- COVER ALL-YO!/山崎まさよし
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山崎まさよしが洋邦の名曲をカバーしたアルバム、「COVER All-YO!」と「COVER All-HO!」(YOが洋楽、HOが邦楽ですね~)のうち、「YO!」のオープニング・チューンがスティングの名曲をカバーした『Englishman In New York』
です。
どちらかというとソリッドな音質のスティングの原曲に対して、ストリングスで包み込むような柔らかさを、ボサノヴァ・アレンジが効いたギターでこの曲の歌詞が持っている切なさをうまく演出した、このアルバムの中でも出色の仕上がりの一曲だと思います。
昨今のカバーだのオマージュだのリスペクトだのという、何と名前を変えてもただの縮小再生産に過ぎないものが溢れている風潮には否定的なわたしなのですが、たまにはこういう当たりがあるからまるっきり全否定もできないんですよね~。
正直、山崎まさよしのクセのある英語が(と言うか、声がこもる独特の歌唱法が)最初はちょっと聴きづらいような気もしたのですが、慣れてくれば詞も聴きやすくて、むしろ日本人のリスニングには向いているような気がしますね。
スティングの英語もかなり聴き取りやすい方ではあるのですけどね。英国の歌い手はやはり発音がきれいなので、歌詞カードを目で追いながら「はあ!?」ということは少ないです。
ジャミロクワイなんかだと速いのでさすがに素で聴き取るのは無理ですけど、歌詞を読みながらだとちゃんと歌ってるのが分かります。その点、アメリカの歌手はムチャクチャ……。
この曲はタイトルのとおり、「ニューヨークで暮らすイギリス人(男性)」を歌っているのですが、最初のコーラスの歌詞を読むと、英国人がアメリカ社会にどういう目線を向けているか、同時に自分たちの社会をどういうものと見做しているかが、そこはかとなく透けて見えてくるような気がしませんか?
I don't drink coffee I take tea my dear (僕はコーヒーを飲まない。紅茶が好きなんだ)
I like my toast done on one side (トーストも片面だけを焼いたのがいい)
And you can hear it in my accent when I talk (話してるアクセントを聞けばわかるだろ)
I'm an Englishman in New York (僕はニューヨークのイギリス人)
See me walking down Fifth Avenue
a walking cane here at my side (五番街を歩いてるとき、杖を持っているのを見ただろう)
I take it everywhere I walk (散歩するときはいつもそうなんだ)
I'm an Englishman in New York (僕はニューヨークのイギリス人)
I'm an alien I'm a legal alien (僕は異邦人。許された異邦人)
I'm an Englishman in New York (僕はニューヨークのイギリス人)
これをノスタルジー(郷愁)と見るかスノビズム(気取り)と見るかで、評価はガラッと変わってくるんでしょうね~。
こういう歌詞はやはり”国”や”民族”、あるいは”文化”の違いを肌で感じている人たち――異文化に日常的に触れていて、そして、自らも異邦人たり得る人たち――の文脈の中からしか出てこないんだろうな、と思います。
日本人にはまず書けないし、書いてもつまらないか、あるいはお笑い草にしかならないんじゃないでしょうか。(誰か書かないかな、「Japanese in Běijīng(北京の日本人)」とか。笑)
実は同じようなことを最近、ビートルズの(ポール・マッカートニーの、と言ったほうが正確かも……)「Back In The U.S.S.R.」――これはビーチボーイズ風のアメリカン・ロックで「ソビエト連邦に帰ってきたぜ!!」と歌いまくる、かなりふざけた歌詞です――を聴いたときにも思いましたが、これもまた”他国”を意識していない国のミュージシャンには書けない歌詞ですよね。
たかが歌ではありますが、そういうところにも民族性だとか文化的背景というのは出るもんだな、と思うとなかなか面白いものです。
まあ、聴き手であるわれわれ日本人が、日本のミュージシャンにそういうものを求めていないというだけで、書く力はひょっとしたらあるのかも知れませんけどね。
(えーっと、途中から山崎まさよしとは関係ない記事になってますが、ファンの方につきましてはご容赦を。どうでもいいけど”山崎まさよし”でブログ検索するとこの記事、意外と上のほうにくるんですね~。もっとたくさんの人がブログに書いてるもんだと思ってましたが……)