洋装では男性のものがこの合わせ、女性のものは逆の「左前」になっていて、いわゆるメンズとレディスを見分けるポイントの1つとなっています。(「Left Alone」で真奈が薦められたシャツが右前なのを見て「男物を着ないのが最後の砦」と言って断るシーンがあります)
それに対して和服は共に右前なのですが、その理由には諸説あるようです。中国に倣った説によりますと、中国で左前にすることが嫌われたのは「蛮族の風習である為」なのだとか。この蛮族というのは中国東北部や辺境の地に住む遊牧民たちのことで、彼らは狩猟を主な生活として行なう上で弓を射やすいという理由で左前に着ていました(右前で弓を左手に持つと矢を放ったときに弦が合わせ目に引っかかる可能性がある)。
また、一般的に右利きが多く、右手で刀を抜きやすいように腰の左側に刀を差すことが多い為、刀を抜くときに同じように右の前身頃に引っかかってしまうことがないように右前に着るようになったのだという説もあります。但し、後者の説は女性の和服も同じである理由にはなりませんけどね。

また死者に死に装束を着せる場合通常と反対に左前に着せますが、これは「死後の世界はこの世とは反対になる」という思想があるからだと言われています。その為、和服を着るときに左前を生前に行なうことは非常に縁起が悪いとされます。北枕が忌み嫌われるのと同じですね。

ちなみに和服の部分名称として左の前身頃を「上前」、右を「下前」と呼ぶのですが、これは前を合わせるときに重なる衽(おくみ)の部分が右が下、左が上となることからついた名称です。右前は別名「右衽(うじん)」とも呼ばれます。
(※ 衽:和服の袖を除いた部分の前の左の端と右の端にあり、上は衿まで、下は服の最下部まで続く、上下に細長い布の部分。前身頃に縫いつけてある)

・着物の種類について

まずは和服を構成するパーツですが、大雑把に分けると肌襦袢(はだじゅばん)、長襦袢(ながじゅばん)、長着(ながぎ)、羽織(はおり)、伊達締め(だてじめ)、腰紐(こしひも)、帯(おび)、帯板(おびいた)、帯締(おびじめ)、袴(はかま)、足袋(たび)、草履(ぞうり)、下駄(げた)など。一般に華美な装飾が為されるのは長着と帯ですね。男性用、女性用のどちらにもあるパーツもありますが、基本的に男女共用の和服というのは存在しません。
男性用、女性用の長着の手っ取り早い見分け方は、長着の袖を縫いつけた下の部分(要するに脇の下)に穴が開いていれば女性用、なければ男性用となります。この穴の身頃側を身八つ口(みやつぐち)、袖側を振八つ口(ふりやつぐち)と言います。身八つ口は女性の着付けの際に腰のところで長着をたくし上げる、いわゆるお端折り(おはしょり)の調整や手直しなどの為に開けられているというのが有力な説のようです。振八つ口については不明。
第20回で女将(草薙姉)が「そらさんが背が高いのでお端折りが云々」と申しておりますが、これは用意した長着に対してそらさんが長身なのでたくし上げて調整する部分が少なかった、という意味です。
(そうそう、女性の長着はお端折りの分だけ着丈が長く仕立てられます。一般には身長と同寸。男性用は身長から頭の分を差し引いた長さ)

で、ここからが女性用の和服について世の男性諸氏がまったく理解していない――だろうと思われる――部分なのですが。

女性が着る和服は大きく分類すると黒留袖(くろとめそで)、色留袖(いろとめそで)、振袖(ふりそで)、訪問着(ほうもんぎ)、喪服(もふく)、付け下げ(つけさげ)、小紋(こもん)、色無地(いろむじ)となります。後はこれに女子袴+振袖という卒業式等における女性の定番の和装が加わりますね。
(浴衣も和服の一種ではありますが、この項では割愛)

