イラン要人の事故死は中東に何をもたらすのか?
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202405210000/
イラン北西部でベル212ヘリコプターが墜落、搭乗していたエブラヒム・ライシ大統領やホセイン・アミール-アブドラヒヤン外相らが死亡したと伝えられている。
大統領らはダムの落成式に参加、戻る途中だったようだが、濃い霧で視界が悪かったという。
ベル212がイスラム革命より前にアメリカから購入したものだったことも関係しているかもしれない。
イスラム革命後にネオコンやイスラエルはイランを敵視、1990年代からイラクのサダム・フセイン体制を倒して親イスラエル体制を樹立してシリアとイランを分断、シリアを制圧した後にイランを征服する計画を立てていた。
また、ウェズリー・クラーク欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官によると、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎が攻撃されてから10日ほど後、ドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺はイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、イラン、スーダンを攻撃対象国リストに載せていたという。(3月、10月)
そのイランとサウジアラビアが関係修復に向かって交渉を始めていた2020年1月3日、イラン側のメッセンジャーを務めていたガーセム・ソレイマーニーがバグダッド国際空港でアメリカ軍に暗殺された。
イスラエルが協力したと言われている。
ソレイマーニーはイスラム革命防衛隊の特殊部隊とも言われるコッズ軍を指揮していたイラン国民の英雄で、イラクの首相だったアディル・アブドゥル-マフディによると、ソレイマーニーが緊張緩和に関するサウジアラビアからのメッセージに対するイランの返書を携えていたのだという。
アメリカ政府はソレイマーニーを暗殺することでサウジアラビアの動くにブレーキをかけようとしたのかもしれないが、それ以降、アメリカの中東における地盤は大きく揺らいでいる。
4月1日にイスラエル軍がシリアのイラン領事館を攻撃、IRGC(イスラム革命防衛隊)の上級司令官や副官を含む将校7名を殺害したが、それへの報復としてイランは4月13日、ドローンやミサイルでイスラエルのネバティム空軍基地、ラモン空軍基地、そしてハルケレン山頂にある「サイト512」基地のAN/TPY-2 Xバンドレーダー施設を攻撃、大半のミサイルは目標にヒットしたと伝えられている。
イスラエル単独でイランを攻撃することはできないことが明確になり、アメリカ軍を巻き込むしかなくなったのだ。
ところで、アメリカを含む欧米諸国は植民地から富を奪い、文明国面してきた。
その仕組みにとって好ましくない人物が事故死することがある。
そのひとりが国連事務総長だったダグ・ハマーショルド。
1961年9月、コンゴの動乱を停戦させるために活動中、彼が乗ったDC-6が墜落、死亡している。
キプロスにはアメリカの電子情報機関NSAの基地があるのだが、その担当官がDC-6を撃墜した航空機のパイロットの通信を傍受していた。
コンゴは1960年にベルギーから独立、選挙で勝利したパトリス・ルムンバが初代首相に就任したが、資源の豊富なカタンガをベルギーは分離独立させようとしていた。
そのルムンバをアレン・ダレスCIA長官は危険視、コンゴ駐在のクレアー・ティムバーレーク米大使はクーデターでの排除を提案したという。
CIA支局長はローレンス・デブリンだ。
このとき、ティムバーレーク大使の下には後の国防長官、フランク・カールッチもいた。
当時のアメリカ大統領、ドワイト・アイゼンハワーは同年8月にルムンバ排除の許可を出している。
(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)
イランの要人を乗せたベル212の墜落は事故だった可能性が高いようだが、ソレイマーニーのケースと同じように、アメリカの支配層にとって悪い結果が待っているかもしれない。
今回のケースでは墜落直後にロシアのウラジミル・プーチン大統領はモスクワ駐在のカゼム・ジャラリ・イラン大使と会談、哀悼の意を意を表し、イランを助けるために必要なことは何でもする用意があると伝えている。
スロバキア首相の暗殺未遂事件で背後にウクライナが存在すると言われ始めた
