1/72 艦上爆撃機『彗星』12型 -03- | Model world

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1/72 大日本帝國海軍 艦上爆撃機 『彗星』 12型

第503海軍航空隊 1944年7月10日

 

7月10日は、第503海軍航空隊がグァムで解隊された日です。

何とこの航空隊は彗星がメイン(他は偵察機)で構成された爆撃を主任務とするような目的で構成されています。珍しい話も聞きましたが確認できません。

 

そう。

 

クラスター爆弾を懸架してB24を撃墜したと思われるお話しです。

あってもおかしく無いけど、日米共に当時のモノはかなり精度が良く無かったこともあり、戦果はあまり聞いたことがありません。

 

さて放置キット昇華の為の彗星です。

 

爆弾倉が開きます。

 

胴体中央パーティングラインは稼働ギミック修復に再分割が必要で、どうしても埋める自信が無いので、このままにしておきます。

(左脚デカールがずれ始めてます)

 

そして、爆弾投下ギミックもあります。これは凄いです。フル稼働です。

(そして左脚デカールは私の右拳へ移動しました→ちゃんと貼りなおしましたよ)

 

エンジンカウルを取り外し、コクピット周りのリタッチ。後方の席には、無線機やら酸素ボンベ3本やらかなり色々なものが詰まってます。前方操縦席も、操縦桿だけでなく、ペダルなども再現されていますが、なかなか大味です。姿勢だけは感心。

ザク・マシンガンも黒鉄色へ塗りなおしました。

スピナー着けてフラップ全開。尾翼には第503海軍航空隊のデカールを貼りつけました。

「ヨ」から始まるので、ヨコスカ海軍航空隊に所以あるのでしょうか???

 

キャノピー取り付けるとこんな感じ。キャノピーの開閉ギミックがありますが、厚みがプラ材そのまんまなので、どうにもなりません。

 

エンジンは大味ながらも部品点数もそこそこあって、なかなか有るのとないのとでは違います。

 

エンジンカウルを取り付けました。

 

P-51や、飛燕のように、機体下部に空気取り入れ口?みたいなものはありません。どうしてでしょうか???

 

後方から。

この位置はレシプロ機にとって最も映える眺めの位置だと思います。

 

デカールは、耐久性重視か、分厚く、部品に馴染ませる為に苦労しました。

マークソフターでは厳しかったです。

 

それにしてもこれだけの作り甲斐とギミック満載で定価1,500円。

良い時代になったものです。でもAmazonの転売価格で5,000円前後か・・・

 

あとは、艶消し吹いて、終了です。

 

 

 

あずなぶるのどーでも雑学:

 

さて。

本日はとあるスポーツ振興なお話になります。

茨城県民の方には不快な思いをする方もいらっしゃるかと思いますが、スルーしてください。

 

私が育ったところは、おとうとさんや、伝馬さんなどとほぼ同じ地区であります。

中学校の部活動はサッカー部に所属しており、まずは、後輩君だったヒトとの思い出話から(中学校もバレバレですね)。

 

当時の部活動は、スポ根とは遠くかけ離れたほぼほぼいじめの世界でした。
2年生が1年生を甚振り、その1年生が2年生になった時にまた1年生を甚振りの繰り返しをしてきたのだと思います。
 
そんな時代もそう長く続かず、我々が2年生になった際に、近隣?の学校で、マットにぐるぐる巻きにされた生徒がいじめで亡くなった?とか何とかで、いじめはダメよ運動が叫ばれ始めた頃だと思われます。私の中学2年の代からその悪しきいじめの伝統は無くなってしまいました。
 
岡本健一という今では完全に存在すら危ぶまれているジャニーズの子がやっていた男闘呼組という既に死語となっているグループに同じサッカー部で同級生のKMもいましたね。他にも、芸能活動をしながら、という輩も居たので、特段学校の中でセレブ感は無かった様に思えます。
 
セレブって日本では金持ちとか、そんなイメージを持たれがちですが、セレブ、って単に有名な人、という本来ではそういう意味です。
 
関係ない話に反れていますが、そんな部活動の後輩に、結構身長の高いひょろ男(の子)が入部してきました。
初見の印象は、「こいつは2年前だったら・・・」と敢えて申しませんが、そんな頼りない子だった記憶があります。それが今もトキメク俳優の反町隆史くんです。他にもセキマン先輩とか、俳優業を今でも続ける方が、何故かサッカー部に多かった、そんな青い春の出だしでした。
 
反町隆史くん(本名はNくん)は、練習も来ていたのか、来ていなかったのか、判らない程度で私は卒業し、某高校へ進学。いきなり強豪校の1年生レギュラーになってしまいました。当時の同級生や先輩・後輩たちは、今でもサッカー振興に携わっているほどです。私は今はサル程度しか嗜みませんが、寄る年波に体力が・・・(略
 
話は戻ります。
 

そんな所以があるからなのか、プロサッカーリーグを誕生させようという市民運動があって、私はそれに参画することになりました。

 

このペースだと眠る時間を削る羽目になるので、いきなりかっ飛ばしていきます。

 

要するに、サッカー発祥の地である、埼玉県浦和市(当時)に、プロサッカーチームを!

とアテにしていたチームが、チームを所有する企業の業績悪化に伴い、Jリーグに参加しないことが判明したのです。

 

ユニは赤、赤い悪魔と市民団体側ではイメージしていたのですが、プロリーグ開幕直前の時間の無い中この事件は私にとって大事件でした。

 

赤い悪魔は、有名人タレントを揃えており優勝を狙える位置にいたと思いますが、そのチームは茨城県鹿島という地域を根城にする、住友金属へ身売りされることが決まりました。

 

市民が育ててきた?チームが、お金を払った、茨城県鹿島の住友金属に買われたのです。仕方ありません。

 

これは浦和市民にとってみると、勿論業績の悪化したHONDAを支えることが出来なかったこともありますが、湧いて立つ鹿島の様子を窺い知ることによって、恨みに変わっていきます。

 

このような背景も知らずに、心無い鹿のにわかファンの挑発に、浦和市民はとても傷つきました。

 

一生、この恨み、辛みは忘れない。

 

そうなっていったのです。

泥棒鹿、一部でそう呼ぶ様になった所以はこんなところです。

 

そういった意味で、犬飼さんは尊敬され、浦和を救ってくれた方として有難く思っていますが、Jリーグ始まってから暫くの間、万年最下位とまで言われたレッズの低迷は、茨城県鹿島への恨みを増長させていくことになります。

 

今日は、元浦和市民の鹿島に対する想いについて裏話を解説しました。

 

うら~われっず、ででんで でんでん!

 

 

 

お休みなさ~い😌🌃💤