崩れゆくアメリカ 1 | きなこのブログ

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「1577」「副島隆彦の学問道場」から 新年のご挨拶。2016.1.1 /1月3日加筆 「崩れゆくアメリカ」を見てきて。短期留学修了を受けての報告。 中田安彦 2016年1月3日
http://www.snsi.jp/tops/kouhou

「会員ページ」では何回か報告させていただきましたが、去年の9月から12月末まで、私はアメリカに語学研修の形でアメリカに留学していました。

今年の元日に日本に帰国しました。


今回は、その最終的な報告ということで私が見た範囲でのアメリカ(ワシントン)の状況をお伝えしたいと思います。

私が数ヶ月だけ、それもワシントンDCという極めて特殊な場所で経験してきた内容ですが、参考にしていただければ幸いです。

アメリカの景気が回復して、利上げが進んでいるというような報道が日本やアメリカのマスメディアではされていますが、私がワシントンDCで抱いた第一印象は「ワシントンは崩れているなあ」ということです。

そのことは実感面で言えば、ワシントンの社会インフラが目に見えて老朽化していることや、毎日テレビニュースで見せつけられる、アメリカの大統領選挙報道や相次ぐ銃犯罪のニュースで痛感しています。

「崩れゆくアメリカ」と問題が、共和党の大統領候補者選びで最大の争点になった移民問題をめぐる論争によく現れています。

このことをお話したうえで、アメリカでの日常生活、ホストファミリーとの会話で分かったアメリカのリベラル層の実感でのアメリカ政治に対する現状、次に私の通ったジョージタウン大学のEFLという英語コースでの様子と、CSISなどのシンクタンクでのイベントの様子、について報告したいと思います。

私がワシントンに来て一番驚いたのは、ワシントンの地下鉄の古さです。

ワシントンDCにはシンクタンクが集まる「デュポン・サークル」という地区がありますが、その地区にある地下鉄(メトロ)の駅の構内に向かうエレベーターや、地下鉄車両が老朽化している。

調べてみると、地下鉄の車両のデザインは1976年にメトロが発足した時から進化していなくて、地下鉄車内には次の駅を表示する電光掲示板もないし、エスカレーターは常にギシギシとものすごい音を立てている。

エスカレーターが止まって動かないでいることもしばしばでした。

アメリカの道路はワシントンに限らず、かなり舗装が雑だったり、道路に穴ぼこ(potholes)があっても、修繕されずに放置されている状態になっているので、メトロバスも日本のバスの二倍くらいグラグラ揺れる。

ワシントン・ポスト紙のウェブサイトには地域のページに道路の亀裂をリアルタイムで表示する地図のページが有りました。

アメリカというのは行政機関が、日本のように住民サービスを充実させようと言う発想がない、徹底的に自己責任の国なのだと思いました。

バスの乗り換えも停留所の表示だけではわからないし、バスが予定に遅れることもしょっちゅうで、同じ路線のバスが2台同時に同じ停留所に同時に到着することもよくありました。

私は現地ではホームステイをしていたのでホストファミリーに「なんでメトロのサービスは良くないのか」とたずねてみましたが、「どうしょうもない」と諦めているようでした。

アメリカは徹底的な車社会で、公共交通機関は貧乏人が利用するものという意識があるとも聞きました。

道路だけではなく歩道に大きなくぼみがあっても、修繕されることなく放置されています。

私は滞在数日目にデュポン・サークルの歩道のくぼみに足を取られ、頭を打って軽い脳震盪(のうしんとう)になってしまいました。

ただ、アメリカにいるので、下手に病院に行くと留学健康保険が効くか効かないかわからないという不安もあって、病院に行くことは滞在中一度もありませんでした。

私の知り合いの留学生は、一度歯医者に通っただけで800ドル請求されたとぼやいていました。
オバマ大統領の実現したオバマケア(国民皆保険制度)はアメリカの保険事情のせいで、日本の国民健康保険制度と全く違って、国民が民間の保険に加入しなければならない仕組みで、皆保険実現は私の周りにいたアメリカ人(中流階級の下くらいの人たち)たちは軒並み高い評価をしていましたが、これにも歯科治療は含まれていません。

