細野晴臣
Cochin Moon
1978年
細野晴臣/シンセサイザー、ヴォーカル
坂本龍一/シンセサイザー、ピアノ
佐藤博/キーボード
松武秀樹/コンピューター・プログラミング
プロデュース : 細野晴臣、本吉ツネヒロ、横尾忠則
Malabar Hotel
Grand floor ~ Triangle Circuit on the sea-forest
この時期はシンセサイザーを多用した作品が多くリリースされてた(日本やと冨田勲や坂本龍一とか☆)事もあり、その楽器としてのプロセスや将来的なプロットよりも、即時性が強く求められとった気がしやすね!
🤔
ただ、なんちゅーか、それらの作品に共通してたのが『倒錯する世界』みたいなチープさが売り手側にも買い手側にも有象無象ありまして…
そうした現象を意識してか否かかは知らんのどすが、この作品では事情が少~し違うように思われやす★
まぁ、まだまだ黎明期やったんで!
Upper floor ~ Moving Triangle
シュールレアリズム(シュルレアリスム=超現実主義を標榜した主に芸術運動を指しやすが、日本では何故だか真逆となる非現実的な意味合いを持たされとりやす!)よろしく、まるで自動手記してるかのように "無意識な音楽" が展開されとりますが、5分辺りから主題らしき手弾きフレーズが加わりますっする✴️
その拙さが、正に俺が「シュルレアやなぁ」と聴き入るポイントなんどすが、やはり世間では喜多郎なんかと同列なの??
😂
その辺りは本人よりも世間の人々に聞いてまわらにゃならんのどすが、まぁ面倒臭いんで☆
Roof Garden ~ Rebel Attack
下痢で苦しんでた細野に対して、横尾忠則の「出るものは、どんどん出した方がいい」発言がそのまんまコラージュされとるのが★
ここでも合いかけたチューニングが、またしてもハチャメチャになり、それでも苦行のように曲は続きやす
😈
どうも細野自身は『バッドトリップしやすい体質』らしく、この時も何の因縁か偶然か、そうした苦しみを体験した事で後のYMOでの成功に繋… がったのか !?
Hepatitis
自動手記の挙げ句に捻り出されたのが『殆どYMOですやん!』な曲✴️
ただ世間的なポップさは完全に欠落しておりまして、そこら辺りはマーティン・デニーの Firecracker をYMOの 1st.でカヴァーする事でバランスをとったか?(いや、全然とれとらんやろ!)
こういう手法みたいな流れは後年のソロ作【Philharmony】や【S.F.X.】なんかでも敢行されて、恐らくは本人の意図してない評価を得た事で、ますます "迷い" の道を進むんどすわ!
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因みに…
Hepatitis=肝炎は『薬局で売っていない薬の重度な依存者』が患う確率が高い気がしやすが !!??
Hum Ghar Sajan
より明確になった意識の向かう先は?
いや、やっぱり無意識がバウムクーヘンみたいに層を織り成して、より巨大な無意識の柱みたいに!
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でも、この作品に於けるスタンスとしてはそれで正解なんでわ? と思うよ☆
逆に、坂本龍一とかでは理論が先に立ちすぎて、こういうオープンで "おおらか" な曲は無理どす!
でも坂本はそこを逆手にとって【B2-Unit】やったんで、そこら辺は互いに意識してたんかな?
後年、坂本が沖縄音階にハマった時に「今頃かいっ」と、ほくそ笑んでた細野が居たとか居ないとか…
Madam Consul General of Madras
アナログ盤では前半3曲がA面でシームレス、後半3曲はB面という構成になっとりやしたが、なんでかB面の作曲者名は西原朱夏という… なんと北原白秋をモジった細野の変名でんがな !!!
🤪
へてからして、この最後を飾る "迷曲" を送り出した細野自身が『答え』のようなものを得てYMOへと雪崩れ込んだ訳やが、そうした経緯を知らんで本作を聴くと確かに「???」かもね★
でも、いわゆるインテリ経由なワールドミュージック(呼び方が古いか! 今やとモンドとか?)なんて面白くないやろ !?
プレYMOとして、坂本龍一の【千のナイフ】と高橋幸宏の【サラヴァ!】、そして細野晴臣の【はらいそ=paraiso】と本作がありやす!
この作品は横尾忠則とインド旅行した事で燃料補給できたのか、YMOの構想がハッキリ形になったらしい記念碑的な… 実際は水が合わず下痢に悩まされたらしいどすねん!
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そうした事実が精神に強く作用して、例えば曲名でも Hepatitis =肝炎とかを臆面なく謳っとる辺りに、もう「開き直っとる?」みたいな感じが聴いてとれやすねぇ!
タイタニック号唯一の日本人乗客だった祖父はデマに躍らされた民衆から「なんで、おめおめ生きて帰ってきた!」と謗られ、かなり窮屈な余生を強いられたようやが、そうした辛い過去が細野の『良く言えばアイデア豊富、悪く言えば腰の座ってない』活動履歴に顕れとりまんな !!!
でも、そうしたフラフラの奥にはテコでも動かん強い意思が確かにありやした☆
YMOの 1st.での2曲( Cosmic Surfin' はアレな曲なんで… )に過去と現在(その当時)とを繋ぐ思考の流れが聴いてとれまんにゃわ
今これらを聴いても特に古臭さとかは感じやせん(好みによる?)が、そうした時代性を越える創作を可能にしたのも、やはり "時代性" なんかねぇ…
ジャケットのデザインを担当した横尾忠則は、ひょっとしたらYMOのメンバーになってたかも知らんかったらしい✴️
細野に説き伏せられて、髪をテクノカットにしたまでは良いが、やっぱ畑違いな音楽業界へ足を踏み入れんかったのは結果オーライだしょう!
その代わりに、当時ブティック経営してた高橋幸宏がバンドのヴィジュアル面を一手に引き受けたから統一感が出た?
偶然も必然も
同じ地平に立っている
そうかも知れんし違うかも知れん!
だから人は探求するんや🪐