「復興の権限・財源を被災地に」と書いた朝日新聞
http://天木直人.com/2016/03/11/post-4090/
http://天木直人.com/2016/03/11/post-4090/
震災5年目に当たるきょうの各紙は、「復興なお道半ば」という記事であふれている。
しかし、詳しく読んでみると、「道半ば」どころではない。
5年も経つというのに、津波被害も原発被害も、根本的な問題解決はほとんど手つかずのままだ。
そしてついにメディアが書いた。
きょう3月11日の朝日新聞が一面トップで「復興へ権限・財源を被災地に」という見出しで次のように書いた。
「いまからでも遅くない。次の5年の復興・創生期間で、政府は被災地に一部負担を求めて自立を促す。ならばその間、国の権限も財源も県へ、(そして)県のものは市町村に渡すべきだ。住民の知恵と工夫で暮らしを再生してはじめて自立できる。それが復興の理念にかなう」と。
まさしく私が5年前に指摘したことだ。
私の長年の読者ならご記憶だろう。
震災直後の2011年5月に私はブログで書き、それを日刊ゲンダイが連載で掲載した。
この国の指導者(政治家、官僚、有識者たち)に復興を任せていては解決はおぼつかない、なぜならば彼らこそ、それまでの日本のシステムを作って来た責任者だからだ。
この際、権限と予算の一部を彼らから取り上げ、現場に与えよ、と。
せめてこの未曽有の災いを転じて福となすには、この機会に日本の権力構造を革命的に変えることしかない、と。
ついに朝日までが書いた。
そしてそれは震災復興に限らない。
そっくりそのまま日本の再生にあてはまる。
いま我々が連日目にしているものは、行政がすべての分野で行き詰まっている姿だ。
それに対して何も出来ない無策の姿だ。
ならば彼らが独占して来た権限と財源を国民に与えるのだ。
一挙に全部とはいわない。
その一部で十分だ。
そして、その一部の権限・財源の移譲がうまくいくことが誰の目にも明らかになった時、その移譲の範囲はおのずから広がっていく。
それこそが市民革命である。
暴力によらない平和的手段による革命である。
それこそが、当時私が唱えた「もうひとつの日本」づくりであり、いま実現が望まれる既存の政党・政治家を否定したあらたな政治づくりである
(了)
今回の大地震を「天罰」と言った石原知事に、都民は「天罰」を下さなければならない。
http://31634308.at.webry.info/201103/article_17.html
http://31634308.at.webry.info/201103/article_17.html
2011/03/16
東京知事選挙に石原が早々と出馬しないと言っていたので、意気揚々と神奈川県知事の松沢が名乗りを上げ、石原知事の後継のような雰囲気であった。
また、東国原も意欲満々に出馬を表明したが、突然の石原の出馬表明に両者とも立候補を辞めてしまった。
松沢に至っては、無念の極みのような顔をして断念会見を行った(後で知ったが、日刊ゲンダイ紙によると石原が当選の折には副知事が約束されているという)。
個人的にはこの三人出馬して競い合って共倒れを期待していたが残念であった。
民主党が候補も出せない体たらくでは、石原が有利になってきた。
その気の緩みなのか、思わず日頃思っていることがぽろっと出てきた。
以下がその報道であるが、口が滑ったとしても到底許される話ではない。
ぽろっと出てきた話が、その人の真実の気持ちが現れる。
石原知事「津波で我欲洗い落とせ」「天罰だ」
2011.3.14 21:37
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110314/lcl11031421380004-n1.htm
2011.3.14 21:37
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110314/lcl11031421380004-n1.htm
東京都の石原慎太郎知事は14日、東日本大震災への国民の対応について記者団に問われ、
「我欲で縛られた政治もポピュリズムでやっている。それを一気に押し流す。津波をうまく利用して、我欲をやっぱり一回洗い落とす必要がある。積年にたまった日本人のあかをね。やっぱり天罰だと思う。被災者の方々はかわいそうですよ」
と述べた。
知事は一連の発言の前に、持論を展開して
「日本人のアイデンティティーは我欲になっちゃった。アメリカのアイデンティティーは自由。フランスは自由と博愛と平等だ。日本はそんなもんない。我欲だよ。物欲、金銭欲」
と語っていた。
同日、この後に開いた記者会見で「天罰」の意味について「日本に対する天罰だ」と釈明。
「大きな反省の一つのよすがになるんじゃないか。それしなかったら犠牲者たちは浮かばれない」と話した。
石原は神か?と言いたい。
津波でたくさん死んだことを日本人が犯したことへの天罰という感覚、思考回路が全く分からない。
もうそんなことも判断できないぐらい耄碌したのかと言わざるを得ない。
我欲、物欲、金銭欲と言ったが、自分自身のことではないのか?
世界最大規模の「地震」が「日本に対する天罰」だとは、「神」をも恐れない不遜な言葉である。
世の中で一番偉いのは、自分だと思っているのだろう。
ここまで言うのなら、自分の家族が全員死亡しても、「天罰」と言うのだろうな。
さすがにいろいろな方面から抗議が来たのだろう。
まずいと思ったのか、「天罰」発言を撤回したという。
石原知事が「天罰」発言を撤回、謝罪 「被災地のために全力」
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110315/lcl11031513400001-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110315/lcl11031513400001-n1.htm
しかし、一旦発した言葉には「言霊」がある。
人の心に残り取り消しは出来ない。
1万人規模の人が死んだ天災を、「天罰」と言った事実は消えない。
私が石原について、最も好きになれない政治屋と書いた所以は、毎度このような発言をするからだ。
私も東京都に20年近く住んでおり、都税を随分と支払っていたので、このようなことを言う権利はあると思っている。
新東京銀行で2000億円、オリンピック誘致で100億円もドブに捨てた。
普通の感覚なら、申し訳なくて立候補などは出来ないと思うが、何を言っても許される天狗になってしまった。
東京都知事選挙では、この「天罰」の言葉で、逆に「天罰」が下るであろう。
そうしないと、お天道様はいないことになる。
都民の見識が求められる。
今、石原と対等な勝負をやれるのは、小沢さんと連携する河村名古屋市長が率いる「減税日本」候補くらいしかいないだろう。
是非出してほしい。
石原の話を聞いてただ口に指をくわえているようなら政党じゃない。
[Twitter ほか]唖然…「あんな人(菅元総理)を総理にしたから天罰が当たったのでは」と大笑い。
https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=107725
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