あとで書くようにアメリカは物価が高いし、医療費が高い。

健康保険制度は日本の国民皆保険制度はやはり誇るべきものだと、実際に「医者に怖くてかかれない」という状況を経験することで痛感しました。

「アメリカが崩れている」と思ったもう一つの理由は、銃犯罪と黒人差別です。

私がアメリカにいた去年の秋は、ほぼ毎日のように、テレビのニュースでは黒人たちが白人の警察官に射殺される事件や銃の乱射事件が起きたことを報道していました。

事件はパターンがあって、黒人の若者に対して白人の警察官がいきなり発泡して射殺する。

2014年にミズーリ州のファーガソンというところで大規模な黒人暴動事件がありましたが、この事件もきっかけは白人警官による黒人の射殺事件でした。

去年はオバマ政権の初代大統領首席補佐官をしていたラウム・エマニュエルが市長をしているシカゴが舞台となった白人警官の黒人青年の射殺事件の映像が公開されたりして、これがシカゴの黒人たちの大規模な抗議集会に結びつきました。

エマニュエル市長はこの事件の処理で窮地に立たされています。

そのような相次ぐ黒人射殺事件を受けて、「黒人の生活が重要だ」(Black Lives Matter)という黒人のグループがこの問題や大学キャンパスでの黒人差別への抗議運動を展開したことが大きな話題になっていました。

プリンストン大学の総長を務めたウッドロウ・ウィルソン大統領が実は白人至上主義団体のKKKを支持していたことから、黒人グループが、ウィルソンの名前を大学の施設から削るように運動したことは、「流石にそこまでやるのはやりすぎだ」という賛否両論を呼んでいました。

リベラル派は、黒人差別問題と日本でも注目されているゲイ・レズビアン(LGBT)の権利問題、それに銃規制の問題に注目している一方で、保守派は、黒人差別ではなく、ドナルド・トランプ大統領候補の発言に象徴されるようなヒスパニック系に対する排斥発言や、ベン・カーソンという黒人の元脳外科医の大統領候補の発言に見られるような「イスラム教徒は大統領になれるか」という論点に注目しがちで、ますますリベラル・保守の二極化が進んでいるという印象です。

この二極化問題は、アメリカだけではなく、ネット右翼・在特会とシールズが対立している日本でも同じですし、ルペンのような「極右」が躍進し、既成政党が保守・リベラルとも分裂していくという欧州でも同じです。

二大政党による健全な政策論争と政権交代いうモデルが先進国では軒並み崩れているのに、それにしがみつこうとしている状況です。

アメリカの場合、経済・外交政策では打つ手がないか、二大政党のどちらもあまり過激なことができないという状況に追い込まれているので、返す刀で共和党の保守が主導する形で、同性愛問題や移民問題や銃規制問題といった文化的イシューでリベラルと保守が対立点を作っているわけです。

共和党のポピュリストと言われる、トランプ、カーソン、テッド・クルズ(テキサス州選出上院議員)といった候補は「米国内のイスラム教徒を一時的に追い出せ」などということは過激ですが、外交政策ではむしろ「アメリカの地上軍派遣をするな」という立場で、ネオコンのジョン・マケイン上院議員やその後継者とも見られる、マルコ・ルビオ上院議員(フロリダ州)のようなタカ派路線とは全く逆というのが本当のところです。

アメリカは保守とリベラルが「内戦」をしている、これはワシントンのような全体的にリベラル中道派の政治的な都市にいたので実感できたわけではないですが、報道を分析する限りではそういう結論になります。

そして、アメリカで頻繁に起きる銃犯罪事件が、11月のパリの劇場襲撃事件の後、12月上旬にカリフォルニア州サンバーナーディーノという場所で起こったイスラム原理主義者による障害者支援施設の襲撃事件で「テロリズム」に結びつきました。

