桂ざこばさん死去 | 女装男子かなこのブログ

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上方落語を代表する落語家の桂ざこば(本名・関口弘=せきぐち・ひろむ)さんが6月12日、ぜんそくのため、大阪府吹田市の自宅で死去しました。


76歳でした。


所属する米朝事務所が同日、発表しました。


ざこばさんは2017年5月に大阪松竹座の舞台公演の稽古前に、体調不良のため緊急搬送。左中大脳動脈閉鎖症、塞栓(そくせん)性脳梗塞と診断され、入院しました。


約2か月後には仕事復帰したが、以後は長年吸っていたタバコ🚬をやめ、ネタの記憶や発声と闘いながら高座を務めました。


2021年暮れには持病のぜん息と慢性閉塞性肺疾患(COPD)を併発して、入退院を繰り返していました。


桂ざこばさんは1947年9月21日生まれ、大阪市出身。


中学校卒業後、1963年5月に三代目桂米朝さん(2015年死去)に入門、桂朝丸の芸名を授かりました。


1965年から米朝さんが司会を務めた演芸番組「お笑いとんち袋」(関西テレビ)で活躍し、自作ネタ「動物いじめ」で人気者になりました。


1975年に始まった「ウィークエンダー」(日テレ)では、ちまたに起こった事件を大阪弁でまくしたてるように解説するレポートがウケて、全国的に名を知らしめました。


1988年には二代目桂ざこばを襲名し、人情味あふれる芸風で米朝さん直伝の古典落語を得意としていました。


1999年に兄弟子の桂枝雀さんが亡くなった後は、事実上の筆頭弟子として米朝一門を支えました。


1992、2003年に2度、上方お笑い大賞を受賞しました。


2008年には大阪・動物園前に自ら寄席小屋「動楽亭」をオープン。


上方落語協会の理事や相談役を務めました。


後進の育成にも力を入れ、2015年年には桂枝雀さん(故人)の長男・桂りょうばさんを弟子に迎えました。


2017年には文化庁の「芸術選奨大衆芸能部門文部科学大臣賞」を受賞しました。


高座と並行してタレント業も精力的に活動しました。


テレビ番組では「バラエティー生活笑百科」(NHK)や「そこまで言って委員会NP」(読売テレビ)、「ウィークエンダー」(日テレ)、「ざこば・鶴瓶らくごのご」「探偵!ナイトスクープ」(朝日放送)「痛快!エブリデイ」(関西テレビ)「ちちんぷいぷい」(毎日放送)などに出演し、舌鋒鋭いトークがお茶の間に好評でした。


今年4月には弟子の桂ひろばさん、桂ちょうばさん、桂そうばさんのトリプル襲名発表会見に出席。


「ぜんそくで苦しいんですわ」と話しながらも「同時襲名で、ありがたいこと。3人をよろしくお願いします」と頭を下げていました。


米朝事務所の滝川裕久社長は「あまりにも突然の事で、ご家族も今は悲しみにくれるばかりです」とコメント。


また「我々スタッフにもお気遣いくださる、とても素敵な師匠でした」と、その人柄を伝えました。


ざこばさんの師匠、三代目桂米朝さんの長男で落語家、弟弟子にあたる桂米団治さんがコメントを寄せました。


米団治さんが幼稚園に通いだしたころに入門したのがざこば(当時は朝丸)さん。


「本当によく遊んでもらいました。4歳の私を15歳の少年が面倒みるのですから、さぞかし大変だったことでしょう。ボール投げ、缶蹴り、ザリガニ捕りなど、思い出は一杯あります(原文まま)」と懐かしんでいました。


米朝さんは修行中の弟子を自宅に住み込ませていたため、「私は長男でありながら、家には常に“お兄ちゃん”がいました」と回想。


中でもざこばさんは「師弟愛が強く、『俺こそ、ちゃあちゃん(米朝さんの愛称)の一番の子どもや』という思いがおありになった」と振り返りました。


米団治さんが噺家の道へ進んでからも助言をくれました。


「私の考え方がおかしいと思われた時は容赦なく叱って下さいました。何事にも一所懸命に振る舞われたお兄さん お兄さんの落語に登場する人物は、どの人も『情』に溢れています。まだまだ追いつけませんが、お兄さんの教えを受け継いでまいります。本当にありがとうございました。合掌」と故人をしのんでいました。