最高裁判所裁判官の国民審査 | きなこのブログ

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2009年08月29日

(転載)

いよいよ迫った自公政権消滅記念日。

この衆院選と一緒に行なわれる「最高裁判所裁判官の国民審査」は、ぜんぜん盛り上がっていない。

今まで総選挙の投票をしたことがある人なら見覚えがあると思うが、投票所に行くと、最後に見なれない名前が羅列してある投票用紙を渡される。

これが「最高裁判所裁判官の国民審査」で、自分が「コイツはダメだ!」と思った裁判官の名前の上に「×」をつけて投票するものだ。

最高裁判所の判事だけは、この国民審査の投票の結果、あまりにも「不信任(国民が×をつけた数」が多いと、罷免されます。

具体的には、「投票者の過半数が×印をつけ罷免を可とした裁判官」 は罷免されます。

このことは、最高裁判所裁判官国民審査法という法律で手続きが定められています。

毎日のようにテレビで顔を見ている各政党の党首や幹部、候補者なんかと違って、裁判官の名前なんか見たって、誰が誰だか分からない。

どいつに「×」をつけたらいいかなんて、分かる訳がないって人がほとんどだろう。

今回の「国民審査」の俎上には、
「櫻井龍子」
「竹内行夫」
「涌井紀夫」
「田原睦夫」
「金築誠志」
「那須弘平」
「竹崎博允」
「近藤崇晴」
「宮川光治」

の9人の裁判官の名前が上がっているが、普通の人はぜんぜん分からないだろう。

しかし、今回 ×(バツ)を与えるべきだと考えるのは以下の4人です。

× 竹崎博允 (たけざきひろのぶ、2008年11月25日から最高裁長官、東京大学法学部卒 、裁判官出身)

× 那須弘平 (なすこうへい、東京大学法学部卒 、弁護士)

× 近藤崇晴 (こんどうたかはる、東京大学法学部卒 、裁判官)

× 竹内行夫 (たけうちゆきお、京都大学法学部卒 、外交官)


まず、最高裁長官の竹崎という人は、最近導入された裁判員制度を実現させたという実績だけで長官になった人です。

政府や法務省の方針に忠実に従う判決ばかりをだす裁判官のことを、「ヒラメ裁判官」と、弁護士の間では言います。

それは、魚のヒラメのように上しか見えないという意味で、自分の出世の事だけを考えている人間という意味です。

ヒラメという魚は、海底の砂地にへばりついている間に、上のほうのエサの小魚ばかりを見ていたので、片目まで同じ側に移ってしまったという魚です。

次に、“国策捜査”に引っかかった佐藤優氏の最高裁への上告を、この7月1日に棄却したのが、那須弘平 裁判官です。

この人は弁護士あがりです。

三番目に、竹内行夫 裁判官は、元外務次官です。

次官というのが各省の官僚のトップです。

この人物こそは、小泉政権時代に、駐レバノン大使だった天木直人氏が、「アメリカべったりの小泉政権のイラク戦争支持に反対する」と言って、外務省の方針に公然と刃向かって外務省を解雇、免職になった天木氏のクビを切った責任者です。

それから政治家の 鈴木宗男氏 と 佐藤優氏 を、外務省の北方領土問題のことで罠に嵌て失脚させた時の責任者の一人です。

佐藤優氏は、各所で、

「外交官上がりの竹内行夫氏は、司法試験を受けて合格してから最高裁の判事になって欲しい。車の運転免許も無いのに、トラックの運転をされては危ない」

と言っている。

そして、最後の4人目の近藤崇晴 裁判官が、植草一秀氏「痴漢えん罪事件」の上告棄却をした裁判官です。

近藤裁判官は、仙台高等裁判書の所長上がりだが、普通は、仙台高裁長からは、最高裁裁判官にはなれない。

それがなったということは、よほど小泉純一郎首相(当時)から、好かれていたのだろう、と業界で囁かれている。

彼が任命されたせいで、他の適任者たちが落とされたのだから。

近藤裁判官は、防衛医科大学教授が、東京・小田急線の満員電車内で、女子高校生の下着に手を入れるなどして、強制わいせつの罪に問われた事件では、今年の4月14日に、無罪判決を出しています。