襲撃犯がどこまでISISと関係があったかはわからないし、ISISが後付けで利用しているだけと思いますが、過激思想を持ったイスラム原理派がアメリカ国内に住み着いてテロを仕掛けることへの恐怖感が高まっているわけでもないのですが、それなりに意識されてくるようになりました。

このような事件を生み出すのはやはりブッシュ政権のイラク政策が遠因にあるというのがリベラル派の結論です。

アメリカは、今はオバマ政権があまり過激に地上部隊を派遣してまで中東の治安を維持しようとはしていませんが、ブッシュ政権時代にフセイン大統領をイラク戦争で失脚させて、シーア派主導の政権をイラクに樹立してから、フセインによってかろうじて保たれていた、シーア派、スンニ派、そしてクルド人の民族バランスが流動化し、それがシリアの内戦と結びついて、イスラム国(ISIS)というものが誕生して今に至っています。

ただ、アメリカのこれ以上中東の泥沼に関わりたくないという意識は超党派で存在します。

ISISにはアサド政権を打倒したいというアメリカのネオコン派のテコ入れもありましたが、パリやアメリカで襲撃事件が起きても、フランス人やアメリカ人は911事件のあった2001年の時と比べてぜんぜん戦意高揚ムードが生まれていない。

共和党のポピュリストはアメリカ人の下層白人の民意を代弁していると言われて、私もその通りだと思いますが、彼らの怒りは遠く離れた「中東」ではなく、「国内におけるテロの恐怖」という方向に向かいつつあります。

アメリカはそもそも移民国家なのですが、それにもかかわらず「ヒスパニック系」に対する批判する演説が受けてしまうのは、白人層がこれ以上崩れて行きたくない、という内向きの思考の現れではないかと思います。

私がアメリカの合計4ヶ月の滞在中には、一般のアメリカ人の住むアパートでのホームステイをしました。

ホストファミリーはひとり暮らしのユダヤ系アメリカ人の60歳位の別の大学で講師をしているおばさんで、ペットが犬と猫がいました。元外交官の佐藤優さんのイギリスでの語学留学体験記を読むと、小学生の子どもとの会話が英語の練習になってよかったと書いてあったので、子供がいないのは残念でした。

それでも、リベラルなアメリカ人の平均的な考えをホストファミリーやその友人の男性から色々聞くことができました。

彼らはオバマ大統領が色々批判されているにもかかわらず、オバマ大統領に対しては国民皆保険制度を実現したので非常に高い評価を抱いています。

次の大統領についても、私が「バイデンになる可能性はどうか、サンダースはどうか」とバイデンが最終的に10月下旬の民主党の討論会の直前に出馬辞退する前にしつこく聞きました。

しかし、「結局はヒラリーが一番いい」という判断でした。

トランプやテッド・クルズに指名が行くなるのはたまらなく嫌だともいっていました。

私が共和党の討論会を一種に見ながら「ランド・ポールというのは共和党にもかかわらず外交政策がサンダースのようですね」と言ったら、外交政策についてはそうだと言っていましたが、メディアが散々、ドナルド・トランプの「問題発言」についてやるものだから、ランド・ポールは「そんな人もいたかな」程度の認識であったようです。

メディアが大きく取り上げていたバーニー・サンダースも、私が通っていたジョージタウン大学の学生たちには熱狂的な人気でしたが、ホストファミリーは「バーニーの可能性はない」と極めて覚めた印象でした。

バーニー旋風を見ていると、若い世代の熱狂的支持者が多かった印象があるのを見ても、2008年のロン・ポールの支持のされ方とよく似ていると思いました。

アメリカの平均的な成熟したリベラル層としては「アメリカがこれ以上崩れていくことが確実なドナルド・トランプに賭ける人の気持ちがわからない。それよりもなんとか現状維持をしたい」という思いだけなのだろうと感じました。

「崩れゆくアメリカ」という状況を生み出しているのはすでに書いたような公共交通機関や道路に代表されるインフラ整備が遅れているということが大きく関係していて、これについて私はジョージタウン大学のEFLでの課題レポートのテーマに選びました。

