「パートタイム・ラヴァー」第1回 | 『Go ahead,Make my day ! 』

『Go ahead,Make my day ! 』

【オリジナルのハードボイルド小説(?)と創作に関する無駄口。ときどき音楽についても】

 

 ――ふう、やっと終わった。
 思いっきり大きなため息をついた。
 耳にはエレキ・ギターやクラッシュ・シンバルの耳障りな騒音が、お腹にはバス・ドラムの力まかせな振動が不協和音のように恨みがましく残っている。
 あれほど遠慮したのに、真奈が用意してくれたのは最前列中央というファンなら垂涎の、そうじゃないなら単なる迷惑でしかないロイヤル・シートだった。オールスタンディングだったら、こっそりフェイドアウトできたのに、ここはしっかり椅子つきだった。
 そりゃ、これがB’zのライブなら話は別だ。全財産を注ぎ込んだって手に入れるし、誰に請われても絶対に譲ったりしない。でも、そのステージに立っていたのはあたしの親友と、その彼氏の友人たちで作っている洋楽のコピー・バンドだった。
「……よいしょっと」
 真奈から預かってた荷物を持ち上げて、控え室に向かった。あたし以外の観客は新鮮な酸素を求めて、重いドアの外になだれのように押しかけている。そっちに着いていきたい誘惑を振り切って、客席とバックステージを分けるドアを押し開けた。
「おつかれ~!!」
「ホント、お疲れさんですー」
「てめえ、最後の曲のリフ、とちっただろッ!!」
「いや、あれは……」
 控え室は耳の奥の残響と同じくらい、終わったばかりのライブの興奮の余韻で一杯だった。口々に飛び交う大声。ケンカ腰のようでも、そこには何かをやり遂げたような満足感がある。 
 壁の空いているところにはそこで演奏したバンドの人たちのラクガキが、空いているところを埋め尽くすのが義務みたいにビッシリと書き込まれている。両方の壁際には安っぽい衝立で仕切られたメイク台がずらり。奥の壁は姿見代わりに一面が鏡になっている。
 出演したのは真奈のバンドだけじゃなかった。タイバン(どんな字を書くのかわからない)とやらで、三つのロックバンドがあんまり広くはないスペースを仲良く(?)使っている。
 細かい違いはあるけど、みんな”いかにも”って感じの黒っぽい衣装と、お決まりのシルバーのアクセサリという似たり寄ったりの格好だ。そのせいで、誰と誰が同じバンドかなんてまるで見分けがつかない。<混ぜるな危険>という立て札を立てておかないと、一度ゴチャゴチャになったら分けることなんて絶対無理だ。

 まあ、それは別にいいんだけど、部外者がこの中に入るのにはちょっと勇気が必要だった。汗と化粧品、誰かが喫い出したタバコのニオイが入り混じって、うかつに空気を吸い込むとむせ返りそうだった。
 混沌としか言いようがない中で、真奈は漂ってくるケムリを手で払いながら缶ビールに口をつけていた。日曜日の午後四時はアルコールに手を伸ばすにはちょっと早いけど、外の明かりが届かない巣窟のようなこの場所ではそんなに不自然には見えない。
 水の中に潜るときのように大きく息を吸い込んでから、その部屋に入った。
「おっつかれさ~ん」
 真奈がこっちを向いた。
「あ、由真。今、呼びに行こうとしてたのに」
「終わったら来いって言ってたじゃない」
「そうだっけ?」
 真奈の笑顔はいつもの三割――いや、五割増しの明るさだった。
 ライブは真奈のバンドがトリで、真奈は最後に「Everyday is a Winding Road」という、あたしもクルマのCMで聴いて知ってる歌を熱唱した。そのときに浴びたスポットライトの灯が、まだ身体の周りにキラキラと漂っているように見えた。
