忘れたころにやってくる本物シリーズ。
本日は、福岡県北九州市若松区の軍艦防波堤に擱座する、
・旧帝國海軍駆逐艦「冬月」
・旧帝國海軍駆逐艦「涼月」
・旧帝國海軍駆逐艦「柳」
を訪れました。
これまでにご紹介してきた本物シリーズ:
・戦艦『アイオワ』(アイオワ記念館乗艦)
・零式艦上戦闘機複座型練習機(琵琶湖引き上げ機)
・戦艦『大和』ロケ船体
・零式艦上戦闘機52型(オリジナル飛行可能機)
・零式艦上戦闘機62型
・89式中戦車(レストア車輌)
・戦艦『アリゾナ』(沈没艦上:アリゾナ記念館)
・戦艦『陸奥』(引き上げ船体)
・ポタラ宮(西蔵)地球連邦政府庁舎
・砕氷艦『しらせ』新型(大桟橋接岸時乗艦)
・護衛艦『ちょうかい』(観艦式乗艦)
・南米アマゾン(ジャブローはどこだ)
・戦艦『三笠』(艦上復元)
・駆逐艦『初霜』錨
・駆逐艦『雪風』錨+戦艦大和主砲三式弾、徹甲弾
・護衛艦『こんごう』(観艦式乗艦)
・特殊潜航艇
・護衛艦『ひゅうが』(甲板だけ)
・広島被爆遺跡群
・97式中戦車チハ前期型(2004年神奈川県出土)
・四式戦闘機『疾風』主翼
・日本郵船貨客船「氷川丸」(旧帝國海軍病院船)
・艦上偵察機『彩雲』(ヴェノ島帰還機)
・零式艦上戦闘機21型
・一式戦闘機『隼』1型前期生産型、1型
・一式戦闘機『隼』2型後期生産型、1型
・一式陸上攻撃機22型
今回は、ずっと以前より慰霊の為に訪れることを決めていた、北九州市若松区の軍艦防波堤を訪れました。
天1号作戦時に奇跡の生還を果たした旧帝國海軍駆逐艦『涼月』、最も戦果を挙げた旧帝國海軍駆逐艦『冬月』、そして、天1号作戦には全く関係ありませんが、第1次世界大戦で地中海で活躍した旧帝國海軍駆逐艦『柳』が、響灘の防潮堤として設置されたものです。
まず、防波堤として擱座着底させられた箇所の歴史を辿ってみましょう。
下側から、駆逐艦「柳」、駆逐艦「涼月」、駆逐艦「冬月」となります。
私の理解からすると、最も酷く損傷していたのは、駆逐艦「涼月」(真ん中の船)だと思うのですが、最も良好な形状を留めている様な気がします。
駆逐艦「冬月」は、艦尾が海面下に沈んでいる様に見えます。
2024年現在(C)Google
現在の様子は、こんな感じの位置関係でしょうか。
つい先日発見された天1号作戦時の駆逐艦「冬月」の1番高角砲が射撃する瞬間を捉えた写真です。
戦後、主要艤装が撤去され、防波堤として着底しました。
大変判りにくいので独自解説を。
多分最も初期の現地の写真で、最も良好な状態である駆逐艦「柳」がとても良く鮮明に判ります。
奥「冬月」手前「涼月」
暫くの間は原型をよく留め、艦内にも未だ入れたそうです。
「冬月」の艦首旗竿の基部がどうなっているのか謎です。
同時期の「柳」です。
この時は未だ艦首フェアリーダ―が完全に残っていました。主錨穴も大変よく残っていることが判ります。現在は残念ながら、この内1/3程度が残っていることが何となく判ります。
「冬月」の方を見ると、艦首旗竿も基部を残して消え、舷側にも腐食して穴が見えています。それでも未だ「涼月」と合わせ、ボラートなどがはっきりと残っています。
引き上げられた戦艦「陸奥」の艦首もそうですが、鋼板が船首でこんなに薄くて凌波性耐久はどうなんでしょう。
こちらは、戦艦「陸奥」艦首で、印象としてはとても薄いな、というものでした。
上甲板の鋼板の厚さは10mmほどでしょうか。
艦首フェアリーダ―もかなり面白い形状しています。
では訪れた本日の軍艦防波堤をご紹介します。
まずは、一番最初に出会うのは、駆逐艦「涼月」となります。
今ではその船体を全く確認することはできませんが、間違えなくこの下に「涼月」が眠っています。
少しだけ駆逐艦「柳」側に拠って同じ方角を見てみましょう。
ちょうどこの位置に「涼月」艦尾があるはずの位置となります。右のコンクリートに斜めに入っている亀裂は「涼月」の艦尾を示している可能性もあるかも知れません。位置的にはドンピシャなので。
この位置から逆側を見て見ると、そこには駆逐艦「柳」の船体の半分から下側がかろうじてその姿を残しています。
↑当初はここまで残っていましたが、今はこんな感じです。
1997年ほどまでは、その姿もいまよりはマシに残していた様ですが、いつぞやの台風で護岸ブロック自体が大きく破損し、埋まっている船体ごと上部がズレたそうです。
修復の為、コンクリートで固められたとのこと。
正直申して、事前に写真も見てきましたが、小さく感じていました。
でも実物を見て感じたことは、小さくはないな、という感じです。大きくもありませんが、想定していたよりも大きく感じました。
艦中央部のみ、防水区画が細かくなっていて、船体の分厚い鋼板が見て取れます。
左舷側を艦尾方面に見てみましょう。
艦首から後方の上甲板の位置は、そう変わらないと思いますので、当時の喫水線がウォーターラインから見て取れます。感想としては、舷側は結構高いな、ということ。
2番3連装魚雷発射管が取り付けられていた先端付近から艦尾方向です。
艦尾先端部分。
細かく防水区画が区切られている、という理解で良いのでしょうか。
艦尾から艦前方
かろうじて残る上甲板と、こちらは右舷側の鋼板。補強材❓それとも排水路❓トイレ排水用路❓
舷側にこれだけの謎な段差が残っているのでとても疑問です。
更に、上甲板と舷側の段差が存在していることにびっくり。
模型表現ではほぼ確実に省略されている部分です。
では。
明日帰京します。