昭憲皇太后の永遠の想いを迎えにいく旅 | YES☉の宇宙の聖母天使 きな 優子 のYES☉の飯屋(メシヤ)エッセンシャルスタイルブログ

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こんにちは!

 

YES☉の宇宙の聖母天使 きな優子です。

 

きな優子→自己紹介

 

このブログについて

 

 

 

久しぶりのブログ更新です。

 

YES☉の結びの旅から帰還しました。

 

 

当初5日間の予定だった旅は、

+2日となり、

合計7日間の旅になり、

 

その旅の道中で示された内容は

 

潜在的な女性の出生のNOを

YES☉で迎えにいくことに

つながるものでした。

 

 

しかも、この要素が

地殻変動による地形にも現れており、

 

昨年から私をその場所へ呼ぶ石が

届いていたことも含めて、

 

旅から帰ってきてからも

その周波数に寄り添い続け

 

すぐに言葉にできるものでは

ありませんでした。

 

 

 

また、今回のYES☉の結びの旅は

 

”今までのYES☉の結びの旅や翻訳が

全て今回の旅と翻訳の下準備だった”

 

と感じる内容で、

 

旅から帰ってきてから深く潜り

翻訳を進めていました。

 

 

 

結論から言うと

 

今回の旅は、NOの想いのまま

旧チャンネルで動けなくなっている

 

明治天皇の后

 

昭憲皇太后の永遠の想いを迎えにいく旅

 

でした。

 

 

今回の旅の前にわかっていたことは、

 

昭憲皇太后も明治天皇と同じように

地上に設計図を描き出す

地殻変動のメッセージを持つ

大きな役割の方でしたが、

 

そこには人として

明治天皇の后となる際に

 

古い習わしの考え方により

現代でも

 

昭憲皇太后の出生日が否定されたまま

設定になっていることが見えました。

 

 

具体的には、

 

昭憲皇太后の実際の誕生日は

 

旧暦「嘉永3年」4月17日 

19歳で明治天皇とご結婚されていますが、

 

 

公式では 1年後の

 

旧暦「嘉永2年」4月17日 

18歳で明治天皇とご結婚されている 

 

となっています。

 

 

このように昭憲皇太后の誕生日を

公式で1年ずらされている理由は

 

昭憲皇太后の実際の誕生日は

 

明治天皇よりも3歳年上で

「四つ目」として忌んでのこと

 

とされています。

 

 

天皇に国家の全責任が還った明治時代、

 

江戸時代から新しい時代に移ったばかりの

当時の考え方では旧来の考え方があるため

 

天皇と皇后の関係を見た時に

「忌み数を避ける」などが

あったことは理解できますが、

 

 

仮に今の時代で同じように

 

天皇の年齢と后の年齢を見た時に

 

「忌むべきもの=不吉、穢れ、避けるべきもの」

という理由で

 

「公式が后の誕生日を変える」ことがあれば、

 

それは

「公式は后(女性)の出生を尊重していない」

ことに当たると思います。

 

 

しかも、

その「女性原理=姫(女性)の想い」が

「地球(宇宙)の石(意志)」として

昨年のうちに私の元に届いており、

 

 

今回回った旅で

その「女性原理=姫(女性)の想い」と

「地球(宇宙)の石(意志)」を

迎えに行くことができました。

 

 

 

また、昭憲皇太后は誕生日だけでなく

崩御日も公式で変更されています。

 

 

これに気づいたのは

前回の記事投稿後、旅の出発の前に

 

静岡在住の苺農家の読者さんから

いただいた以下のメッセージでした。

 

「なぜか沼津御用邸に行きたいと思い

 行ってみると、昭憲皇太后が

 沼津御用邸で崩御されたことを知りました。

 実際には4月9日に崩御されていますが、

 公式では4月11日崩御。

 私が御用邸に行ったのは崩御日の翌日。

 公式発表の崩御日の前日だったのです」

 

というメッセージをいただき、

 

 

