アニメ戦争 | 女装男子かなこのブログ

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テレビアニメ「シンカリオン」シリーズの最新作「シンカリオン チェンジ ザ ワールド」が、テレビ東京系で4月7日午前8時30分から、BSテレビ東京で深夜(翌日午前)0時35分から放送されることが発表されました。


地上波のテレビ東京系で放送される時間帯は、朝日放送・テレビ朝日系で現在放送中のアニメ「わんだふるぷりきゅあ!」と同じ時刻の日曜朝8時30分となっています。


ゴールデン・プライムタイム(夜7時~11時)からテレビ東京系とNHK Eテレを除いてアニメが消滅した今、アニメが重複する編成は珍しいです。


子供たちにとってはどっちを見ようか、悩ましいところですが、やはり「わんだふるぷりきゅあ!」の方が強いです。


というのも、テレビ朝日系列はフルネット24局に対し、テレビ東京系列は6局しかないからです。


なお、テレビ朝日系クロスネットの福井放送とテレビ宮崎はともに「プリキュア」を放送していません。


ちなみに、福井県は当初から「プリキュア」は非放送、宮崎県は系列外の宮崎放送(TBS系)で放送していたが「キラキラ☆プリキュアアラモード」を最後に打ち切りになってしまいました。


テレビ朝日系列以外で「プリキュア」を放送しているのは山陰放送(TBS系、鳥取県・島根県)のみで、日曜朝6時15分から1週間遅れの放送です。


それに、「シンカリオン チェンジ ザ ワールド」のBSテレビ東京での放送時間が日曜日の深夜(月曜日未明)なので、テレビ東京の系列局がない地域では、子供がリアルタイムで見るのはまず不可能です。


1980年代中盤まで、アニメ番組はテレビ局にとって視聴率のドル箱でした。


今となっては考えられませんが、午後7時台放送のアニメなら、視聴率20%超えは当たり前でした。


20%を切ったらアニメじゃない、そのように言われていた時代もあったのです。


なぜ当時はアニメが高い視聴率を誇ったのか。


大きな理由としては、日本の人口ボリュームで多数を占める団塊ジュニア世代が子供の時期だったため、視聴者として大きな存在感を示していたことが挙げられます。


家庭用VTRもまだ普及しておらず、アニメはテレビで直接見るのが当たり前だった点も大きいでしょう。 


また、子供たち(特に小学生)の塾通いや習い事も今ほど盛んではなく、夕方は家にいることが多い時代でした。


子供たちが食卓につきながら、アニメを見る環境が完璧に整っていたのです。


そこで、テレビ局もおのずとアニメに力を入れることになります。


どの曜日でもチャンネルを回せば何かしらアニメを放送しており、子供たちは夢中になって見ていたものです。


今から思えば、子育てをしていたお母さんからすれば、とてもありがたい存在だったのではないでしょうか。 


しかし、のどかな光景の裏側で、業界ではし烈な競争が繰り広げられていたのもまた事実だったのです。 


例を挙げると、関東圏の1981年10月の金曜午後6時は日本テレビで「六神合体ゴッドマーズ」が、テレビ東京では「太陽の牙ダグラム」がスタートし、当時の少年たちを困らせていました。


1981年10月には当時子供たちの間で爆発的な人気を誇っていた「ドラえもん」(テレビ朝日)が日曜朝から金曜夜7時のゴールデンタイムに昇格、その裏で「ワンワン三銃士」「じゃりン子チエ」「銀河漂流バイファム」(TBS、毎日放送制作)が放送されました。


同じ金曜夜7時ではその前の1978~79年には「キャンディキャンディ」「花の子ルンルン」(テレビ朝日)の真裏で「まんが偉人物語」「まんがこども文庫」(TBS、毎日放送制作)が放送されていました。

「まんが偉人物語」「まんがこども文庫」とも、いかにも「アダルト路線」だったTBSらしい硬質なアニメでした。

「まんがこども文庫」は1918~36年に掛けて発行されていた児童向けの童話・童謡雑誌「赤い鳥」などに掲載された大正~昭和期の児童文学作品をアニメ化したものでした。

「まんが偉人物語」「まんがこども文庫」ともに1話が15分尺で、様々な偉人物語や児童文学作品を矢継ぎ早にアニメ化していったという、同じ毎日放送とグループ・タック(2010年倒産)が制作に関与していた「まんが日本昔ばなし」と同じような流れで、実際「まんが日本昔ばなし」のスタッフも番組制作に多く関与していました。

「まんがこども文庫」の主題歌は堀江美都子さんが歌っていたが、その真裏の「キャンディキャンディ」「花の子ルンルン」も同じく堀江美都子さんが主題歌を歌っていたから驚きです。


ただ、視聴率については、「キャンディキャンディ」「花の子ルンルン」の圧勝だったようです。


「まんが偉人物語」「まんがこども文庫」ともにかなり良質そうな番組だが、子ども受けがよくなかったのでしょう。


1983年に始まった「キン肉マン」(日テレ)は日曜朝10時からの放送だったが、視聴率が好調だったため1986年4月から火曜夜7時のゴールデンタイムに昇格、裏番組の「サザエさん」(再生)(フジテレビ)「藤子不二雄ワイド」(テレビ朝日)と視聴率競争を繰り広げました。