ロン・ポールの本の翻訳をやった佐藤研一朗さんと何度もSkypeで話していた時に出てきたのも「崩れゆくアメリカからの現状報告」というものでしたが、私がワシントンに来て実際に生活してインフラの不便さを感じました。

また、公共交通機関だけではなく、ワシントンは日本やアメリカでもニューヨークのようには手軽に利用できるレストランやコンビニエンスストアもありません。

アメリカというのは「ファストフード国家」だとばかり思っていたので、実際にやってきて、思った以上にマクドナルドやバーガーキングやケンタキーフライドチキンが周りに見当たらないのに正直驚かされました。

マクドナルドは市の中心部のチャイナタウンやデュポン・サークル周辺に一店舗ずつあるという感じですが、KFCは色々探してようやくワシントンDCの外れの方の高速道路近くのガソリンスタンドの周辺に一つだけ見つけました。

なぜワシントンにファストフードがないのか、というのは一説にはテナントの賃料が高いので値段の安いファストフードが経営できないというものですが、一方でメキシカングリルのChipotle(チポレ)やヘルシー志向の野菜サラダボウル店のスイートグリーンや、日本でもお馴染みのサンドウィッチのSUBWAYの店舗がいたるところにあるので、これはやはりあの「スーパーサイズ・ミー」以降の現象ではないかと思います。

10年間でKFCの店舗は1000店舗の規模で全米で減少しているということでした。

コンビニエンスストアにしても、日本と同じロゴマークのセブン-イレブンや薬局が一緒になっているCVSというフランチャイズがありましたが、日本のセブン-イレブンのように生活必需品が何でも揃うというわけではなく、タオルや靴下の類は売っていませんし、コピー機のたぐいもありません。
コピー機といえば、アメリカの著作権に対する厳しさを実感させられました。

大学の授業のテキストがあまりにも重たくて毎日持っていくのが嫌だったので、コピーを取って必要なところだけ持って行こうと考えて、日本にもあるFedEx Kinkosでコピーを取ろうとしたら、いきなり黒人店員がおっかない顔で私のところにやってきて、「著作権の侵害になるからうちの店では認める訳にはいかない」と店を追い出されたことがありました。

一つの例を見逃せば他の客も同じことをする、そうすると彼自身の立場が危うくなると考えたのでしょうが、教科書の私的利用目的でのコピーにもうるさい国なのだと知り、アメリカという国で暮らすのは大変だと思いました。

著作権に対する厳しさについては、日本でと比べ物にならない指導が大学の授業でも行われました。

文章を引用する場合でも「カギカッコ」で引用しないかぎりは、引用元をしっかりと表示して引用した場合でも、元の文章と違った表現を使う(これをパラフレーズ、言い換えと言う)のでなければ、「他人の文章表現の剽窃・盗作」になるということを散々言われました。

日本の商業文章は引用元すら表示せず、他人の文章をそのまま泥棒していることがよくあって、それで大きな問題になっていないということを知っていただけに、この考えにはなかなか馴染みにくかった。

と同時に、この剽窃に対する厳しい姿勢から、学術論文というのがなぜ一般雑誌の記事と比べてなぜあんなに難しい表現を使うのかという理由が分かりました。

要するに、言い換えをしていくうちにどんどん表現を難しくしていっているんだと思います。

だから、「優れた論文」を書くためには、知っている語彙の数を増やすのが必須で、その語彙の多くは会話では絶対に使わないものです。

語彙数の違いは、読む新聞(読みこなすことのできる新聞)にも影響していて、特に文化面の記事によく現れていますが、「ニューヨーク・タイムズ」と「ワシントン・ポスト」や「ウォール・ストリート・ジャーナル」の記事では使われている語彙がだいぶ違います。

同じようにイギリスの新聞でも「エコノミスト」と「フィナンシャル・タイムズ」では全く違う。

NYTやエコノミストの語彙は上級インテリ向けで、それ以外は一般大衆向けです。

日本人からするとワシントン・ポストは読みやすく、NYTは難しいが、同時にポストの更に下を行くタブロイド紙の表現はまた逆に崩れすぎていて理解しにくい、ということだと思います。




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