それにもかかわらず、植草事件の方は、ろくに審理もせずに、上告をあっけなく棄却しています。

最高裁裁判官は、権力に逆らう判決を出しては行けない、ということが脳に刷り込まれている人種です。

長年「ヒラメ裁判官」の生活をしてきて、権力の大きな意志が働いている事件の場合、その判断に逆らわないと、反射神経的に決断した人です。

だから、防衛医大教授の痴漢えん罪事件では、判決の「補足意見」の中で、

「被害者の供述は、たやすく信用し、被告人の供述は頭から疑ってかかることのないよう、厳に自戒すべきだ」

とか、

「やったかどうかわからない以上、『無罪の推定』原理により、被告人には無罪を言いわたすべきなのである」

と言っておきながら、

植草事件では、まったく正反対の高裁判決を支持するとした。

この不正な判決によって、現在、刑務所に収監されている植草一秀氏のことを考えると、この近藤裁判官の矛盾した判決をとうてい許すことができません。

自分たち裁判官が何よりも大切にすべき、「司法権の独立」という考えを自覚せずに、ひたすら、自分たちに給料を払ってくれる法務省という“お上”の方しか見ない癖が終生抜けない裁判官を、国民の多数意思で罷免しなければならない。

私たち有権者が、この権利を行使できる、めったにないチャンスが、来たる8月30日の衆議院選挙の投票日です。




最高裁も腐敗している


齋藤隆 (売国裁判官)


植草一秀氏への卑劣な弾圧裁判  1


植草一秀氏への卑劣な弾圧裁判 2


植草一秀氏への卑劣な弾圧裁判 3


検察巨大犯罪が無罪放免




高知白バイ冤罪事件の正義は必ず実現されなければいけない
http://www.amakiblog.com/archives/2015/01/18/#003088

きょう1月18日のテレ朝日曜報道ステーションが高知白バイ事件の特集番組を流した。

これは国民必見だ。

高知白バイ事件とは2006年3月に高知市で起きたスクールバスと白バイの衝突事件であり、白バイに乗っていた巡査長が事故死し、スクールバスの片岡運転手が1年4か月の実刑判決を受けた事件だ。

これは当初から、警察、検察、裁判所による権力犯罪の疑惑が指摘されてきた事件である。

今朝のテレ朝の特集番組は、実刑判決を受けて刑に服した片岡運転手が、服役後に冤罪を主張して再審請求を起こしたが高知地裁がその訴え退けた事を取り上げた。

ここまで目撃証言や冤罪濃厚の証拠が出そろっているというのに、それらの疑惑を一切検証することなく門前払いをする裁判所とは一体何だろう、と司会役の長野智子が問いかた。

ここで事件の疑惑について詳しく書く余裕はないが、私は高知白バイ事件の冤罪を主張して、運転手の弁護引き受けて来た生田暉雄元裁判官と懇意にし、彼と運転手の支援者たちを通じてこの事件の不正義を追及してきたひとりだ。

私は知らなかったのだが、高知地裁は、刑に服して出所し、名誉回復のため再審請求を行った片岡運転手に対し、昨年12月16日に棄却の判決を下したいたのだ。

こんな重要な判決が下されていたというのに大手メディアは一切上げなかったのだ。

国家ぐるみの権力犯罪を最終的に隠ぺいするのが最高裁だ。

そして最高裁の犯罪だけは絶対に国民には知らせてはいけない。

そのためにはメディアも屈服させる。

これが、この国のもっとも深刻な恥部である。

その象徴が高知白バイ事件である。

この高知白バイ事件の再審請求と並ぶもう一つの再審請求が行われている。

それが砂川事件判決の再審請求だ。

田中耕太郎最高裁長官が米国政府に従属して砂川事件に関与した国民に有罪判決を下した。

その不都合な真実が米国解禁文書により明らかにされた。

だから裁判所は裁判をやり直す必要があるが、おそらく裁判所は再審請求を棄却するだろう。

高知白バイ事件と同様、裁判所は自らの間違いを認めるわけにはいかないのだ。

もし再審を認め、判決の誤りを認めれば、この国の「法の支配」が音を立てて崩壊する。

国家権力そのものが犯罪者であることになり、国家が崩壊するからだ。

おりから「絶望の裁判所」(講談社現代新書)を書いた瀬木比呂志元最高裁裁判官が続編である「ニッポンの裁判」(講談社現代新書)を上梓した。

その献本を瀬木氏から受けて読み終えたところだ。

その内容は「絶望の裁判所」以上に衝撃的だ。

すなわちこの国の裁判そのものが絶望的であることがわかる。

しかし、片岡運転手はあきらめる必要はない。

我々はあきらめる必要はない。

権力者が一番恐れているのは真実が明らかになることだ。

権力者が一番恐れているのは真実を知った世論が立ち上がる時である。

我々が絶望しかかっている時こそ、彼らもまた追いつめられている時なのだ。

正しいことほど強いことはない(了)