"弱さ"を見せられることが"本当の強さ"…清原さんの「告白」を読んで感じたこと① | 女子アスリートブランドKINGLILYデザイナーの実録★着やせ体験ブログ◎

もう2017年も後半か、、、


あっという間やな〜


今日は久々に
"想い"の記事を書こうかな、と。



6月29日 発売号の
スポーツ雑誌Numberで、、、

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清原さんが特集されてたんですよ。


最初、表紙見て
清原さんって分からなかった!!



もともとNumberを手に取ったのは
別の意味があったんですが。


巻頭だったのもあって
なんとなく読み始めました。



もうね、、、


途中から熟読。
気付いたら泣きながら読んでた。



世間の人の
清原さんの印象ってどんな感じなんやろう?


わたしはまさに
"番長!"って感じの人やと思ってた。


風貌、メディアで拾われる部分、
どちらかというととがってて
少し怖いような印象。



覚せい剤の報道が流れたときは、
最初に"なんで?"って思った。


世間では、
その"行為"自体へのバッシングばかりで


様々な憶測、批判、
"この有名人がこんなことしました!"
ってそれだけで。



わたし思うんやけど、、、


明らかに
名が知られてるような人


覚せい剤をしてしまうっていうのは


どういう心境なんやろう!?って
みんな疑問に思わないのかな?


だって、誰でも知ってる。
それが悪いことということは。
バレたら大変なことになる、くらいは。


それがハッキリわかってて
それでもそうせざるを得なかった
その事情って、何?って。


でもメディアも情報も
そんなことどーでもよくて


ただただ、スクープなんですよね。


どんな事情とどんな想いの先に
その行動に至ったのか


至ってしまったのか
いや、至ってしまうくらいの"何か"


それって何だったのかなって。



Numberには、
本当に飾らない正直でそのままの
"想い"が綴られていて、、、



わたしは
オリンピックに行けなかったし


メディアに注目されるような
選手でもなかったし


到底 "気持ちがわかる" なんて
おこがましいんだけど


ほんの少し、分かる部分があって
気付いたらすげー泣いてた。



勝負の世界って
本当に苦しいことの連続で。


属する限り他者によって
"結果"で評価され続ける世界。


勝者の陰に
敗者がいて


敗者が
存在しなければ


そもそも勝負というもの自体が
存在しない訳なんだけど


勝者がその存在を口にすることでしか
敗者の存在は社会的に知られない。



同じように競技に両足突っ込んで
これしかない!って人生かけて、、、


本気だった。


きっとこんな自分が勝てば
誰かの希望になれるかもしれない。


お世話になった人に
おかげさまでって言いたい。


応援してきて良かった!って思ってほしい。
家族に感謝を伝えたい。


自分の"勝ちたい!"夢の先に
貢献したい想いも
役に立ちたい想いもあった。



レスリングが本当に好きで
本気で自分は勝てると信じてたけど


自分はもう勝てない。


そう思ったときに


シューズを履こうとするだけで
マットに上がろうとするだけで


涙がこみ上げてきて
戦えなくなってしまった。


自分も周りもまるで想像しなかった未来が
本当に来てしまったときに


同じ時間人生をかけても
頑張って頑張って頑張っても


勝って証明しない限りは


"自分なりに"努力した
"自分なりに"頑張った


世間的にはそれだけのことに
なってしまうことを知った。



わたしが引退後
まったく別の道に進んだのは


レスリングに
本当に本気だったからこそ。



今でも普通にあるけど、


"レスリングやってた"
って言うと


レスリングって
あの"〇〇(有名選手)"さんの!?


レスリングって
あの至学館大学すごいですよね〜!?


