野球殿堂博物館は18日、今年の殿堂入りを発表しました。
競技者表彰のプレーヤー部門で元広島の黒田博樹氏(48)、元中日監督の谷繁元信氏(53)が選ばれました。
エキスパート部門では2年ぶりに殿堂入りがありませんでした。
黒田博樹氏は専修大学から1996年ドラフト2位(逆指名)で広島入り。
2005年に最多勝、2006年に最優秀防御率に輝き、2007年オフにロサンゼルス・ドジャースにフリーエージェントで移籍。
2012年にニューヨーク・ヤンキースに移籍し、2015年に広島に8年ぶりに復帰。
2016年7月23日の阪神戦で日米通算200勝を達成しました。
同年限りで現役引退しました。
日米通算成績は533試合登板で203勝184敗1セーブ、防御率3.51。
日本球界のみでは321試合登板、124勝105敗1セーブ、防御率3.55。
背番号15は広島の永久欠番になりました。
男気あふれる投球でファンに愛された黒田氏は「カープに入団していなければ、きょうのような日を迎えることはなかった」などと喜びを語りました。
候補者資格取得3年目での殿堂入り。
黒田氏は壇上で「自分が選ばれていいのかなというのが一番の感想」と率直な思いを明かし、「大変名誉な選出をしていただいた。すべての方々にお礼を申し上げたい」と晴れやかな表情で感謝しました。
2リーグ制以降、大卒では村山実投手(阪神、故人)に次いで2人目の200勝投手となる日米通算203勝。
通算投球回数3340回2/3は野茂英雄投手(近鉄、ドジャースほか)を上回り、日米両球界でプレーした投手でトップです。
谷繁元信氏は島根・江の川高校(現石見智翠館高校)から1988年ドラフト1位で大洋(現DeNA)入団。
1998年に正捕手として球団38年ぶりの日本一に貢献しました。
2001年オフに中日にフリーエージェント移籍し、2013年には捕手として史上3人目の通算2000安打を達成。
2014年から兼任監督を務め、2015年に現役引退。
2016年は専任監督。
通算成績は3021試合出場(プロ野球記録)で打率.240、2108安打、229本塁打、1040打点。
谷繁氏は「正直なところ“まさか自分が”と。名誉なこと。大変光栄に思います」と驚きとともに殿堂入りを喜びました。
捕手での2963試合出場、27年連続本塁打はともにプロ野球記録、ギネス世界記録に認定されており、会見で「誇れる記録だと思う」と頬を緩めました。
谷繁氏はプロ野球歴代最多の通算3021試合に出場。
2015年7月28日の阪神戦で3018試合目とし、野村克也の3017試合を上回る単独トップに立ちました。
通算出場試合数ベスト5の選手の殿堂入りは、1996年の衣笠祥雄(当時4位)以来28年ぶり。
上位5人全員が殿堂入りしたのは、今回が初めてのケースです。
昨年は元阪神のランディ・バース氏が選出されたエキスパート表彰では、今回も阪神OBの掛布雅之氏が最多得票も、当選に必要な有効投票数の75%(111票)に2票及びませんでした。
特別表彰では元審判員の谷村友一氏(故人)の殿堂入りが決まりました。
谷村友一氏は1927年8月22日生まれ、アメリカ・ニューヨーク州出身。
同志社大学の内野手から商社に務めながら高校、大学、社会人の審判を続け、プロの審判となりました。
同氏がジャッジをしていた1970~80年代にマウンドに上がっていた通算203勝の堀内恒夫氏(巨人)、128勝133セーブの斎藤明雄氏(大洋)は異口同音に「ストライクゾーンのぶれない、公平な審判でした」と言います。
1973年、巨人がV9を決めた阪神との最終戦決戦で球審を務めました。
大差での試合後、阪神ファンが乱入したことで知られるが淡々とジャッジし続けました。
審判への褒め言葉の一つに“試合が終わって誰が球審をやっていたのかわからない”があります。
歴代17位の通算3026試合ながら、谷村氏はその言葉にぴったりの名審判でした。
2022年、94歳で亡くなりました。
プロ野球の審判としての実績が評価されての殿堂入りは1991年の筒井修氏(故人)以来5人目です。