ホームラン・ブギ | 女装男子かなこのブログ

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ホームラン・ブギ/笠置シズ子 




2023年10月から放送されているNHK連続テレビ小説「ブギウギ」の主人公のモデルは、戦後の混沌とした時代に、陽気で明るい歌声で当時の日本人たちから絶大な人気を得た、笠置シズ子さん(故人)です。


タイトルが「ブギウギ」とあるように、ブギウギの女王として世に出た、そんな彼女の歌唱曲の中にベースボールソングがあるのです。


ブギウギが最初に人気を集めたのは1910~1920年代のシカゴ。


この8ビートのシャッフルのリズムを、日本流に取り入れたのは作曲家の服部良一(故人)でした。

 

ジャズ史で「ブギウギ・ピアニストのパイオニア」と言われているジミー・ヤンシーは、地元ホワイトソックスのグラウンドキーパーとして半生を過ごしました。


このブギウギが太平洋を渡り、 日本の野球の歌となったなんて、なんという縁なんでしょうか。


そんな曲が、今回紹介する1949年(昭和24)7月発売の「ホームラン・ブギ」です。


作詞はサトウハチロー、作曲は服部良一。


これを歌うのは笠置シズ子。


「日本野球の歌」(藤山一郎)のB面曲だが、別の言い方をすれば変則両A面でしょうか。


前年、服部が笠置のために書いた「東京ブギウギ」が空前のヒット。


笠置のちょっとかすれた声、あけっぴろげな歌唱、派手なステージパフォーマンスがあいまって、世はブギウギの時代へ、戦後の復興はブギウギのリズムに乗って加速しました。

 

笠置が歌ったものだけでも「さくらブギウギ」「ヘイヘイブギ」「博多ブギ」「北海ブギ」 「大阪ブギウギ」「ジャングルブギ」「買物ブギ」などがあります。

 

さてさて、「ホームラン・ブギ」を聴いてみよう。 


「ホームラン・ブギ」は、日本の数え歌スタイルをとっています。


当時主流だったSPレコード(直径20~25センチ、78回転/分)の収録時間の制約により、3・4番が省かれているが、以後も省略したバージョンで歌われています。(現在、SPレコードは製造されていない)


歌詞には日米のホームランバッターが挙げられています。


「カイナー」はラルフ・カイナー(1922~2014)。


ピッツバーグ・パイレーツやシカゴ・カブス、クリーブランド・インディアンズ(現在のクリーブランド・ガーディアンズ)で活躍した右投右打の外野手。


アメリカ野球殿堂入りを果たし、パイレーツ時代の背番号4は永久欠番となっています。


「マイス」はジョニー・マイズ(1913~1993)。


セントルイス・カージナルス、ニューヨーク・ジャイアンツ(現在のサンフランシスコ・ジャイアンツ)でホームラン王を4度獲得した右投左打の一塁手。


こちらもアメリカ野球殿堂入りを果たしました。


一方、日本代表は「川上哲治」と「青田昇」。


8番で出てくるのは、当時のプロ野球8球団です。 


♪八つチームの ホームラン・ブギ

「虎」に「巨人」に 「ロビンス」「阪急」 「鷹」に「東急」 「中日」「スターズ」

みんな揃って 元気な元気な選手


「虎」大阪タイガース(現在の阪神タイガース)

「巨人」読売ジャイアンツ

「ロビンス」大陽ロビンス(現存しない)

「阪急」阪急ブレーブス(現在のオリックスバファローズ)

 「鷹」南海ホークス(現在の福岡ソフトバンクホークス)

「東急」東急フライヤーズ(現在の北海道日本ハムファイターズ)

「中日」中日ドラゴンズ

「スターズ」大映スターズ(現存しない)


最後の9番に出てくるのは、かつては甲子園球場の名物だったラッキーゾーン。


これはホームランが出にくいのを慮って、球場が1947年(昭和22)に設置したもので、1991年(平成3)を最後に廃止されました。


金網を忍者のようによじのぼって、ホームランをキャッチなんてこともありました。


♪一つかんと打ちゃ ホームラン・ブギ

広いスタンド 拍手が湧けば

飛ぶよ飛ぶ飛ぶ はるかのはるか

空の青さよ 芝生の芝生の青さ


2003年(平成15年)には吉田拓郎さんもカバーしました。


タイトルは「ホームラン・ブギ2003」となっているが歌詞はオリジナル通りで、オリックスに身売りされた阪急、日本ハムに身売りされた東急、消滅したロビンス、スターズも含まれる「八つチーム」も、1991年に撤去された甲子園のラッキーゾーンも原曲のままです。


こちらは2003~04年のフジテレビ系のプロ野球中継のテーマ曲に使用されました。


こちらも悪くはないが、笠置バージョンには、厳しい時代を生き抜き、野球を楽しもうとする人々の明るい笑顔が浮かんできます。


この曲が発売された当時はプロ野球がまだ「職業野球」と呼ばれており、当時の1リーグ時代を反映した歌詞となっています。


この年の末、プロ野球は2リーグ制に移行しました。


笠置シズ子は「NHK紅白歌合戦」に生涯で4回出場しており、2回目の出場となった第3回(1953年1月2日放送)では、この曲が紅組のトリを飾りました。


ただし、当時はラジオのみの放送で、テレビはまだ実験放送の段階であり、残念なことに映像と音声が残っていません。


もうひとつ残念なことに、「ホームラン・ブギ」はカラオケはDAM、JOYSOUNDともにありません。


「ホームラン・ブギ」は音楽配信では聴く🎧️‼️ことができます。


ホームランは野球の華。


ホームランがなかったとしたら、野球はやっぱり味気がありません。


青空に白球が描く美しい放物線。


これからも、ホームランがつくるドラマを見続けていきたいものです。