一般に正装と認められるのは上記の順番では喪服までとされています。そもそも、正装とみなされるには家紋が入っていること、絵羽模様があること、裾回し(八掛)が無垢仕立て=共裾であることが必要なのですが、昨今は訪問着や振袖には家紋を入れないことも多く、条件は後の2つということになります。
ちなみに絵羽模様とは何かと申しますと、和服に入れられている模様のうち、縫い目で途切れることなくつながっている模様のことを言います。特に裾の部分に入れられる模様は大きな図柄であることが多く、和服の美しさの大きな部分を占めるのですが。
で、これが何故に正装の条件なのかといいますと、縫い目できちんとつながるように模様を入れるためには和服が縫い上げられた状態で下絵を入れなければならず、無地の状態のものを裁断して仮合わせをして下絵を入れ、それを再度分解して染め、それを再び縫い合わせるという工程を踏まなくてはなりません。
つまり、絵羽模様が入っているということはそれが注文生産品(オーダーメイド)だという証なのですね。
もちろん、和服は洋服に比べるとサイズを選びにくいので、家紋の問題を別にすれば譲って貰ったり、作中のそらさんのように借りたりすることもできます。故に必ずそうであるとは言えないのですが、少なくとも最初の段階ではそれなりに手がかかっている(お金もかかっている)物なのです。

では、それぞれの和服について簡単に説明を。

・黒留袖
既婚女性の正装。生地は地模様の無い縮緬が黒で染められていて、五つ紋を入れる。柄付けは腰よりも下の位置にのみ置かれる。

・色留袖
既婚女性の正装。黒以外の地色で染められた留袖のすべてを指す。黒留袖は五つ紋だが、色留袖の場合は五つ紋だけではなく三つ紋や一つ紋の場合もある。宮中行事では黒が「喪の色」とされており黒留袖は着用しない慣例になっている為、叙勲やその他の行事で宮中に参内する場合は色留袖が正式とされる。

・振袖
主に未婚女性用の正装。正式には五つ紋をつけるが現在ではほとんど紋を入れることはない。袖の長さにより大振袖、中振袖、小振袖があり、花嫁の衣装などにみられる袖丈の長いものは大振袖である。近年の成人式などで着用される振袖は中振袖となっている場合が多いので注意が必要である。絵羽模様に限らず小紋や無地で表された振袖も多い。
(厳密にはその場合は正装と看做されないが、区別がつく人間がいないので通用しているのが現実)

・訪問着
女性用(未婚、既婚の区別なし)の礼装。三つ紋を入れる場合もある。歴史は浅く、明治時代に英語でいう「Visiting Dress(ビジティングドレス)」に相当する和服という位置づけで作られた。喪服を除くと和服の種別で唯一、用途を冠しているのはその為。
生地は縮緬や綸子・朱子地などが用いられることが多いが、紬(つむぎ)で作られたものの場合、紬はあくまでも普段着であるため、訪問着であっても正式な席には着用できないので注意が必要。用途として結婚式への出席(親族以外の場合)、茶事、パーティーなど華やかな行事には大概対応できる便利な一着。

・喪服
五つ紋付き黒無地。
(そうそう、触れるのを忘れておりましたが五つ紋とは背中の真ん中、両袖の後ろ側、両前身頃の胸に各1つずつ紋を入れたもの。それから胸の紋を省いたのが三つ紋、更に両袖の後ろを省いたのが一つ紋。どれにするかは和服の格によって異なります。言うまでもなく五つ紋が最も格が高い正式なもの)

・付け下げ
訪問着を簡略化したもので、あらかじめ切って裁断された上に柄を置く絵羽模様ではなく、予定の場所に前もって想定し柄が置かれた反物の状態で売られているもの。縫うと訪問着のような位置に柄が置かれる。訪問着との大きな違いは柄の大きさや縫い目での繋がりの他、八掛(裾回し)が表地と同じもの(共裾)ではなく、表との配色が良い別生地を用いている点。
略式礼装にあたる為、儀式などの重い席には着用されることが少ないが、軽い柄付けの訪問着より古典柄の付け下げの方が格が上とされるので着用の際には注意が必要。一般的な付け下げは儀式ではないパーティーなどで着用されることが多い。
付け下げは小紋と同じく反物の状態で売られているので安価であり、位置づけとしては普段着と正装の中間とされる。上記のように柄付けによっては格が逆転することはあるものの、和服の販売業者が言う「付け下げは訪問着の代わりになる」というのは値が張る訪問着が買えないなら付け下げを、というセールストークと解するべきであろう。

・色無地
柄のない黒以外の無地の着物のことをいう。家紋を入れることで訪問着と同様に礼装として着ることもでき、家紋がなければ普段着として着ることができる上、色によっては黒の帯をすることで略式の喪服とすることも可能というTPOを選ばない便利な着物である。また、薄いグレー地の九寸帯などをすれば法事にも着ることができる。
茶道では万事派手を退け、道具の柄との喧嘩を避ける意味から、茶事では色無地着用が推奨される。