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202405230000/
5月15日に銃撃されたスロバキアのロベルト・フィツォ首相は容態が安定、命を取り留めたようだ。
親欧米派の政党「進歩スロバキア」の活動家だという71歳の男性ユライ・チントゥラはその場で逮捕され、その妻も拘束されたと伝えられている。
銃撃から4時間後、容疑者のフェイスブックの通信内容と履歴が削除されたという。
現場にいて逮捕されたチントゥラ自身に削除のチャンスがあるようには思えず、彼の妻は技術に疎い。
夫妻以外の何者かが削除した可能性が高いということであり、暗殺未遂事件の背後に組織が存在していることを窺わせる。
スロバキアの内相は5月21日、スロバキアのテレビで銃撃事件について「単独犯でなく、その背後で何かが進行している」と語っている。
すでにスロバキアではメディアの一部はチントゥラの背後にウクライナが存在している可能性があると囁き始めた。
確かに状況証拠はそうした方向を示している。
モスクワ近くのクロッカス・シティ・ホールでの虐殺、ブラジルのロシア大使館爆破、またイラン北西部においてヘリコプターが墜落、搭乗していたエブラヒム・ライシ大統領やホセイン・アミール-アブドラヒヤン外相が死亡した事件などが立て続けに起こっている。
フィツォ首相はアメリカやイギリスの支配層からの命令に従おうとしていない。
ウクライナへの軍事支援を拒否、自国の主権を主張、国民の利益を優先している。
ドイツやフランスのように自国民を犠牲にして自分たちの命令に従えと米英支配層は求めている。
アメリカやイギリスは金融資本が支配している。
彼らに国境はない。
EUの支配層は貴族の末裔が少なくないのだが、貴族は政略結婚を繰り返してきたことから国境を超えて親戚のつながりがあり、その貴族はファシストやナチスとも関係が深い。
アドルフ・ヒトラー時代のナチスはトゥーレ協会と関係が深いが、この名称は北方神話に出てくる「ウルチマ・トゥーレ」に由来、そのメンバーにはドイツの貴族が含まれている。
協会のシンボルはナチスと同じように鉤十字で、神智学の影響も受けていた。
ヘレナ・ブラバツキーらによって神智学が創設された19世紀の欧米ではカルトが盛んで、ビクトリア朝時代のイギリスも例外ではなかった。
本ブログでは繰り返し書いてきたが、ナチスを手先として使ったのがイギリスやアメリカの金融資本にほかならない。
ビクトリア女王の下でイギリスを動かしていたグループには金融界のナサニエル・ロスチャイルド、その資金を使って南部アフリカを侵略し、ダイヤモンドや金を手にしたセシル・ローズ、そのほかウィリアム・ステッド、レジナルド・ブレット(エシャー卿)、アルフレッド・ミルナー(ミルナー卿)たちが含まれていた。
優生学の信奉者もこの人脈と重なる。
その人脈にウィンストン・チャーチルも属している。
イギリスでは16世紀から自分たちを「失われた十支族」の後継者だと信じる人が現れている。
そのひとりがスチュワート朝のジェームズ6世で、自分を「失われた十支族」の後継者であり、イスラエルの王だと信じていたという。
そのジェームズ6世の息子であるチャールズ1世は「ピューリタン革命(17世紀半ば)」で処刑されたが、その「革命」で重要な役割を果たした人物がピューリタンのオリヴァー・クロムウェル。
その私設秘書を務めていたジョン・サドラーもジェームズ6世同じように考えていた。
シオニズムはこの時代から始まる。
「ユダヤ人」がこの信仰に引きずり込まれるのは後の話だ。
イギリス政府は1838年にエルサレムで領事館を建設、その翌年にはスコットランド教会がパレスチナにおけるユダヤ教徒の状況を調査し、68年2月から12月、74年2月から80年4月までの期間、イギリスの首相を務めたベンジャミン・ディズレーリは1875年にスエズ運河運河を買収した。
買収資金を提供したのは友人のライオネル・ド・ロスチャイルドだ。
(Laurent Guyenot, “From Yahweh To Zion,” Sifting and Winnowing, 2018)
ところで、旧約聖書の記述によるとイスラエル民族の始祖はヤコブ。
彼には12人の息子があり、それぞれ支族を形成するのだが、そのうちユダ族とベニヤミン族の後裔とされる人びとが「ユダヤ人」と呼ばれている。
残りは行方不明で、旧約聖書を信じる人びとから「失われた十支族」と呼ばれている。
勿論、これは神話に過ぎないのだが、カルトの信者たちにとっては絶対だ。
