模活のできないときの閑話休題。基本的にアニメは見ませんが唯一(ストリーミングですが)見ているのがこの「鬼滅の刃」
鬼滅の刃は、新進気鋭の北九州在住ママさん作家吾峠呼世晴さんが、
本日は、その鬼滅の刃に係る全くの新しい視点 歴史的史実 から考察をしてみたいと思います。
(1)「ヒノカミ神楽」と「日の神神楽」について
古代日本では、火を崇(あが)め、奉(たてまつ)り、祀(まつ)
トランス状態になった巫女に神の声が聞こえ、それは「お告げ」
時は古墳時代から飛鳥時代。西暦600~700年代
国を治める「政治」というシステム。
「政治」のことを「政(まつりごと)」と読むことがあります。
その昔、「政(まつりごと)」は、
当時、邪馬臺(ヤマタイ)國朝廷内で実権を握りつつあった「
この一族は火を拝み、その占いによって「政(まつりごと)」
【物部一族】巫女は黥(げい)と言って刺青をする風習があり、一族の中心でした。
この「物部氏」は、占い(「火の祀り」)によって「政(
火の形で国家の行末を決められたらたまったものではありません。
当然そんな「政治」システムが長く続くはずもなく、破綻します。
飛鳥時代末期、「物部氏」は、
従来通り巫女の占いを中心とした「政(まつりごと)」
これに対抗したのが、実在しない聖徳太子のモデルになった「
古い「政治」システムは一掃され、当主「物部守屋」
【物部守屋】
「物部氏」に勝利した「蘇我氏」もまた乙巳の変(いっしのへん)
※乙巳の変は、40年ほど昔の教育課程では「大化の改新」
そして時は流れ平安時代中期。西暦800~900年代
「物部氏」の一部は、伝統的な「火の祀り」
藤原姓「日奉(ひまつり)氏」は、
「日奉氏」がその任期中に武蔵國官幣大社である大國魂(
余談になりますが、「日奉氏」は、國司任期を終えてから、
火を使う集団であった「物部氏」の子孫である彼らは、「火」
烽火台の「飛火野」という名が、後に「日野(東京都日野市)」
※後日談になりますが「府中の西側」に居館を構えた「日奉氏」
「西氏」「平山氏」などの「西党」
(2)鬼伝説と「鬼撫辻無惨」「継國 縁壱」について
ちょうど「日奉氏」が東京都日野市東光寺に移り住み、「西氏」
上総(茨城県水戸市)と常陸(茨城県日立市)
荒狂者の猛者が多い坂東武者を鎮圧した「将門」は、
「将門」は、関東8か国(下野(栃木県)・上野(群馬県)・
そして新しい王である「新皇」を名乗り、
当然ヤマタイ朝廷は「将門」討伐軍を起こします。
しかし・・・
「藤原 秀郷」らが、反乱から僅か2か月で「将門」を討取ります。
この「藤原 秀郷」の強さが尋常ではありません。
もう一度述べますが、京から出立した軍勢が移動時間を含め、
軍勢も強いことはさることながら、本人も凄腕の剣士であり、
ムカデは置いておいても鬼退治で有名ですね。
いずれにしてもあっという間の鎮圧劇で、「将門」は、
首を切られても死なず、
首切りを克服すれば、「将門」が復活するという伝説もあります。
一方その「将門」郎党は、東京西部に逃れ、山に潜みました。
日中に出歩くと捕縛される為、夜になるのを待って通行人を遅い、
この「将門」の残党が「鬼」のモデルになったと考えられます。
東京西部に鬼伝説が多いのもそれを裏付けます。
・今日は冷えるから鬼が出る
・夜遅くに一人で出歩くと鬼が出る
よく聞き及んでいるフレーズです。
つまるところ、
「鬼撫辻 無惨」のモデルは平安時代の「平 将門」
「継國 頼壱」のモデルは平安時代の「藤原 秀郷」
ではないかと考える訳です。
「藤原 秀郷」の子孫は、後に「比企氏」「結城氏」「小山氏」「佐野氏」
これも余談です。
東北地方に「佐藤氏」が凄く多いのですが、実は全国の「佐藤」
(C)佐藤の会
次回(機会があれば)、「柱」の中で唯一実在する姓、「
これもびっくりです。