楠板本尊に関するこれまでの記事 5

 

 

19.

本門寺の本尊について | 明るい未来へ弟子として生きる (ameblo.jp)

現存する大聖人御筆漫荼羅を分類すると

堀日亨上人の「第三、漫荼羅脇書等」(富要集8巻177-頁)から、

楠板本尊を除いて、弘安2年以前に御図顕された本尊は、15幅

         弘安2年以降に御図顕された本尊は、22幅有る。

「日蓮聖人曼荼羅一覧」(正宗所蔵の曼荼羅含まず)から、

         弘安2年以前に御図顕された本尊は、58幅、

         弘安2年に御図顕された本尊は、13幅、

         弘安2年10月以降に御図顕された本尊は、58幅有る。

次に「本門寺に懸け」「本門寺の重宝」と日興上人添字の本尊は、

「本門寺に懸け」との本尊は、4幅

「本門寺の重宝」との本尊は、8幅有る事が判り、

本門戒壇時には、日興上人は、これ等の御本尊を本門寺に懸けるつもりだったのでしょう。

もし、楠板本尊ならば、懸けるのではなく、安置する、設置する等の表現が相応しく、日興上人の時代には、楠板本尊は存在せず、

「弘安2年10月12日御図顕とされ本門戒壇の本尊と称する楠板本尊は、後世の模作である」

という証拠の一つなのです。

 

 

20.

堀日亨上人の本音 改定2 | 明るい未来へ弟子として生きる

「 むろん富士宗学要集の中には間々天註に注意しておいた。 御荷物の中に『御影』『御骨』はかならず御奉持であるべきであるが、板本尊にいたっては研究の余地が存ずる。(中略)現存大石の多数のものは、南条下之坊保管の物であり興師の延山時代には関係ない。 すでに原殿抄の末文にあるごとく、延山の常住物はなに一つ持ち出してない。涅槃経の中の二巻を御使用のまま持ち出されたので、十二月十六日に返還せられてあるくらいで、したがって日尊実録の中にも 『身延沢御退出の刻・公方・聖教・世事雑具等皆悉く御墓所に之を置く可きの由、衆徒に相触れられし時、面々供奉の人々一紙半銭も持ち出ることなし』 と書いておる。 とうぜんのことである。」 (富士日興上人詳伝(上)280-281頁、聖教文庫)

 と綴られ、日亨上人は、日精上人の人柄や証拠品の内容に触れられながら「日興上人は、身延山久遠寺の別当(寺の最高責任者)であったにもかかわらず、身延離山時に板御本尊の持ち出しはしていない」と、強く信じて書かれておられるのです。

 

 

21.

御本尊(文字曼荼羅)について 4 | 明るい未来へ弟子として生きる (ameblo.jp)

大聖人の仏滅表示は、弘安元年七月以前は「仏滅後」と付記し、弘安元年七月以後では「仏滅度後」と付記されていますが、弘安2年10月12日御図顕とされる「楠板本尊」は、「仏滅後」と表記されています。此の事実により、「楠板本尊」は大聖人が御図顕された御本尊では無いという証拠となります。

 

 

22.

楠板本尊が大聖人御図顕でない簡単且つ決定的証拠 | 明るい未来へ弟子として生きる

①御真筆で図顕年月日が記載されている御本尊は全て「干支」も付記されているが、楠板本尊には「干支」の記載がありません。図顕年月日が記載され干支の無記載は日興上人以降の様式なのです。

②弘安元年七月以降の御真筆本尊は全て「仏滅度後」との讃文だが、弘安二年十月御図顕とされる楠板本尊は「仏滅後」の表示です。

 私が調べた処では①②共に例外はありません。

 

 

 

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