生涯打率10割、生涯長打率40割の選手 | 女装男子かなこのブログ

女装男子かなこのブログ

あたし、かわいいものが大好きな女装男子です❗
女装に年齢は関係ありません❗

日本プロ野球で、「生涯打率10割、生涯長打率40割」という選手が2人います。
(打率=安打数÷打数、長打率=塁打数÷打数)

といっても、選手生活でただ一度だけ立った打席でホームランを打ったのです。

1人は、1990~1992年にオリックス・ブルーウェーブでプレーしたシュルジー投手です。

1991年5月29日、日生球場、近鉄バファローズVSオリックス・ブルーウェーブ戦の延長11回表。

「六番・ピッチャー、シュルジー」のアナウンスに「オリックスもしゃあねえなあ」と失笑していたスタンドも、そのシュルジーが近鉄の若き守護神・赤堀元之投手から左中間の照明灯にぶち当てる勝ち越しの一発を放った瞬間、球場は大騒ぎになりました。

そもそもパ・リーグの投手陣は、1975年に指名打者制が導入されて以来、打席に立つことすらほとんどなくなってしまっていた。

“投げるだけの人”だったパ・リーグの投手が、指名打者制実施以来、初のホームランまで打って、自らを勝利投手にしてしまったのだから、これだけならまさに“珍プレー中の好プレー”といったところでした。

この試合、オリックスは5対3とリードしていた9回ウラ、先発の長谷川滋利投手に代わり、シュルジー投手が登板しましたが、指名打者が守備についたため、シュルジー投手は6番の打順に入りました。(指名打者が守備につくと、投手を打順に入れなければならないため)

だが、シュルジー投手が打たれ同点にされ、長谷川投手のプロ初勝利も消え、延長に入りました。

オリックスは時間切れ(当時のパ・リーグは4時間を越えると新しいイニングに入らない時間制限があった)を見越し、シュルジー投手をそのまま打たせたところ快打となりました。

1990~92年の3年間、オリックスでプレーしたシュルジー投手の投手成績は通算12勝11敗10セーブでしたが、打席はこの1打席のみでした。

つまり生涯打撃成績は1打席1本塁打、打率は10割、長打率は40割になります

もう1人は、塩瀬盛道投手(東急フライヤーズ、故人)です。

1950年5月11日の大映スターズ戦、5回ウラ2アウトから蔦文也投手(後の池田高校(徳島県)野球部監督、故人)に代わり登板しましたが、0対18と大量リードを許し、試合中盤なのに敗戦処理の様相でした。

塩瀬投手は6回表2アウト一塁で回ってきた打席で、ライトスタンドへ本塁打を打ちました。

投球は6回終了で降板、1回1/3で2安打5四球、ボークもあり2失点、2自責点でした。

これが塩瀬投手のプロ生活で唯一の登板、打席になりました。

塩瀬投手はその年限りで退団、以後プロ野球でプレーすることはありませんでした。

したがって塩瀬投手の生涯打撃成績は1打席1本塁打、打率10割、長打率40割になります。

(オリックス・ブルーウェーブは現在のオリックス・バファローズ、東急フライヤーズは現在の日本ハムファイターズ、近鉄バファローズと大映スターズは現存しない)