「パートタイム・ラヴァー」第3回 | 『Go ahead,Make my day ! 』

『Go ahead,Make my day ! 』

【オリジナルのハードボイルド小説(?)と創作に関する無駄口。ときどき音楽についても】

 
 五秒前。四、三、二――アクションっ!!
 頭の中でカチンコ(何と言うのかわからない。映画のカメラの前で鳴らすアレだ)を鳴らして、マンションの狭苦しいロビーから外に踏み出した。
 デートの待ち合わせは高砂のワンルーム・マンションの表玄関前という、ちょっと――というか、かなりヘンな場所で、そこまで村上さんがクルマで迎えに来てくれることになっていた。
 高砂は渡辺通り一丁目の交差点から裏に入った一角で、おめでたい地名とは裏腹に築年数が進んだマンションが多いところだ。どれも狭苦しい敷地に無理やり建てたように、ぎっしりとひしめき合っているように見える。街中からほんの少ししか離れていないので、若い人や学生、中洲で働くお姉さまがた向けに建てられた物件ばかりなんだろう。
 実はずっと前に家出したときに部屋を借りようと探し回ったことがあって、そのおかげでこの辺りには土地勘がある。あのときは普通の賃貸は借りられなくて、アニキの名義(もちろん無断使用)で吉塚駅の近くにマンスリーを借りた。
 悲しい出来事の中でのことだったけど、一人暮らしそのものは初めての体験だったこともあって、思ってもみないほど楽しかった。あたしは料理というものがまったくできないんで、毎日お弁当とかお惣菜だったのがちょっとつらかったけど。
 事件のあと、真奈のウチにお世話になるようになってずいぶんと教えてもらったのに、あたしの料理の腕はまるで上がる気配をみせない。たぶん、才能がないんだろう。将来、結婚するんだったらぜったいに料理のできる旦那さんを選ばなくては。
 そういう意味では、村上さんはまるで問題外だった。聞いたところでは家事はまるでダメらしい。そういうとこだけはあの人も九州男児だなと思う。パパもアニキもダメだったし。
 マンションの一階は雑貨屋さんになっていて、お迎えが来るまでの間、そのショー・ウィンドーを眺めて時間を潰した。
 そこに映っているのは街で適当に石を投げると当たりそうな、よくいるタイプの女の子だ。
 オフホワイトのニット帽と顔の半分くらいが隠れそうな飴色のサングラス、グリーンのケーブルニットのトップスとラクーンファーのフードがついたフェイクレザーのブルゾン、デニムのミニスカートとアースカラーっぽいカーキのウェスタンブーツ。
 服もそうだし、指にはめたスターリングシルバーのリングや胸元にジャラジャラとぶら下がっているアクセサリも、あたしの好みじゃなかった。
 両親の(どっちかといえばママの)影響で、あたしのクローゼットはブリティッシュ・トラッド系(バーバリーとかマーガレット・ハウエル、ちょっとだけローラ・アシュレイなど)で統一されている。それとジーンズとかトレーナーのような”どうでもいい”系のものが少し。最近は真奈の影響でユニクロも増えてるけどそれもお出かけしないときの普段着で、本当ならギャル系丸出しの服なんかお断りだ。
 でも、今回だけは妥協してこんな格好をしている。”今日一日だけの恋人”のたっての希望とあっては、むげに断るわけにもいかないし。
 その村上さんは約束の十一時ジャストでその場に現れた。
「……うそ?」
 そのクルマを見て、思わずつぶやいてしまった。シルバーのメルデセス・ベンツCLK55、AMG仕様。
 クルマにはまったく詳しくないあたしが、この世でたったひとつだけ型番まで知っているのがコレだ。ちょっと前、とても大切な人が同じメルセデスに乗っていたのだ。
 一瞬、同じクルマかと思ったけどそんなはずはなかった。
 メルセデスはあたしの目の前に横付けに停まった。辺りを見渡してから、助手席のレザー・シートに乗り込んだ。村上さんはあたしの格好を見て、”オーケー”という感じでうなづいた。
「いつもの白いクルマはどうしたんですか?」
「あれを使うわけにはいかないんでね。こいつは借り物さ」
「だと思った」
 村上さんはいつものボックスフレームじゃなくて、レンズが目尻のほうに向かってゆるやかに吊り上がっていく、「マトリックス」でキアヌ・リーブスがかけていたようなサングラスをかけていた。柔らかい顔立ちにそのシャープさが意外と似合っている。黒いタートルニットの上にタン色のコーデュロイのジャケット、ヴィンテージ風に色が褪せたインディゴ・ブルーのデニム。髪はワックスでソフトバックにまとめてある。
 これだけラフな格好をしても堅苦しさが抜けないのが不思議でならない。
 クルマが滑るように走り出した。メルセデスにはこの裏通りはなんだか窮屈な感じがするけど、村上さんはあんまり気にしている様子はなくて、借り物だとは思えないほど普通にスピードを上げた。ときどきルームミラーにチラチラと視線を送っている。
 バッグから缶コーヒーのブラックと小さなペットボトルのアップルティーを取り出して、ドリンクホルダーに差し込んだ。
「これ、買っときました。コーヒーでいいんですよね」
「気が効くね。真奈とはエライ違いだ。あいつ、俺が用意してないと文句言うからな」
