神風特攻隊 | きなこのブログ

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大失業時代が到来しています。大失業の恐ろしさを歴史から学ばなければならない。『大失業は戦争への道につながっている』

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諸外国で「カミカゼ」といえば「死を覚悟した体当たり攻撃」をさすと言うことである。

軍事作戦とは本来、敵を倒して自らは生きて帰ることを前提としたものであるはずだ。

神風特攻隊とは、太平洋戦争末期に飛行機ごと体当たり攻撃を行って、敵機動部隊を殲滅することを目的として編成された特別攻撃隊のことをいう。

飛行機による特攻作戦で出撃した人数は約5000人前後と思われる。

「特攻は統率の外道である」

神風特攻隊の発案実行者とされる大西瀧治郎中将(第一航空艦隊司令長官)自身の言葉である。

「わが声価は棺を覆うて定まらず、百年ののち、また知己なからんとす」。

大西中将は敗戦翌日割腹自殺して果てた。

介錯も受けず10時間もの間もがき苦しんだという。

特攻作戦のような、生還の可能性の全くない軍事作戦を命じた国は、いまだかつて日本国以外にはない。


そして、直接命令を下した指揮官たちは、口々に

”われわれもすぐに君たちのあとを継いで飛び立つ”

といっておきながら、

後に続いた者はほとんどだれもいなかった


戦略・戦術もなく精神論ばかりに傾いて戦争を続行した。

そして遂に、いかに戦時とはいえ絶対に行ってはならない特攻作戦を実行してしまった。


また、戦後生き残った最高指導者層は、特攻隊の発案実行者はあくまでも大西瀧治郎中将である、として全ての責任を彼に押し付け、自らの関与を完全に否定し続けた。


特攻隊員はその役目を引き受けなければよかったのだ、という声もまた多いという。

しかし、当時の日本国の状況の中で、それを拒否することはできなかったはずだ。

全員が志願だったかといえば、”限りなく指名に近い強制が働いた”ということだろう。

拒否すれば非国民とされ、場合によっては累は家族にまでおよぶ危険もあっただろう。

若い彼らには夢があった。

やりたいことがたくさんあった。

生きていたかった。

深い苦悩を抱えて、特攻隊員たちは飛び立っていった。

彼らが自らの死をもってわれわれに訴えているのは、

「(彼らの)死を生み出した時代を心底から清算しなければならないという覚悟である」

そのような彼らの死が「犬死」であることなど断じてない。

特攻隊員は数多くの手記や遺稿を残している。

例えば「きけわだつみのこえ-日本戦歿学生の手記-」

青年学生平和の会刊行(1949年)に収載されている。