閑話休題 -最新の古代文明解釈- | Model world

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素晴らしい模型の世界に魅せられました。

本日は、今現在義務教育で歴史を習っているお子さんの勉強内容も既に間違えが確定している可能性もある大変興味深い内容なので、期待して欲しい。

 

いつも皆さんの為にならない余計な知識を話題としてきたが、珍しくも滅茶苦茶為になる楽しい話題だ。

 

 

本日のテーマは、最新の古代文明解釈だ。

 

過ぎた歴史は、これまでに何度かそれを覆す大発見により変わって来た。

我国の例では、先般取り上げた朝鮮の蘇我一族が輩出した蘇我入鹿によって成し得た大化時代の大改革によって、朝鮮式律令国家が成立したことを触れた。そこで聖徳太子が実在しなかったことが確定し、全ての教科書から抹消されたことを説明している。

更につい先日は「キングダム」の世界観で英雄を論じてみたが、その中国では、黄河文明の代名詞である幻の初代古代中国国家、『夏』王朝の痕跡が見つかっていない。

 

 

最初の王朝である『夏』の遺構の発見がなされれば、ある意味記録が証明される。

 

因みにその『夏』王朝を継いだ次代王朝の『商』の遺構は、墓の跡である「殷墟」が見つかっている。『商』の国は貨幣を発明し、遠くまで物産を売りに行ったことで『商の人』=つまり商人、と呼ばれたことでもその実態を今に伝える。

『商』の歴史は、中学程度の社会でも習うが、甲骨文字という文字も使っていた為、ある程度の記録も残る。

一部のおっさんたちは、この『商』王朝のことを『殷』と習った人もいるだろう。即ち春秋時代に再度覇王を名乗れた『宋』王朝が『商』の血脈を継いだことが判っている。場所もおそらく変わっていないのだろう。『宋』こそが『商』の所在した場所なのだ。

 

中国最古の『商』王朝の王家の姓は、「子」氏だ。初代国王である湯王「子葵」が『夏』王朝の暴君「桀王」を滅ぼし、『商』王朝を建国した、と様々な歴史書に記載されている。

 

そんな『商』王朝の最後の国王「紂王」は、辺境の国『周』王朝の「姫」姓である「姫発」によって覇権を奪われた。太公望「呂尚」を軍師に据えた『周』王朝が奪ったのだ。「姫」氏一族は、中国で初めて集権制を取り入れ、滅亡させた国に、王族を送り込み、同族による支配を企んだことで有名だ。『燕』『晋』など主要な王朝には同族が送り込まれ、王族と区別する為に「公孫」氏を名乗らせたことは多くの人が知るところだ。

 

漢字とはとても興味深い痕跡を残してくれている。

いずれの王朝の王族も、「子」「女」が使われた感じが当て嵌められ、実は中国の代表的な王朝なのに、真なる漢民族ではない、山の民『秦』王朝の「嬴」氏にも「女」が使われている。

 

これは現在の小説やアニメでは男が偉そうに描かれているが、女系家族支配の痕跡を残しているのだそうだ。

 

つまり古代中国は女系家族だったことが判るとのこと。

 

横道にズレた。

さて。


世界四大文明とは、日本でのみ用いられる地域語であるが、実際に古代に文明として歴史に名を刻んでいるので想起されるのは、


 ・弥生期にピラミッドを作ったエジプト文明(4,500年前)

 ・弥生期に巨大都市を築いたメソポタミア文明(5,000年前)

 ・弥生期に同じく都市モヘン・ジョ・ダロを築いたインダス文明(4,000年前)

 ・弥生期に巨大墳墓「殷墟」を作った王国『商』の黄河文明(4,000年前)


と思われて来た。


だがしかし、更に数千年古い都市遺跡や、定住しないと考えられていた縄文期の都市遺跡が出土してしまった

 ・縄文期に巨大神殿を作ったカラハン・テペのアナトリア文明(1万2,000年前)
  

(カラハン・テペの動画自体ほとんど流通していないのでギョベクリ・テペで代用)


文明は、農耕が発明されたことで人々が定住することが可能となり、花開くもの、と教えられたのは既に過去の話。全くそうでは無かったことが明らかになってしまった。

 

石器時代、つまり縄文期の新石器時代に、既に都市遺構や、神殿遺構が発見されてしまい、高度な土木技術と暦が使われていたことも判明し、世界ほにゃらら文明という言葉は現時点で死語となってしまったのだ。

 

凄いのは、石のベンチの脇には、文字っぽいものもレリーフされていること。

20~70代のお兄さんおじさん達が習った古代文明の歴史観は、現在既に完全崩壊していることを認識しなければならない。


カラハン・テペやギョベクリ・テペなどは、ピラミッドが作られる7,500年前の遺跡だからだ。

 

正確に言うと、1,600年間人々が定住し、約10,000年前に放棄された、との結論が出ている。

蛇足だが、現在のところ、最も人類が長い間定住したと考えられる都市遺跡が日本で見つかってしまった。

 

2,000~1,700年もの期間定住していたと考えられる痕跡がみつかってしまっている。

 ・縄文前期に20m級の塔を建てた三内丸山文明(6,000~5,500年前)
  

 

そういった背景から、既にフランスでは人類の文明は、更に旧石器時代にまで遡るのではないか、との歴史観が進んでいる。

急に巨大な石を切り出してピラミッドを作る文明が誕生する訳がないのだから。

 

 

 

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