 らしいな、と思った。
 スピーカーからはどこかで聴いたような、でも声が違うようなヘンな音楽が流れている。
「誰ですか、これ?」
「オーティス・レディング。歌ってるのはストーンズの曲だけどね。「サティスファクション」って曲、聴いたことないかい?」
「ごめんなさい、まったく」
 ストーンズが”ローリング・ストーンズ”のことなのは、真奈も同じ呼び方をするからわかる。でも、それと曲を知っていることとは別の話だ。
 CDを変えてもいいか、訊いてみた。村上さんは黙ってコンポからCDを取り出した。代わりにプラダのディアスキンのバッグから取り出した自分のCDをスリットに挿し込んだ。
「B’z?」
「です。嫌いですか?」
「いや。ただ、ヒット曲くらいしか知らないだけだよ。J-PopはFMでしか聴かないんでね」
「聴くだけでも真奈よりはマシですね」
 村上さんは小さな忍び笑いを洩らした。B’z初心者の村上さんのために「B'z the Best ”Pleasure”」をセットした。スピーカーから「LOVE PHANTOM」のオーケストラのイントロが流れ出した。
 メルセデスは裏路地をクネクネと走り抜けて大通りに出た。
「帽子、脱いでもいいですか?」
「いいよ。その髪、ひょっとしてストレートパーマでもかけたのか?」
「まさか。ウィッグですよ」
 ニット帽からこぼれてるのはアッシュブラウンのストレートだ。このヘアスタイルも村上さんのリクエストだった。
 地毛がもともと茶色がかっているので、少しくらいカラーを入れても生活指導の先生に見咎められることはない。なので、本当はストレートにしてみようかとも思ったのだ。でも、馴染みの美容師さんに”ずっと縦ロールで強いクセがついているので一回じゃキレイなストレートになるかどうかわからない”と言われたので、それは諦めた。
「だったら、かなり暑いんじゃないか?」
「そうでもないですよ。この際だから切っちゃいましたんで」
「えっ!?」
 村上さんは思いっきりわき見運転であたしのほうを向いた。
 ウィッグをずらしてその中を見せてやった。ちょっとやりすぎなくらいのベリー・ショート。やや丸顔のあたしがやると、一歩間違うと”お猿さん”になってしまう短さだ。美容師さんが細心の注意を払ってバランスをとってくれたので、何とかその一歩を踏み出す前で留まっている。
「……どうして?」
 唖然とした状態から抜け出せない村上さんに向かって、何でもないような顔で笑ってみせた。主に真奈をたぶらかすときに使うとっておきの微笑だ。
「だってジャマだったんだもん。ウィッグに上手く収まらないし」
「いや、だからって切ることはないだろう。あんなにキレイに伸ばしてたのに」
「好きなんだ、あんな風にクリクリしてるほうが?」
「いや、別にどんな髪型が好きってこともないが――って、そういう問題じゃないだろ」
 敬語をやめたあたしにつられて、村上さんもぞんざいな言葉遣いになっていた。表情には、大して気があるわけでもない女の子に「何か食べさせて」と頼んだらフルコースを用意されてしまった男の子のような、なんとも言えない気まずさが漂っている。
 それが狙いじゃなかったと言えば嘘になる。
「自分がこの髪型にしてくれって言ったんでしょ。今さらゴチャゴチャ言わないでよ」
「……わかった」
 村上さんは諦めたように深いため息をついた。
「で、どこに連れてってくれるの?」
 ことさら無邪気な口調で言った。村上さんはサングラスの端のほうから困ったような視線を投げつけてきた。
「久しぶりに福岡タワーに登ってみたいんだが、いいか?」
「あたしもずいぶん行ってないなあ。オッケー、そこでいいよ」
 クルマは渡辺通りを天神のほうに向かっている。
 日曜日の昼間の渡辺通りの流れはあんまり良くない。普段は真奈のバンディットなのでクルマとクルマの間をスルスルと抜けていけるけど、メルセデスでそれをやるのはムリだし(当たり前だ)仕方がないので流れに乗ってゆったりと進んでいる。
 鏡を取り出してウィッグの位置を直した。
「短いの、似合わないかな?」
 訊くと、村上さんは「そんなことはない」と言った。
「でも、やっぱり納得いかないな。大事に伸ばしてたんじゃないのか」
「どうして男の人って、女が髪を切ることにそんなに意味を求めたがるんだろ。別にずっと前から機会があれば切ろうと思ってて、これがたまたまその機会だったってだけなのに」
「そんなもんかね」
「そう。でも、ど~しても理由がなきゃ納得できないっていうんなら、ないこともないよ」
「……ほう。訊いてもいいか?」
「親友を裏切って、その大切な人とこっそりデートすることへのけじめ」
「うらぎ……」
 村上さんはそこで絶句した。
「そうでしょ? 誘ったのは村上さんだもんね。あ、せっかくのデートなのに”さん”付けだと雰囲気出ないな。ねえ、恭吾って呼んでいい? あたしのことも”ゆま”って呼び捨てにしていいからさ」
「……好きにしてくれ」
 恭吾はまだ納得いかない表情だった。
 あたしは気にせずに、ドリンクホルダーのアップルティーのキャップを開けた。ランダム演奏にセットされていたみたいで、曲は後のほうの「Bad communication E.Style」に変わっていた。