「酒について」(キングズレー・エイミス/吉行 淳之介/林 節雄 講談社) | 『Go ahead,Make my day ! 』

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【オリジナルのハードボイルド小説(?)と創作に関する無駄口。ときどき音楽についても】

酒について
キングズレー・エイミス、吉行 淳之介、林 節雄
酒について
 
えー、わたしは決して絶版本のコレクターではないのですが、これも絶版になって久しい本です。


しかし、未だに記事の引用元として酒関連の本の巻末に名前が出ていることがありますし、書かれたのが(日本で刊行されたのが)1976年と30年以上も前とは言え、本書の価値はウンチク本としての情報ではなく、著者キングズレー・エイミスがユーモアたっぷりに語る酒との向き合い方にあるので、何かの機会に復刊されてもいいような気がするのですが……。

 

さて、気を取り直して内容ですが。

この手の知識本の面白さを語ろうとすると全文を引用することになりかねないので、とりあえず目次だけ引用してみますと、


・前書き

・酒飲みのための文献

・ワイン考(その1)

  ワインのことで恨みがある者のための簡単なガイド

・ワイン考(その2)

・ワインを買う人のためのガイド

・どの料理にどの酒を飲むか

・海外では

・酒飲みとしての道具箱

  バーの用具一式

  グラス類

・君流儀の酒を置く戸棚

・酒のいろいろ

  ショート・ドリンクス

  ロング・ドリンクス

  ホット・ドリンクス

・けちんぼ野郎のためのガイド

  けちんぼなかみさんのためのガイド

・二日酔

  形而下的あるいは肉体的二日酔

  形而上学的あるいは精神的二日酔

  二日酔のときの書物

  二日酔のときの曲目

・呑み助のための節制食

  君のための1日の食べ物

  君のための1日の飲み物

・飲み過ぎないための方法

 

といった具合になります(巻頭の目次には入っていない項目もいれてあります)。

どの項目も辛口のいかにも英国の作家らしい文章で、ゲラゲラ笑うというよりはちょっとバツの悪い苦笑いのようなものを浮かべてしまうのですが、それはこの目次からも充分に伝わっているんじゃないでしょうか。

個人的には「酒飲みとしての道具箱」と「君流儀の酒を置く戸棚」、「けちんぼ野郎のためのガイド」「二日酔」の項が面白かったですね~。

特に二日酔について語るエイミスの筆致は、他の項がどちらかというと教示風なのに対してちょっとムキになっているような部分があって(エイミス自身も数え切れないほどひどい目にあっているからなのでしょうが……)、他の項目よりも楽しんで読めます。

 

何たる題目であろうか! そして、実にまったく「不思議なくらいになおざりにされている」題目なのである。新聞や雑誌を開けばたちどころに、どこの国の人間にも共通していると言っていいこの苦しみをどうやって治すかについて教えている文章が目に飛び込んでくるのは、私も知っている――そのほとんどがどこかで1度は聞いたようなものであり、あるものは実際にはなんの役にもたたず、現実に有害なものもひとつふたつはあるのだが。二日酔は身体の病だけのことのように、そういう議論は肉体の兆候にもっぱら注意を向けている。その心理的、道徳的、情緒的、精神的側面をまったく省略してしまっている。ところが、この広漠として、曖昧で、くすぶり続けるおそるべき形而上学的上部構造が、自分についての認識と理解に辿り着くユニークな道にもなっているわけで、二日酔というのもまんざらではないということになるのだが。

 

これは「二日酔」の項の書き出しからの引用ですが、個人的にはこの文章がこの本のカラーを端的に示しているような気がします。というか、概ねこんな感じの文章で酒にまつわるアレコレが語られているのです。

他にも文中で立てられているいくつかの公理(G.P. General Principle)が、役に立つと同時にちょっと笑わせてくれます。いくつかある中から、やはりこの本のカラーを示すものを引用すると、

G.P.8・・ある酒がつくりやすく、それから/あるいは、市販の混合飲料を使用するからといって、けっして軽蔑しないこと。なにがなんでも由緒正しいものがいいのだという態度は、世の中のどの分野においても、単細胞の――あるいはもっと悪いものの――証拠である。


G.P.9・・自分は二日酔をしていると心から信じられれば、もう二日酔ではない。


てな具合です。まあ、確かにそうなんですが(笑)。

 

――――――――――

 

この本に限らずブラック・ユーモアの生まれ故郷である英国の作品は、同じ海外文学でもアメリカの小気味のいいストレートなジョークと違って、じっとりとした皮膚的な、笑いと同時に居心地の悪さを感じさせるところがありますよね。なんと言うか、常に見えないところで冷笑されているような。

それはやはり、「gentility」という単語に「表面的な上品さ」という意味があったり、ヨーロッパの歴史を振り返ると「fair」という単語が嘘っぱちであることが意味するように、言葉とは裏腹な意図があったり、本心を語ることなど持っての他であった権謀術数渦巻く歴史がそうさせるのかも知れません。

この手の文章は好き嫌いがハッキリ分かれるところではあるのですが、わたしは非常に好きな文体ですね。実際――レベルは遠く及ばないにしても――持って回った言い回しや、接続詞で二つ以上のセンテンスを繋ぐやり方などは強く影響を受けていると思います。(今さら言うまでもありませんが、わたしのブログIDやハンドルネームはこの作家からとってます)


そんなわけでこの本、わざわざ買い求めてまで、とは申しませんが、もし古本屋で見つけたときにはお手に取られてみてくださいな。損はさせませんよ。