こんばんは。
きなこばなな です。

本日もブログにご訪問いただき
ありがとうございます。


今日は人間関係について
最近の出来事から感じたことを
書きます


記事の内容は
あくまで私の考えです
ちょっと悲観的かもしれません


でも、今の正直な気持ちを
書いてみますので
よろしければお付き合いください


↓  ↓  ↓


私が最近、
気づいたこと


それは


人との関係性について
私に取り扱えないものは


手に入らないようになっている
(ご縁がつながらないように
なっている)


ということです


これまで、言語化には至らずとも
感覚としてはうっすらと
感じ取っていた気がします


しかし今回
はっきりと認識してしまい
衝撃を受けました


(みなさんはどう感じますか?
私は気付くのが遅すぎた?!)








いっぽうですが
この事実は
見方を変えると



私に対する
天の神様からの
愛あるきわめて合理的な配慮だと


同時に悟りました



なぜなら

【関係性の病】を抱えた私が
誰かと親密になろうとしたり


もしくは


もう少し仲良くなりたい
もう少し話してみたい
そういった気持ちになると


私が記憶する限りの
過去の体験において
毎回、関係が拗れていったからです


もしくは、不思議なくらい
その時点からご縁が遠ざかって
いったからです


私が私のもっている器で
適切に取り扱い
長きにわたり継続して
健やかさを維持していける
関係性(相手)でないものは


手に入らないように
(ご縁がつながらないように)
天の神様が采配しているのでしょう


心底、驚いてしまいました…


それでも、まだ
執着の強い私は


他の人たちはあんなに自由に
楽しく男女一緒に
(または1対1で)
おしゃべりしている


私には叶わない
どんなに願っても叶わない!
人生はなんて不公平!と


不平不満を抱きます


しかし、やはり
この状態は天の神様からの
「きわめて合理的」な
配慮にもとづく
現象なんだと思います


例えば
泳げない人が
いきなり足のつかない
プールで泳いだら
溺れます


自分で泳げるようになってから
少しずつ慣らして
深いプールに挑戦するのが
合理的なやり方です


私が関係性の【病】を抱えたまま
いきなり男女混合の
対等な会話の中に飛び込んだり


1対1の親密な関係性を
求めたところで


事故が起きます
対処もうまくできないでしょう


寂しさや悲しさを乗り越えて
傷つくこともよしとする
一皮剥けた器の私になれたら


取り扱える範囲も
変わってくるのかな


しかし、準備ができてからじゃ
遅い気もするのだけれど
(神様の意図は何…?)


訳のわからない (笑)
個人的なつぶやきに

最後までお付き合いいただき
ありがとうございました。