 汗で長い髪が額や首筋に貼り付いていて、なんだかやけに色っぽく見える。ターコイズ・ブルーのタンクトップの上にスタッドがいっぱい打たれた丈の短いレザー・ジャケット、裾が切りっぱなしのデニムのミニスカート、膝まであるロングブーツ。
 ハードロック系の洋楽のコピーバンドということで、そういう格好になったらしい。背が高くて手脚が長い真奈には、その衣装はとてもよく似合っていた。箱型のアンプの上に片脚を乗せて、身を乗り出してシャウトする姿もずいぶんサマになっていた。
 ただ――たぶん、恥ずかしいからだろうけど――サングラスをかけるのはやりすぎだと思う。ハードゲイみたいだな、と思ったのはナイショだ。
「由真さん、来てたんすか」
 同じ身なりの一団の中から、梅野さんが声をかけてきた。
「お疲れさまです。すっごく盛り上がってましたねえ」
「おかげさまで。この中ではウチが一番出来が良かったと思うんすけどね」
「そりゃそうでしょ。なんたってヴォーカルが良いもん」
 真奈が取り澄まして言う。梅野さんは目を細めてニヤニヤしながら「でも最後んとこ、歌詞、間違いましたよね?」と混ぜっ返す。確かにサビの前の早口な言い回しのところで真奈は一回だけ詰まった。
 真奈は頬を膨らませて、梅野さんの横腹をじゃれるような軽いパンチで叩いた。梅野さんは大げさに痛がっているけど、それでも笑顔のままだった。
 知り合ったころから比べると表情に険しさがなくなって、笑うとシワのよる目許には意外と愛嬌のようなものがあった。男の人にしてはびっくりするほどスリムで、あたしはこの人を見るたびにルパン三世のキャラクターを連想してしまう。
「――じゃあ、真奈さん。俺ら、先に行ってますんで」
「オッケー。アタシも後で行くね」
 真奈はビールを飲みながらヒラヒラと手を振った。
 会話だけだと真奈のほうが年上の姐さんカップルのようにしか聞こえないし、実際、周りにはそう思っている人が多いらしい。本当は真奈はあたしと同じ十八歳、梅野さんは二十歳だ。
「どっか行くの?」
「このあと打ち上げがあるの。――来る?」
「どうしよっかな。知らない人ばっかりだし」
「アタシとコウジがいるじゃない」
 コウジというのは梅野さんの名前だ。あたしもときどき、真奈のほうが年上に思える。
「そうだけどねえ。でも、顔出しといて誰とも話さないってわけにはいかないじゃない?」
 自分に向けられてる視線はひしひしと感じていた。場違いなものを見るような疎ましげなものが半分、飛んで火に入ってきた夏の虫を見る飢えたものがもう半分。
「あんまり仲良くなれそうな感じはしないね」
「どっちでもいいけど。着替えてくるから、その間に考えといてよ」
 真奈は「何で女の子がシャワー浴びられないのよ」とかブツクサ言いながら、着替えを持ってトイレに行った。
 梅野さんは苦笑いしながら、真奈の飲み残しを一息に飲み干した。
「ライブ、楽しんでもらえたっすか?」
「ええ、まあ」
 愛想笑いでその場はごまかしておくことにした。洋楽はあんまり――というか、まったくわからないし、彼らの演奏技術をウンヌンできるほどあたしには音楽の素養がない。率直に言って、あたしは真奈を見に来ただけなのだ。
 早いもので、この二人は一年以上付き合っている。
 二人の馴れ初めにはあたしも大いに関わっている、ちょっとフクザツな事情がある。二人が付き合い始めたことは後から知った(というか、梅野さんの存在自体を後から知った)のだけれど、言い渋る真奈からその経緯を訊き出したときには心の底から驚いたものだ。
 悪いけど、実はそんなに長続きするとは思ってなかった。