、、、


"わたし"は"わたし"なのに
わたしが消えてしまうような


目の前の"わたし"が
その瞬間いなくなるような


きっとそんな感覚を
感じ続けるんだろうなと思ったときに


自分にしかできない
大きな"何か"を成さなければ

自分で自分の存在も
心も守っていけない。


そう思ったから。



だけど自分がそれまで歩んできた道も
選んできた人生も誇り。


仲間も宝。


だからこそ悔しくなるような
少しでも後悔が残るような
そんな道は選びたくなかった。



わたしにできる
わたしだからできる

いや、わたしにしかできない
恩返しと貢献は、何か。


闘志が消えた悔しさで泣きながら
本気で考えて、考えて、


導き出した答えが


生まれながらに好きで得意だった絵と
20年かけて鍛え抜いた体と
それゆえ生まれた死活問題の悩みと
大好きな服、ファッションと、、、


生きてきた軌跡すべてを掛け合わせた
唯一無二の夢


女子アスリートの
ファッションブランドをつくる!


だった。



新しい夢を
志してから立ち上げるまでは


毎日が分からないこと、
知らなすぎることの連続で


でもそれが幸せで仕方なかった。


"分からないです"
"知らないです"
"教えてほしいです"


この言葉を素直に言えること
ほんと、それがすごく幸せだった。



選手時代、
完全に遅咲きだったわたしは


いつも"強さ"を演じてた。


有言実行を信条にして
目標をハッキリと口に出し


実は抱える不安も
実は抱える恐怖心も


理不尽に対する怒りも
実は負った心の傷も


見えないように見せないように
全力で隠して蓋をして


隠しきれない感情が溢れて
よく迷惑をかけてた。



"先輩だからナメられちゃいけない"
"不安を見せたら隙になる"


自分でかけた呪縛が
世界を狭めて


小さな世界で
いつも自分に首を絞められて。


周りもわたしが"強い人間"
"頑張れる人間"だと認識してたし


打たれても打たれても
這い上がるレッテルを貼られてて


勝てないと"口だけ"って言われたり
怒られ役をかって出たり


背中を見せなきゃ
引っ張っていかなきゃ


そんな想いが先行するのに
勝てなくて心が砕けそうで


それでも次こそは!って
頑張れる人間だって姿勢を見せ続けた。


そういうところを
頼りにされたりもしてたから


勝てなかったぶん
そういうところでしか
背中を見せられなかったし


頑張ること、 
人よりやることだけは


何かを伝えられると思って
少しは役に立てると思って


自分の気持ちはとりあえず置いといて
声上げて率先して引っ張ろうとしてた。



ただ、
自分がそんなんやから


傷付いてるだろうな、
今悔しいだろうな、っていう


"人の気持ち"
死ぬほど分かって


慰めてフォローするのも
励まして鼓舞するのも得意だったけど。。。



そう思うと本当に、、、


今、この道を選んで
良かったって心から思える。



プライドを持ち
慣れ親しんだところを手離したことで


素直な気持ちを取り戻せて
ずいぶん生きやすくなった。



"ブランドを持つ"
"服をデザインする"


って仕事は
その"服"が存在するためには


到底わたし1人の力じゃ
まったくもってムリなわけで。


志してから
今日までずっと


わたしが描く
叶えたい未来のために


わたしができないところを
支え、尽力してくれる人がいなければ


今日のわたしはいない。
KINGLILYは生まれることもできなかった。



選手時代、
自分が勝つか負けるか
死活問題だったけど


そんなもんは

物事の最後の出口の
ちっちゃい世界の
ほんの一端でしかなくて。


"試合"ってモノ自体
つまるところ、、、


その競技を生み出した人がいて
広めた人々がいて
オリンピック競技にするために
尽力した人々がいて

この国に協会があって
試合のスケジュールを
管理してくださる方々がいて
企画運営をしてくださる方々がいて
設営をしてくださる方々がいて
訴求活動をしてくださる方々がいて

見えない場所で力を尽くしてもらって
完璧に準備された


最後の砦で
戦わせて"もらえてた"