ゴールデンタイム昇格後の「キン肉マン」は6か月で終了したが、これは視聴率が低迷したからではなく、アニメの放映が漫画の連載に追いついたからです。


当時、漫画が原作のテレビアニメは、放映が漫画の連載に追いついたら終了、ということが少なくありませんでした。


ところが、「キン肉マン」の後番組「ドテラマン」は視聴率が大きく低迷、加えて著作権侵害を巡って裁判を起こされたり、スポンサーの降板でわずか5か月で打ち切りになってしまいました。


その前の火曜夜7時枠で、「サザエさん」(再生)の裏番組で1975年10月から「草原の少女ローラ」、1976年3月から「UFO戦士ダイアポロン」、同年10月から「ろぼっ子ビートン」(いずれもTBS)が放送されていたが、いずれも視聴率が振るわず、再生番組に視聴率で負けるという屈辱的な結果でした。


「草原の少女ローラ」は海外作品が原作であるため、権利上の理由から現在は再放送が不可能です。


「UFO戦士ダイアポロン」はスポンサーのブルマァクから放送延長の申し出があったが折り合いがつかず6か月で打ち切りとなり、その後は東京12チャンネルに移動、ブルマァクも1977年に倒産しました。


「ろぼっ子ビートン」の後番組が、当時人気絶頂だったザ・ドリフターズを声優に起用した人形劇「飛べ!孫悟空」で、視聴率争いは「サザエさん」(再生)と互角だったので、低調ぶりが余計に際立つ形となりました。


「サザエさん」(再生)の裏番組では、1978年から「宇宙海賊キャプテンハーロック」「サイボーグ009」「怪物くん」(いずれもテレビ朝日)が放送され、視聴率争いを繰り広げました。


1975年10月には金曜夜7時で「勇者ライディーン」(テレビ朝日)「わんぱく大昔クムクム」(TBS、毎日放送制作)「ラ・セーヌの星」(フジテレビ)と、同じ時間帯に同じサンライズ制作のアニメが3番組重なるという事態でした。


このように、複数のアニメ放送がぶつかり合うことなど日常茶飯事だったのです。


このような「裏番組」競争は、他にも数知れず存在していましたが、その中でも特にすさまじい競争が繰り広げられたのが、1982年春の月曜夜7時の枠です。


しかもこの時の争いは、ただアニメ同士が視聴率を競い合っただけでなく、アニメの歴史に残る事件まで起こっていました。


いったいこの時なにがあったのか、紹介していきましょう。


1982年4月の月曜日、夜7時から放送されていたアニメとは(関東地方基準)、

日本テレビ「ゲームセンターあらし」

フジテレビ「釣りキチ三平」 

テレビ朝日「あさりちゃん」

テレビ東京「手塚治虫のドン・ドラキュラ」

以上、4作品となります。


アニメでなかったのはNHK(「NHKニュース」)とTBS(「クイズ100人に聞きました」)だけでした。(NHK教育の番組は不明)


「ゲームセンターあらし」は、すがやみつる先生が月刊「コロコロコミック」などで連載されたマンガを原作としたアニメで、主人公の石野あらしがさまざまな強敵とゲームで対戦する物語で、当時の子供からは熱狂的な支持を受けていました。


「釣りキチ三平」は矢口高雄先生(故人)原作のマンガをアニメ化した、当時の子供に釣りの面白さを教えてくれた名作です。


ただし、この時期は放送2年目に当たり、翌5月に放送は終了しています。 


「あさりちゃん」は小学館の学年誌に連載された室山まゆみ先生の漫画が原作のアニメで、小学生のあさりちゃんがママのカミナリや姉のタタミからのイビリにもめげず、元気に日々を過ごす物語です。


アニメ化された時期は連載開始数年の状況でしたが、後に長期連載となり2014年に連載を終了しました。


単行本100巻の金字塔を打ち立てるなど、少女マンガ史に燦然と輝く偉大な作品です。 


そして4つ目の作品が、「手塚治虫のドン・ドラキュラ」です。


その名の通り、手塚治虫先生(故人)の原作マンガ「ドン・ドラキュラ」をアニメ化した作品ですが、本作は日本のアニメ史上「最短で終了した連続テレビアニメ」という記録を持っています。


関東地方は全4話で打ち切りとなってしまいました。


地方局では7話、もしくは8話まで放送されたところも確認されています。


脚本を担当した小山高生氏によると、担当した広告代理店が4月末までに支払わなければならない電波料を納められず、5月末まで伸ばしてほしいと交渉したが認められなかったため、放送を打ち切られてしまったとのことです。


結局、その広告代理店は倒産しました。


脚本は21話まで完成していたものの5本分が不渡りとなったことを明かしています。 


「ドン・ドラキュラ」は真価を発揮することなく終了してしまいましたが、同じ曜日、同じ時間に並べられたタイトルとしては、歴史に名を残すレベルの作者が手掛けた作品ばかりです。


今は大人となった当時の子供たちは、「あの頃どのアニメを見てた?」と思うでしょうか。