 真奈がその気になったのは、いわゆる吊り橋効果(危険を共に体験すると連帯感や恋愛感情が生まれるというアレ)のようなものだと思っていたからだ。当時の梅野さんが真奈があまり好きじゃないパンク系の兄ちゃんだったことや、彼のバックボーンがヤンキーだということもその考えを後押ししていた。
 もっとも、親友の彼氏ということで話をする機会が増えると、それがあたしの偏見だということがわかってきた。お調子者で頼りないところはあっても、真奈に対しては本当に真面目に考えているようだったし、真奈があたし以外に心から安心しきっているような笑顔を見せていたのは梅野さんが初めてだった。
 だから――本当は今でもあまり好きにはなれないけど――あたしも彼と友だち付き合いをしているというわけだ。
 一度、一緒に飲んだときに「もし浮気して真奈を泣かせたりしたら、梅野さんのアレ、ぶった切りますからね!!」と凄んでみせたことがある。
 かなりアルコールが入った後のことだったので、梅野さんは酔った勢いでの冗談か単なる軽口だと思ったように「ハイッ!! わかりましたっす!!」と呂律の怪しい口調で繰り返していた。
 もちろん、それは冗談でも軽口でもない。
 同じバンドの人に声をかけられて、梅野さんはギターケースとパンパンに膨れたバッグを抱えて控え室を出て行った。撤収はすでに始まっているようで、さっきまで鮨詰めだった部屋にはあたしを入れても数人しか残っていない。
 テーブルにはビールが一本だけ残っていたので、勝手にご馳走になることにした。
「――さて、と。どうしよっかな」
 声に出すまでもなく、一人で帰ることにしていた。
 事情があって真奈のウチに下宿しているので、本当は一緒に帰ったほうが都合はいい。でも、呼ばれてもいない宴会に押しかけるほどあたしは厚かましくはないし、やっぱりそうまでして出たい酒席には思えなかった。
 五分ほどで真奈は戻ってきた。メイクを落としてオックスフォード・シャツとデニム、それに貰い物だというブラックのダッフル・コートを羽織ると、さっきの色っぽさと打って変わってやけにオトコマエに見える。あたしにはこっちのほうが見慣れた真奈だ。
「あれっ、アタシのビールは?」
 真奈が言った。
「梅野さんが飲んじゃったよ」
「ホント? しょうがないなあ」
 何がしょうがないのかよくわからない。あたしの缶を差し出すと、真奈はサンキューと言ってそれを受け取った。
「そういえば村上さん、来てたよ」
「えっ!?」
 ビールを吹き出しそうになって、真奈は慌てて口許を押さえた。
「……来てたの?」
「気づいてなかったの? あっきれた。真奈ってば自分が呼んだんでしょ」
「う、うん。ライブやるからとは言ったけど。でも、来るとは思ってなかったし。ほら、あいつ、仕事とか忙しいしさ。――あっ!!」
 真奈は何かを思い出したようにヒップポケットから携帯電話を引っ張り出した。そのまま何かボタンを押している。横から覗き込んだら、それはスケジュール管理の画面だった。
 見る見るうちに真奈の表情が真っ青になっていった。
「どうかしたの?」
「うん、ちょっとね……。うっわ、やっぱり今日だ」
「何が?」
「いや、実はあいつに頼まれて、ちょっとしたパーティーに出ることになってたの。女性同伴じゃないといけないらしくってさ。ほら、今日のライブって本当は来週の予定だったから、オーケーしちゃってたんだよね」
「村上さんにはライブの日程が変わったこと、連絡したんでしょ? だったら、何でその時に一緒に言わなかったの」
「だって、覚えなきゃいけない歌詞とかあったし、すっかり忘れちゃってたんだもん……」
 何が「だもん……」なんだか。
 躊躇うように押し黙っていた真奈は、やがて意を決したようにあたしの顔にじっとりとした視線を向けた。