米大統領選挙の有力候補はいずれもシオニストで、パレスチナ人虐殺を事実上容認
https://blog.ameba.jp/ucs/entry/srventrylist.do?entry_ym=202405
アメリカでは今年11月に大統領選挙が予定されている。
有力とされている候補者は現職で民主党のジョー・バイデン、共和党のドナルド・トランプ前大統領、そしてロバート・ケネディ・ジュニアがいるのだが、いずれもイスラエルのシオニズム体制を支持、つまりパレスチナ人弾圧を容認していると言える。
ウクライナ問題や「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」問題でこの3候補の政策は一致していないが、イスラエル問題では一致しているのだ。
ウクライナをアメリカ/NATOの支配地にするということはロシアにとって新たな「バルバロッサ作戦」にほかならない。
ネオコンはロシア相手でも「脅せば屈する」と信じるようになり、結局、体制を危うくすることになった。
ネオコンの思い込みを危険だとジョージ・ケナン、リチャード・ニクソン、ヘンリー・キッシンジャー、ズビグネフ・ブレジンスキーなど前世代の「タカ派」は警告していたが、ネオコンたちはその思い込みから抜け出せず、その警告通りの展開になり、西側は窮地に陥っている。
バイデンが副大統領を務めていたバラク・オバマ政権はウクライナのビクトル・ヤヌコビッチ政権をクーデターで倒した。
2013年11月から14年2月にかけてのことだが、その際に手先として利用したのはネオ・ナチだ。
ウクライナを制圧することでロシアとEUをつなぐ天然ガスのパイプラインを抑え、ロシアの喉元にナイフを突きつける計画だった。
パイプラインを抑えることでロシアからEUというマーケットを、またEUからロシアというエネルギー資源の供給源を奪うことができる。
ロシア征服をアングロ・サクソンの支配層は19世紀から計画している。
2021年に接種キャンペーンが始まった「COVID-19ワクチン」は短期間に危険性が明確になり、翌年の前半には大半の国で接種は止まった。
その中で接種キャンペーンが続いている日本は例外的な「狂気の国」だと言えるだろう。
この「ワクチン」を一貫して批判してきたのがロバート・ケネディ・ジュニアだ。
今回の選挙が1968年や72年の選挙と似ていると言う人がいるようだが、根本的に違う点がある。
この2度の選挙には戦争に反対する有力候補者がいたのだが、今回はいない。
1963年6月10日にアメリカン大学の卒業式で「平和の戦略」と呼ばれる演説を行い、パックス・アメリカーナを否定した上でソ連と平和共存する道を歩き始めると宣言したジョン・F・ケネディ大統領はその5カ月後、11月22日に暗殺され、副大統領のリンドン・ジョンソンが昇格、新大統領はベトナムで本格的な戦争を始める。
それに対し、1967年4月4日にマーチン・ルーサー・キング牧師はニューヨークのリバーサイド教会でベトナム戦争に反対すると発言している。
ロン・ポール元下院議員によると、キング牧師の顧問たちはベトナム戦争に反対するとリンドン・ジョンソン大統領との関係が悪化すると懸念、牧師に対してベトナム戦争に焦点を当てないよう懇願していたというが、牧師はそのアドバイスを無視した。
ベトナム戦争は泥沼化、1968年2月の「テト攻勢」でアメリカ国民はベトナムでアメリカ軍が苦戦している実態を知ることになるのだが、その2カ月後、リバーサイド教会での演説から丁度1年後の68年4月4日にキング牧師は暗殺された。
兄のジョン・F・ケネディの意志を引き継いだロバート・ケネディは1968年3月16日、その年の大統領選挙に出馬すると宣言し、有力候補と見られていたが、6月6日に暗殺されてしまう。
1968年の選挙は銃弾で破壊された。
1972年の大統領選挙では現職で共和党のリチャード・ニクソンと民主党のジョージ・マクガバンが争った。
マクガバンは民主党の一般党員から支持されていた政治家で戦争に反対、党の幹部から敵視され、足を引っ張られた。
反マクガバンの中心になったのはヘンリー・ジャクソン上院議員で、同議員のオフィスにはリチャード・パール、ポール・ウォルフォウィッツ、エリオット・エイブラムズ、ダグラス・フェイス、エイブラム・シュルスキーなど後にネオコンの中心になる人びとがいた。
結果としてニクソンは再選されるが、デタント(緊張緩和)を打ち出したことで軍や情報機関の好戦派は反発、ニクソンはウォーターゲート事件で失脚し、副大統領のジェラルド・フォードが昇格、デタント派が粛清される。
