悪の組織や怪人、怪獣たちから守ってくれる強~い味方といえば、特撮ヒーローです。
「月光仮面」に「ウルトラマン」「仮面ライダー」などなど、昭和30年代から令和の今に至るまで、数多くのヒーローが登場し、世界を救ってきました。
そんななか、ひときわ異彩を放つヒーロー番組があったのをご存じでしょうか?
その名は「突撃!ヒューマン!!」です。
日本テレビ系で1972年10月から12月まで放送された「突撃!ヒューマン!!」は、当時、子供たちの心をわしづかみにしていた「仮面ライダー」(毎日放送・NET(現在のテレビ朝日)系)に対抗する番組として作られました。
放送時間も「仮面ライダー」と同じ土曜夜7時30分からでした。
出演者も注目のスターたちで、主役は、失神バンドの異名で知られた大人気グループ・サウンズ「オックス」のメンバーだった夏夕介さん(故人)でした。
ヒロインは、その後デビューしてキャンディーズのスーちゃんとして親しまれることになる田中好子さん(故人)。
ちなみに主役オーディションには、あの松田優作さん(故人)も参加していたそうです。
話題性のある出演者もそろえて、ライバル「仮面ライダー」と闘うのですから、ひと味もふた味も違うヒーロー像かと思いきや、物語の設定自体はそれほど珍しいものではありません。
主人公は体操コーチの岩城淳一郎。
彼は子供たちの身体を鍛えるために日本中を旅しているのですが、もちろんそれは仮の姿で、正体はヒューマン星からやってきた宇宙人。
地球征服をもくろむフラッシャー軍団と闘いながら地球を守っている正義の使者なのです。いわばヒーローものの王道です。
では、「突撃!ヒューマン!!」はどんな手法で「仮面ライダー」に立ち向かったのかというと……収録方法が公開番組スタイルという、斬新な一手だったのです。
公開番組といえば、その代表格はザ・ドリフターズの「8時だヨ!全員集合」。
毎週、各地の市民会館などを巡り、客席を沸かせていましたよね。
コント中、背後からの危険に気づかずにいる志村けんさん(故人)に向かって会場から「志村、後ろっ~!」と叫ぶのはお約束。
舞台も客席も一体化した、熱気渦巻くあの公開番組スタイルを、「突撃!ヒューマン!!」は取り入れたのです。
主人公の岩城はピンチに陥ると、客席の子供たちに変身パワーを送ってくれるように呼びかけます。
すると子供たちは、あらかじめ配られていた「ヒューマン・サイン」と呼ばれる円盤をくるくると回して、ヒューマンの変身を助けます。
しかも岩城は毎回すぐには変身せず「まだまだエネルギーが足りない!」「もっと回してくれ!」などと子供たちのボルテージをこれでもかと高めるのです。
子供たちのナマの声援を受けての変身は、まさに公開番組ならではの醍醐味と言えるでしょう。
しかし、公開番組には制約もありました。
子供たちが最も興奮する変身シーンは、他番組のように映像処理で一瞬にして姿を変えるということはできません。
特撮と分類されはするものの舞台劇であるヒューマンの場合、客席の後方から舞台へと張られた紐を使ってヒューマンの人形を飛ばし、舞台裏に消えたところで、さも今飛んできたような顔をしてヒューマンが現れる……という手間がかけられていました。
また、火薬を使っての派手な爆破シーンなども不可能なため、演出はおのずとイリュージョンやマジックに寄りがちでした。
たとえば、敵のフラッシャー軍団は子供を消すことができるという道具を持っていましたが、これはマジシャンが使う仕掛けで、フラッシャー軍団の一人に本物のマジシャンを配置して操作させていたのだそうです。
「突撃!ヒューマン!!」は制作に手間をかけたにも関わらず、「仮面ライダー」には力及ばずわずか3か月と、その時代の特撮ヒーローものとしては短命に終わりました。
しかし、子供たちのナマの声援を受けて戦うことのできたヒューマンは、もしかしたら一番幸せなヒーローだったかもしれません。
「突撃!ヒューマン!!」はマスターテープが処分された(廃棄されたのではなく、再放送の後に別の番組が上書き録画された)可能性が高く、CS放送もDVD化もされていません。
本作のショーは全国各地で開催されており、宮城県内のスーパーマーケット屋上やレジャー施設などで行われたショーの様子が偶然にもアマチュアカメラマンによって撮影され、その8ミリフィルムが2009年に発見されました。
その時の映像が同年12月に発売されたDVD「懐かしのせんだい・みやぎ映像集 昭和の情景」に収められています。