・小紋
普段着として着られる和服の代表格。全体に細かい模様が入っていることが名称の由来であり、訪問着、付け下げ等が肩の方が上になるように模様付けされているのに対し、小紋は上下の方向に関係なく模様が入っている。礼装・正装としては使えないが、例外的に江戸小紋は紋を入れることで色無地と同格とされ、準礼装の扱いになる。これは江戸小紋の染色技術が大名の裃(かみしも)を染める技術にルーツを持つ為である。
現在は模様の大きさや密度に関わらず、上下方向関係なく模様が入っている着物は総称して「小紋」と呼ばれ、染めの技法によって「紅型小紋」「絞り小紋」「更紗小紋」など多種多様な小紋が存在する。その中で主な「小紋」の技法として知られるのは「江戸小紋」「京小紋」「加賀小紋」である。

と、まあ、つらつらと書き並べてみましたが、そもそも和服における女子の礼装は歴史上、女性が公的な場面で活躍することがきわめて少なかったために男子のそれと比べて未整理であり、起源的にも新しいものが多いようです。いずれも明治以降に新しく整備されたもので、言ってみれば「作られた古典」の一種であると言えるでしょう。

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女性用の和服の分類はこんな感じなのですが、では男性はどうかと申しますと正装は紋付羽織袴(もんつきはおりはかま)、そうでなければ長着に羽織か、長着に袴プラス羽織くらいものですね。羽織は現在の洋装におけるジャケットと同じ扱いで、公式の場では羽織るものとされます。

非常にそっけない説明ですが、以上です。(笑)

まあ、これは致し方ないといえば仕方ないことでして。和服が主であった時代まで遡れば男性の和服もいろいろと種別(というかパーツ)があるのですが、現在の和装においては反物の種類くらいしか分類はありません。なんだかんだ言ってもメンズがレディスよりバリエーションに欠けるあたりは洋の東西を問わないのでしょうね。(笑)
(ちなみに「熾火」の中で草薙氏が「大島紬が云々」と言ってますが、紬はそれがどれだけ名産品であっても普段着扱いなので、洒落者であるはずの彼の発言としてはやや不適当)

そんな訳で男性用の和服について語れるものと言えば袴くらいしかないのですが。

>袴(はかま)は和装において腰より下を覆うようにして着用する衣服の一種。着物の上から穿き、紐で結ぶ。弥生時代にその原型が成立し、近世期においては主に男子において用いられ礼装と看做されてきた。

とウィキにありますが、上にも書いたように明治以降は女学生や女性教員の装いとして定着し、現代においても卒業式などで履かれています。わたし世代だと女の子の袴姿といえば「はいからさんが通る」あたりを思い浮かべてしまいますね~。

ちなみに袴にも種類がありまして、構造で大雑把に分けますと、

・行灯袴(あんどんはかま) スカート状になっている袴
・襠有袴(まちありはかま) 裾から30cmぐらいの部分だけ縫い合わされた袴
・馬乗袴(うまのりはかま) 股下からすぐに縫い合わされたキュロットスカート状の袴

となります。襠有袴が正式なものとされます。行灯型は普段用、馬乗は戦闘用(現在では武道につかわれているもの)です。いわゆる女子袴は行灯袴なので、つまり、女性の袴姿というのは厳密には正装とは看做されないということです。巫女さんが履く緋袴も本来は襠有袴だったのですが、現在はほとんど行灯袴になっています。

「熾火」の中で草薙氏が履いているのは当然馬乗袴なのですが(と言いつつ、初期段階では描写をし忘れるという失態を……)、襠有や馬乗のような仕切りのある袴を履く場合、当然のことながら足首まで裾がある普通の長着ではおかしなことになります。なので、両裾を持ち上げて帯に挟み込んでおくのですが、これを尻っ端折り(しりっぱしょり)といいます。
ですが、馬乗袴でこれをやると長着の生地にもよりますがかなり帯周りが膨らんでしまうので、その場合には長着を膝丈かそれより少し短めの丈に仕立てることがあります。草薙氏の長着もそうなっています。ま、彼が和服を脱ぐシーンを描くことはないので(笑)作中で触れることはないと思いますが。

