水道事業の民営化 | きなこのブログ

きなこのブログ

大失業時代が到来しています。大失業の恐ろしさを歴史から学ばなければならない。『大失業は戦争への道につながっている』

日本を明るい未来へ…

水道事業の民営化は生活安全の大崩壊を招く
http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/

【前 大田区議会議員】の奈須りえさんが、大阪市の水道民営化におけるパブリックコメントがひっそりと募集されていることにかんして、下記URLの二つの記事を書いておられるので是非ご覧になっていただきたい。

●奈須りえさんの記事 2014-05-01 22:56:20
『水道民営化 大阪市がひっそりパブコメ中。 その1◆民営化の前に考えたい、今、なぜ公的分野が民営化』
http://ameblo.jp/nasurie/entry-11838866066.html

●奈須りえさんの記事 2014-05-04 08:19:28
『水道民営化 大阪市がひっそりパブコメ中。 その2◆水道事業の現状』
http://ameblo.jp/nasurie/entry-11840748271.html

この最初の記事で奈須りえさんは民間委託民営化根本的に違うので混同しないように注意を呼び掛けている。

あと、大阪市の水道事業のコンセッションを考えるうえで、公的分野における民営化の意味を根源的に問いかけている。

生活に密着した公的分野の民営化は、生きるか死ぬかのライフラインを、企業の営利活動の文脈に置き換えてしまう。

で、それは生活する住民にとって、「身体的な安全」や「経済的な安全」の観点から、はたして大丈夫なのかということだと思う。

つまり、奈須りえさんは、公的分野“専権領野”を民間経済に委ねても大丈夫なのかという、最も重大な疑問を投げかけているのである。

神州の泉は常識的に考えても大丈夫なわけはないと思っている。

なぜなら、神州の泉の勝手な認識なのだが、

国家は国民に対して納税、勤労、教育を受けるという三大義務を課していることと引き換えに、ある絶対的な義務を背負っているからだ。

その義務こそが国家のレゾンデートルである。

では国家が国民に対して背負う絶対的な義務とは何であろうか。

400年前のウエストファリア条約以降、国家と国民のあいだには、憲法に明記されようと不文であろうと、確実に双方の契約関係がある。

これは目に見えないある種の共同幻想としてとらえてもいい。

国民が一方的に国家に対して強制的な義務を負いながら、国家は無機的な枠組みなのだから、国民に対して何の義務も負わないとするなら、そもそもこのワンウエイの関係は無政府状態と何ら変わることはない。

明らかに国家は国民に対してあることを能動的に行う義務を負っている。

それは国民の命と財産を守る義務である。

この一点こそが最も重大な国家機能だと神州の泉は思っている。

これを履行しない国家は国家としての権威や存在価値を保てなくなる。

国民は自分たちの生命や財産の安全を担保してもらうために、三大義務を履行するとともに、国家に対して外敵からの防衛、あるいは国民を害する暴動鎮圧の権能を認めている。

これは相互に冷徹な契約の概念である。

水道事業の管理もこの防衛義務に含まれると思っている。

欧米の社会契約論と言えば、トマス・ホッブズ、ジョン・ロック、ジャン・ジャック・ルソーを思い浮かべるが、神州の泉はこの三者の中で、ホッブズの『リヴァイアサン』が最も現実に即し、まっとうな統治概念だと思っている。

それはホッブズの自然状態に対する認識が最も理に適っていて、しかも現実に即しているからだ。

単純に言えば、ホッブズは世界認識の基礎である『自然状態』を野蛮・無秩序・闘争状態ととらえ、この認識から国家論や統治論を展開した。

これに対し、ロックやルソーの自然状態のとらえ方は、神の高度な計らいや秩序が働く状態であると考える。

この世界の自然状態が神の美しい調和的な秩序を自己形成するものなら、そもそも人類は法体系を必要としない。

ハンムラビ法典やモーゼの律法(十戒)はロックやルソーの出発点が幻想であることを示している。

ところが欧米世界の民主主義は不思議なことにロックの「統治二論」を源流としている。

勝手な思い込みであるが、ホッブズが最もまっとうに見える。

市民社会も国民主権論も、実は国家の担保によってはじめて成り立つものだ。

だから国家は国民を幸福にすることでもないし、たった一点をのぞいては国民に何かを分け与える存在でもない。

国家がやるべきことはたった一点、国民の命と財産を守ることである。

このたった一点の義務を国家が放棄すれば、それは国家国民という包摂・集合状態が存在論的に成り立って行かないことになる。

今の安倍政権が人類史的に極悪(ごくあく)なのは、アメリカ政府と協同したグローバル企業の傀儡となって、日本の最も大事な国家属性を自ら率先して破壊しまくっていることにある。

この視点から、水道というライフラインを民間経済に委ねることは、国家の最大の機能である国民を守る義務の放棄となる。

いわゆる新自由主義による民営化とは、上記観点で言えば、国家機能の放棄と同義なのである。

民間企業にはライフラインの安定的な供給や維持は理論的にできないのだ。

なぜなら企業の存在目的は利潤の最大化を恒常的に保つことにあり、それは国民の安全を犠牲にして行う属性を持つからだ。

奈須りえさんは規制緩和がもたらすものは、企業利益と国民生活の安全や便益がトレードオフの関係を持つと、重大なことをおっしゃっている。

国家はその気になれば、民間企業の営利活動を代替できるが、民間企業は国家の防衛機能を絶対に代替できないのだ。

これは「公」と「民間」の管轄領域が、モノよっては相互互換性がないことを示している。

この非対称こそが、国家戦略特区における民営化問題の本質なのである。

ここから分かるように、公的分野がなぜ公的分野になっているかという根源的な理由は、それが市場原理になじまない防衛領域になっているからだ。

じつは国家戦略特区の規制緩和や民営化には日本人の国家論が問われているのである。

それほどまでにこの政策は巨大なモメンタム(運動量)を有している。

↓市民政策アナリストで国家戦略特区を追求されている前大田区議会議員 奈須りえさんのオフィシャル・ブログ
http://ameblo.jp/nasurie/

↓奈須りえさんの記事一覧
http://blogos.com/blogger/nasurie/article/

(国家戦略特区による「規制緩和」についても、市民の立場で専門的に発言されているが、市民有識者では類例がないのでは?)

↓奈須りえさんの「★規制緩和の流れから見る特区とTPP★」
http://nasu.seikatsusha.me/files/2013/09/b97e4139c90148572807c213e1966703.pdf

(必見!このPDF資料は規制緩和の流れから特区とTPPを位置付けたコンパクトな概要。

規制緩和の小史的な俯瞰としても非常に役立つ。

また、各々の特区(3つ)の比較表や、国家戦略特区における10項目の規制緩和メニューなども分かりやすく説明。 )