いやいやそしてその陰に
自分が勝てるようにと尽力してくださった指導者や
信じて支えてくれる会社があってこそ
共に戦う仲間に巡り会えて、、、
いやこの親の元に生まれてなければこの道を志すことはなかった
いやいや父母が出逢ってなければ…
この世に生まれてこなければ…エンドレス


、、、ってことに
本当の意味で気付いたことで


もう今までの人生に本気で感謝したし
生きてるだけで丸儲けって本気で思ったし


自分って恵まれてる!って心底思うし
自分に生まれて良かった!って心底思うし


こんな自分を大切にしてくれる人を
心から大切にしよう!って思うし


自分はこうして
生かしてもらえたから


自分は自分にできることで
貢献していこう!って嘘なく思える。


つまり、幸せなんです。



話がすんごい
脱線してるかと思われるかもですが


いやいや繋がってまして



もしもわたしが。


"本当は分からない"って言えずに
"本当は怖い、不安"って言えずに


助けてほしいけど
助けてって言ったら弱いと思われそうで


教えてって言ったら
そんなことも知らないの?って
ナメられるんじゃないかとか


そんな"心"を変えられずにいたら
どうなってたんだろう、って思う。



引退して1〜2年くらいのとき


どーーーしても

"ブランドを持つって
、、、どうやるの?"

その謎が解けなくて


誰にどう聞いたらいいかも分からなくて
何したらいいかも分からなくて


とりあえず生きるために(笑)
アルバイト掛け持ちしてたときに


選手時代の知り合いに

"最近どう?"
"どうやってやんの?"

とか言われると


心臓がバクバクしてた。
(絶対向こうは悪気もなく普通に聞いてるだけやのに)


また口だけって
思われたらどうしよう、とか。


こいつデカイこと言うたわりに
フリーターやん。
とか思われたらどうしよう、とか。



本当は何回も
自分には無理かもしれんって思ったし


いらんこと
言わんかったら良かった…
って思ったこともある。笑


選手時代の
"他者に対して強がる自分"

"できてない自分はダメ"と思う自分

できてない自分に焦る自分


その"心"
呼び起こさないためにも


過去の自分を知る人達とは
あえてなるべく距離をとった。



どんなに苦しくても悔しくても
夢のための今。


カッコ悪くても
もがき倒していこう!!


その方がきっと
掴んだときにドラマになる!!



そう信じて
進んでいけたのも


死ぬ気で人生かけて戦ってきた
情熱と体力、気力


格闘技の世界で培った
礼儀、礼節、挨拶、返事


強がりまくって
生きたことで培った(笑)
人の悲しみに気付ける心、
相手を尊重し、寄り添う心、、、


それらが本当に

"社会"で
すごく必要とされたから。


どこに行っても
一目置かれたし


どこを辞めても
惜しんでくれる人達がいた。



"勝てない選手"
だったわたしは


"それでも信じて諦めない心"
"それでも信じて辞めない心"
"それでも信じて打ち込む姿勢"


それらを知らないうちに
養っていたらしく


"やりたいこと"
"未知の世界"だったことで


とにかく素直に、熱心になれた。


知らないことを1つでも学べることが
本当に大きな喜びになった。



今思えば、
自虐でもなんでもなく


わたしは"勝てなかった"から


その先わたしがどーしようが
どんな道を選んで行こうが


世間に注目もされなければ
知ったこっちゃない存在だったことは


むしろ
ラッキーだったと思う。



わたしがもし、、、


清原さんほどの人だったら
どうだっただろう。



誰からも認められた実力で
いつか戦う世界を手離す時が来て


その先何を選ぶにしても
願わずとも開示され評価され


"自分はこんな人間"という
周囲からのイメージも固まっていて


そのすべては
嫌でも目に、耳に入ってくる。


そんな中で人を傷付ける以外に
自分を保つ方法と言われたら、、、


もし自分が同じ立場なら
もしかしたら


"絶対にしない"って
言い切れないかもしれない

、、、と思う自分がいる。。。



長くなるので(まだ喋るんかい)
次の記事に続きます、、、