袴の種類については他に仕舞袴(しまいばかま。能楽師が仕舞や舞囃子の際に用いる特殊な袴。但し、馬乗袴の別名とされる場合もある)や軽衫(かるさん。ズボンにヒントを得てつくられた袴で、裾が足首につくようにすぼまっており活動的で動きやすい。現在の野袴や山袴、裁付などの原型)、もんぺ(一応、裁付(たっつけ)が原型なので袴の一種)があります。

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さて、ここからは作中に登場した用語について説明が必要と思われるものを。

 店内は無人で、しかも薄暗かった。だだっ広い土間と腰掛けるのにちょうど良さそうな幅の小上がり、その向こうには土間以上に広い畳の間。正面には番台があって上には使い込んだ感じのそろばんまである。衝立のような衣桁に数点の留袖が掛けられていたり、壁一面を埋める棚に反物が陳列されているのが呉服屋らしいと言えなくもないが、それらも天井や壁の高いところにある明かり取りから差し込む弱い光の中では、時間の流れからぽつんと置いていかれたように見える。
                                           (「熾火」第19回より)


『Go ahead,Make my day ! 』-衣桁ここで登場する衣桁(いこう)ですが、これは要するに和服用のハンガーです。と言っても和服は洋服のように壁に掛けることはないので、ここで登場する鳥居のような形をした衝立型のものか、後で登場する中央の蝶番で2枚に折りたたむ屏風式のもの(衣桁屏風)のどちらかです。
どちらも和服の裾が床につかないように2m前後の高さがあります。一般家庭ではまず見ることのない代物(和服の保管はたたんで桐の箪笥に入れておくのが普通)ですが、呉服店や和服の展示会などで見ることが出来ます。

 そらは女将が手渡した道行を羽織った。全体に抑えた色味に仕上がったのを補うような猩々緋の鮮やかさには戸惑ったが、隣に立つ草薙が鉄紺の暗い色調の袴姿の上にいつもの黒いインバネスコートを着込んでいて、これで自分まで暗い色になればまるで葬式に向かうように見えてしまうことに気づいた。
                                           (「熾火」第20回より)


『Go ahead,Make my day ! 』-道行この場面でそらさん(作中の)が羽織っている道行(みちゆき)。道行コートと呼ばれることもありますが、要するに外出時の和装用のコートのことです。
同じようなものに道中着(どうちゅうぎ)というのがありまして、両者は混同されることが多いのですが別のもの。一般に道行の方が格が上とされ、道中着はおしゃれ着との位置づけです。両者の違いは襟の部分に顕著で道行が写真のように四角になっているのに対して、道中着は下の長着などと同じように合わせ襟になっています。

ちなみに草薙氏のトレードマークであるインバネスコートはこんなもの。(以下、ウィキより転載)

『Go ahead,Make my day ! 』-インバネスコートインバネスコート(Inverness coat)とは男性用の外套の一種。 単にインバネスと呼ばれることもある。丈が長いコートにケープを合わせたデザインを持つ。スコットランドのインヴァネス地方で生まれたとされている為、こう呼ばれている。
日本では主に男性の和装用コートとして用いられ「二重回し」「二重マント」「とんび」などとも呼ばれるがこれらの呼称は混乱しており、さまざまな定義が成されているが歴史的にどれかが正しいと言える物ではない。
明治20年ごろに伝わり大正から昭和初期にかけて流行した。インバネスコートのデザインは和服の大きな袖が邪魔にならないため、実用性が非常に高かったことが流行の一因と思われる。和装の衰退により現代ではあまり見られなくなったが、レトロでエレガントな雰囲気を持った和装コートとして依然需要がある。
映画監督の故・伊丹十三は「着物にインバネスってのはライスカレーと福神漬けと同じように和洋折衷大成功の一例である」と語っている。
尚、鹿撃ち帽、パイプと合わせた姿はシャーロック・ホームズのトレードマークとして知られている。但し、この姿で居る描写は原作の中ではされておらず、挿絵や映像作品などから二次的に出来上がった姿である。

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さて、そんなわけで、毎度のことながらどこで終わるかタイミングがつかめないこの手の解説記事なのですが、今回はこの辺で。作中で使うためにディテールの部分(和服の構造だとか歴史だとか)も調べましたが、物語の流れを妨げないように専門用語は最低限に絞ったので、この解説記事でも取り上げない(取り上げられない……)ことにしました。
いつか、今回の調べ物が役に立つ日が来ると信じて(?)、とりあえずは粛々と「熾火」の続きを書くとしましょう。では、また。