ここ数日来、流れてくる経済に係るニュースはとても衝撃的なものであった。
知の探究をするにあたって、元々は「知を愛する事」を総称した哲学は、全ての学問分野を指し示していたものであった。それはいい。
しかし大変解りにくいので、人文科学分野、社会科学分野、自然科学分野と分けて表記すると分野別に理解しやすい。
人文科学分野
哲学
倫理学
美学
文学
歴史学
社会科学分野
法学
政治学
経済学
経営学
社会学
心理学
自然科学分野
数学
物理学
化学
生物学
地学
自然科学分野は、いま私たちが暮らすこの世界で起こる現象を論理的に説明する学問である。その昔、心霊現象や神の存在として片付けられてきた現象は、常に科学的に解明立証されてきた。知らないことへの恐怖心を克服する為の学問であると捉えればよい。よく例えられるのが、自然科学を知らないのは、暗闇を進むと見えないものが見えてくるのと同じことで、暗闇を自然科学という明かりで照らせば、見える必要のないものは見えず、見えるものが見える、と。お見事。
社会科学分野は、いま私たちが暮らすこの社会で私たちが作り上げた仕組みや原理を説明する学問である。意外に知られていない政治学の中身を勉強してみると、マイクを持って声高に叫ぶ政治家が、如何にいいかげんなことを唱えているかを理解するであろう。国民の声を聴く、市民一人一人の意見を聴く、こんな言葉を使う政治家は、政治家として失格だ。今すぐ政治家を辞めろ。都民はこれから石丸さんに学んでいくことになるだろう。外国の政治家で国民の声を聴くなんて公言する政治家は選ばれないので存在しない。
人文科学分野は、知的好奇心の対象となる分野である。尤も、学ばなくとも、知らなくとも生きていけるのだが、知的探求心は、心を豊かに育み、生きていく喜びはじゅうぶんな満足感を得る。所謂趣向分野だ。だからこそ我々は、この分野を求め、知的好奇心を満たしていく。音楽活動や、絵を描くこと、模型をたしなむことなどはこの分野なのだ。
だがしかし、この学問を切り分けることが仇となっているのが今の日本だと考えている。
それぞれ独立した分野を探求して学んできた日本人は、学際的に横断的な思考訓練を重ねて成長した諸外国の人々に負け始めて久しい。
例えば、こんな質問実験がある。
とある北国の送電線の電線は、断面をカットすると平べったいのだが、それが何故か、という質問を外国人と日本人に訊いた実験だ。
質問実験の結果、外国人だとほぼ正確に回答できるそうだが、我々日本人は、正確に回答ができない人が多く、頭が硬直化していると言われている。
掘り下げると、日本の教育現場が硬直して久しいからであると言われている。理系・文系と切り分けて、数学が苦手、理科が嫌いで勉強しなくとも就職できたりするからだ。
それと日本人独特の同調圧力。人と異なる意見を言うには、勇気が必要。正確な回答を言いたい時であっても言えない雰囲気があるという環境要因もあるだろう。
声の大きいごく一部のヒトに対する明確な「No」が言えない日本人、流される日本人。
民主党政権下、自民党政権下、それぞれの政権の悪口を言っても詮無き事。
全ては人口減、少子高齢化社会の成れの果て。
人口が維持できなければ当然経済規模も含めあらゆる面で規模は後退していく。
地方の疲弊は言うまでもないにも関わらず、予算削減によるサービス後退に異を唱える日本人。
旧帝國海軍の誇った戦艦『大和』のレーダーモニターに使用された液晶技術は民需転換で戦後のシャープを中心に日本の工業力の一翼を担ったが、シャープはテレビ市場からの撤退を決めた。
白物家電では定評があったパナソニックも、エアコンなどを代表とする家電から撤退するようである。
VUCAの時代に突入していると言われているにも関わらず、いまだに蔓延る時代遅れなPDCAサイクルに目標管理型成果主義な企業。
変化を嫌い、我慢が嫌いで、我がままで、自由すぎる社会を謳歌し過ぎた日本人は、今後、どれだけ貧しくなっていくのだろうか。
心配でならない。
残念だが我々年配の域に差し掛かる人たちは、異を唱えず若者に任せる勇気を持たなければ、このまま日本は沈没していくだろう。