クルスク戦コンペティションです。
さて、クルスク戦コンペティションですが、知識の豊富な若者から、鎮魂は第3帝國軍ではなく、戦力の2/3を喪失して数十万人が戦死したボリシェビキ共産党強制徴用兵にこそ手向けるべきだ、との助言を受け、新規に手に入れないと言っている傍からその自らの頚城から逃れるようにチェリアビンスクをゲットいたしました。何と❗️以前より、いつかは作る宣言をしていたT34を遂に始めることになりました。まさかこんなに早く機会がおとずれるとは。
しかもこれまたレアな当時モノの41年前(1979年製造)のTAMIYAのキット。
だから、パンツァーIVはまた後日に検めることとします。ごめんなさい😣
クルスク戦では、参加3,000もの戦車の内、約2,000両を失ったボリシェビキ。
その主力戦車となったのが、T34/76チェリアビンスクです。T34初期型と大きく異なるのは、ハッチの形状で、正面から見ると、あるキャラクター耳の様に見えたことから、ドイツ軍からは、『ミッキーマウス』の愛称で揶揄されたようです。
クルスク戦でお亡くなりになった、全ての兵士に哀悼の意を表します。
合掌
心を引き締めて、お亡くなりになった方々に失礼の無い様に進めていきます。
そして、ヘッダーも変更することにしました。
ボリシェビキ軍のチェリアビンスクT34/76前期型:通称ミッキーマウスです。勇ましい政治部思想教育官の方でしょうか。強制徴用兵の外発的士気を高める為に睨みをきかせています。鼓舞するというより、少しでも逃げるそぶりをみせた兵士を後ろから撃って味方を射殺することが仕事です。
ところでこの車両については、ゴムの着いた転輪の箇所が大変良く判りますが、この車両だと両側で6つ着いているのでしょうか??
(詳しい方教えてください!)
尤も私が製作するのはミッキーマウスではない後期型の予定です。
まずは、鎮魂の祈りを捧げてからの開封の儀。
貴重な古いキットなので、保管用にしても良いのですが、兎に角痛みが酷いです。
デカールは特に痛みが酷く、白い箇所は完全にカーキ色に変色しています。使用は不可能だと思われます。
キットはモーターライズ仕様になっているようです。
部品点数は、パンツァー・フュアに比べると圧倒的に少ない点数となっています。
履帯は、かつて、輪ゴムで留められていたのでしょうが、わずかにその痕跡が残るものの、輪ゴム本体は蒸発でもしたのか、跡形もありませんでした。接着剤は、未だ弾力もあり、使える様です。日本の技術は凄いな、と思わされる瞬間です。
1979年6月製造のプリント。発売は更に前の事でしょう。
それでは、サクッと進めます。
部品点数も本当に少ないので、パンツァー・ツヴァイの時の様にとまではいきませんが、サクサク進みます。
転輪のパーティングライン消しには流石に時間がかかります。
50分くらいかかりましたが、転輪終了です。
ボディーも着きました。
流石にタミヤでも昔過ぎるキットなもので合いが悪く、ヒケだらけですから、表面処理しながら組み立てていきます。
ハッチ類は、全てオープンでいきます。
と言うことは、兵隊さんを作るということになってしまいます。
一気に砲塔迄出来ました。
(それにしても大きなキットです。今までの物と勝手が違いすぎました)
本日はここまで。
あずなぶるのどーでも雑学:
前回の修正
反政府軍: 総大将 足利 義詮(2歳) 赤橋 守時の甥
政府軍: 総大将 赤橋 守時 (38歳 鎌倉幕府 第16代執権) 足利 義詮の叔父
赤字の箇所が間違えでした。スミマセン
本日は短めでいきます。
司馬遼太郎作の小説「坂の上の雲」では、
「
と誤訳していますが、実際は、
「天気は晴れていて艦砲撃戦には向いていますが、波が高い為に、
という、あまりに淡白なそのままの意味が正解とのことです。
当時は、
この場合、小説の誤訳があまりに有名過ぎて、
人物の性格描写では、
「小説 >正史での記録」
曹操 >正史では冷静沈着で英雄の鏡
劉備 >正史では張飛の様な粗暴で酒豪な人物
関羽 >正史とは然程の差は描かれていない
張飛 >正史では劉備の様に、義に厚く、冷静沈着で情け深い人物
などとなっています。
また、小説で諸葛亮孔明の智謀を誇大主張した「赤壁の戦い」は、
小説などの影響って、事実と異なることがよくあるので、注意が必要となります。
面白くないけど。
今日も遅くなりましたが🙇お休みなさい😌🌃💤