この粛清劇の黒幕と言える存在がポール・ニッチェやシカゴ大学のアルバート・ウォールステッター、ONA(国防総省内のシンクタンク)のアンドリュー・マーシャル室長。
後にネオコンと呼ばれる人脈だ。
粛清の中でも特に重要な意味を持つと考えられているのは国防長官とCIA長官の交代だと考えられている。
1975年11月に国防長官はジェームズ・シュレシンジャーからドナルド・ラムズフェルドへ、76年1月にCIA長官はウィリアム・コルビーからジョージ・H・W・ブッシュへそれぞれ交代、またリチャード・チェイニー、ジャクソン議員のオフィスにいたウォルフォウィッツもこの政権で登場してくる。
ネオコンが台頭するのはこの時からだ。
ネオコンはシオニストの一派で、イデオロギー(観念 (idea) と思想 (logos) を組み合わせた言葉)的にはレオ・ストラウスの影響下にある。
この人物は1899年にドイツの熱心なユダヤ教徒の家庭に生まれ、17歳の頃に「修正主義シオニズム」の祖であるウラジミル・ヤボチンスキーの運動に加わっている。
カルガリ大学のジャディア・ドゥルーリー教授に言わせると、ストラウスの思想は一種のエリート独裁主義で、「ユダヤ系ナチ」だ。(Shadia B. Drury, “Leo Strauss and the American Right”, St. Martin’s Press, 1997)
ストラウスは1932年にロックフェラー財団の奨学金でフランスへ留学し、中世のユダヤ教徒やイスラム哲学について学ぶ。
その後、プラトンやアリストテレスの研究を始めた。(The Boston Globe, May 11, 2003)
1934年にストラウスはイギリスへ、37年にはアメリカへ渡ってコロンビア大学の特別研究員になり、44年にはアメリカの市民権を獲得、49年にはシカゴ大学の教授になる。
ストラウスと並ぶネオコンの支柱とされている人物が、やはりシカゴ大学の教授だったアルバート・ウォルステッター。
冷戦時代、同教授はアメリカの専門家はソ連の軍事力を過小評価していると主張、アメリカは軍事力を増強するべきだとしていた。
勿論、この分析は間違い、あるいは嘘だ。
イスラエルの現首相はベンヤミン・ネタニヤフ。
その父親であるベンシオン・ネタニヤフは1910年3月にワルシャワで生まれ、40年にアメリカへ渡り、そこでヤボチンスキーの秘書を務めている。
その年にジャボチンスキーは死亡、ベンシオンは第2次世界大戦後にコーネル大学などで教鞭を執った。
本ブログでは何度か書いたことだが、シオニズムは16世紀にイギリスで出現している。
自分たちを古代イスラエルの「失われた十支族」の後継者だと信じる人が現れたのだが、そのひとりがジェームズ6世。
自分はイスラエルの王だと信じていた。
ジェームズ6世の息子、チャールズ1世は「ピューリタン革命(17世紀半ば)」で処刑されたが、その「革命」で重要な役割を果たした人物がオリヴァー・クロムウェル。
その私設秘書を務めたジョン・サドラーもジェームズ6世と同じように考えていたという。
クロムウェルはキリストの再臨を信じ、「道徳的純粋さ」を達成しようと考えたようだ。
そのためにユダヤ人は離散した後にパレスチナに再集結し、ソロモン神殿を再建すると考えていたというが、彼の一派は打倒され、国教会の君主制が復活、ユダヤ人のための国家創設提案(シオニズム)は放棄された。
それが復活するのは18世紀になってからだ。
「シオニズム」という語句を最初に使ったのはナータン・ビルンバウムなる人物で、1893年のことだとされている。
その3年後に『ユダヤ人国家』という本を出版したセオドール・ヘルツルが近代シオニズムの創設者とされているが、1905年まで「建国」の地をパレスチナだとは定めていない。
このヘルツルのほか、モーゼズ・ヘスやレオン・ピンスカーなどのシオニストは当初、聖書には言及していない。
クロムウェルと同じピューリタンは今でもアメリカの核的な存在だと言われている。
アメリカを支配しているとされるWASPのWは白人、ASはアングロ・サクソン、そしてPはプロテスタントを意味していると言われているが、
アメリカの友人によると、「P」はプロテスタントではなくピューリタンのイニシャルであり、WASPはクロムウェルの後継者だという。
アメリカの支配層とイスラエルの親和性が強いのは必然だ。
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