 言いたいことはすぐに予想できた。試験の前にノートを借りに来るときや、課題の提出物が間に合わなくて助けを求めてくるときに、同じ表情を何度も見たことがあるからだ。
「由真、一生のお願い。アタシの代わりに行ってくれない?」
 ……やっぱり。
 顔の前で両手を合わせて拝み倒そうとする真奈を、キツイ目で見据えてやった。
「それってさ、おかしいんじゃない? どう考えたって、村上さんのほうが先約じゃないの?」
「そうなんだけどさ……」
 真奈は心底バツが悪そうに唇を噛んで押し黙った。
 その間、あたしはずっと真奈を睨んでいた。そりゃ、あたしだって親友の頼みなら二つ返事で聞いてあげたいと思う。
 でも、これはちょっと「ハイそうですか」とは言えない。
 真奈はしばらく考え込んでから、肺の中の空気を全部吐き出すような大きなため息をついた。
「そうだよね、約束だもんね……」
 断りの連絡を入れようにも電波が悪くて繋がらないので、外に出ることにした。ボストンバッグを抱えて歩く真奈は、すっかり打ちひしがれてしまっていた。放っておいたらそのまま壁に頭をぶつけてしまいそうだ。
 その背中を眺めながら、あたしも同じように盛大なため息をついた。
 ええい、くそっ。
「……わかったよ、代わりに行ってあげるよ」
 真奈はノロノロと振り返った。いっぺんに歳をとってしまったようなどんよりした眼であたしを見ている。
「いいよ、アタシが悪いんだし」
「確かにそうだけどさ。でも、そんな顔で来られたんじゃ村上さんだって迷惑だよ」
「でも……」
「いいから。適当に理由はつけといてあげるから、打ち上げに行っておいで」
 真奈は逆転の無罪判決を受けた死刑囚のように表情を輝かせた。日頃は義理とか理屈がどうのと偉そうなことをほざいていても、恋する乙女には物の道理なんて通用しないってことだ。
 それにしても、我ながらなんでこんなにお人好しなんだろう?
 村上さんの連絡先と待ち合わせの時間を聞いて、真奈をタクシーが拾える表通りまで送った。
「いいの、ホントに?」
 タクシーに乗り込みながら、真奈は念を押すように訊き返した。
「心配しなくていいよ。ちゃんと借りは返してもらうから。そうだ、エルガーラのロイヤルでランチなんていいなあ」
 一瞬、真奈の顔が引き攣った。
 本当の名前は”コンチネンタルカフェ・ロイヤル”という、ロイヤルホストの原型になった老舗のレストランの一つだ。同じロイヤル系の”花の木”ほどじゃないけれど、ランチでも高校生には結構な出費だ。
 それでも真奈はその条件を呑んだ。そんなに打ち上げにいきたいんだろうか。それとも村上さんの相手役が嫌なのか。
「いいよ、そんなんでよければ」
「オッケー、交渉成立だね」
「うん、ありがと」
 運転手のオジサンが”まだですか?”という感じのわりと露骨な咳払いをした。真奈は慌てて車内に収まった。
 通りに滑り込んでいくタクシーを見送って、それから、村上さんの携帯電話を鳴らした。
 この人に電話をするのは久しぶりだった。呼び出し音が鳴る間に、真奈のピンチヒッターを勤めることになった理由をでっち上げる算段を済ませた。村上さんはあたしの話を口を挟まずに聞いて、少し申し訳なさそうに「それじゃよろしく頼むよ」と言った。
 真奈にメールを送った。
<うまくいったよ。でも、テストが近いんだから、あんまり遅くならないようにね。色ボケもほどほどにしないと大学落ちちゃうよ~(笑)>
 返信はかつてないほどの速さで返ってきた。
<色ボケって何よ!!>
 まったく、日頃はスポーツブラしかしないくせに、こっそり通販で可愛らしい下着を買って、しかもそれが梅野さんとのデートの翌日(か、その次の日)にこっそり洗濯されていることに、あたしが気づいていないとでも思っているんだろうか?