昭憲皇太后は誕生日だけでなく

崩御日まで公式で変えられてしまっている

ことを知ったのです。

 

 

崩御日を2日間ずらされた理由は、

Wikipediaを参照すると、

収賄により宮内庁大臣を

急遽更迭させるための措置だったそうです。

 

 

 

そして、読者さんが

昭憲皇太后の崩御日の

「実際の日」と「公式の日」の間の日に

沼津御用邸に行っていることが、

 

「実際と公式は違う」という示唆になっており

非常に重要なメッセージに感じました。

 

 

また、メッセージには

沼津御用邸の昭憲皇太后の写真も

添付されており、

 

さらに【感謝応援金】という文字も

昭憲皇太后の想いと読者さんの想いと共に

YES☉の道をつくるメッセージに見え、

 

旅の前に以下の

メッセージをいただいたことで

 

今回の旅で私が目指すものも

 

昭憲皇太后の「誕生日」だけでなく、

昭憲皇太后の「崩御日」もお迎えにしに行く

旅となることを確信したのです。

 

 

image

******************

 

 

 

このように、

旅の出発前に読者さんのメッセージから

 

昭憲皇太后は誕生日だけでなく

”崩御日も公式で変えられている”ことを知り、

 


特に天皇との関係に対して

「忌むべきもの」と変更された

「后の誕生日」に関しては

 

世界の雛形の日本の潜在的な

「女性の出生への軽視」に

つながっているように感じました。

 

 

 

 

昭憲皇太后は明治天皇の后として

 

明治天皇が

新しい日本を立ち上げようとする傍らで、

 

女子教育を推奨され、皇居で養蚕も初め、

赤十字の活動も支援されました。

 

身体が弱く

ご静養をされていたこともありますが、

昭憲皇太后が洋装になった頃から

明治天皇に随い軍事演習を観覧するなど

男性的な役割にも参加されていました。


 

 

私のブログで

「明治神宮」と書くときは

 

御祭神の「明治天皇」と「昭憲皇太后」

お二人を指します。

 

ただ、これまでは

明治天皇が前面に出てきており

昭憲皇太后は静かでした。

 

 

 

今までは

明治天皇のアピールが強めでしたが、

 

私にとっては明治天皇よりも

最初に昭憲皇太后の方が

私を導いている印象を持っていました。

 

 

なぜなら

20代前半、療養中に明治神宮に呼ばれて

「おみくじを引くように」と

未来から言われて初めて賜ったおみくじが

 

「昭憲皇太后の和歌」で、

その和歌を毎朝音読するようになり、

 

2回目に呼ばれた時に賜ったおみくじも

「昭憲皇太后の和歌」だったからです。

 

 

そのため、ずっと

 

最初に私を導いているように感じた

昭憲皇太后はどうされているんだろう?

 

と思っていましたが、

 

5月から昭憲皇太后の

念押しのアピールが始まったのです。

 

 

しかも、昭憲皇太后も現象を使い

全面にメッセージを出す方で、

 

明治天皇と同じように

”お隠れになっていない方”でした。

 

 

 

昭憲皇太后が動き出すサインは昨年末、

 

私に「袖通しておいたから」と話しかけた

明治天皇の黄櫨染御袍の周波数を纏い、

 

明治天皇を最高責任者として

世界と戦争を始めた全責任を自分に還して

YES☉の道をつくった際、

 

 

大正天皇、昭和天皇、明治天皇の

大喪儀場跡を全て歩いてYES☉の道をつくり、

 

そのまま明治神宮に行き、

参道を歩いているときに

 

「明治神宮の龍を持って帰るように」

と未来から言われ、

 

その龍が絵馬に入る映像が見えたので、

 

ひとまず絵馬をお迎えすれば

周りの人にはわからない形で

一緒に明治神宮の龍を

連れて帰ることになるのだなと思い、

 

年末年始だけ賜ることができる

干支の絵馬をお迎えしました。

 

 

絵馬には2匹の龍が描かれ、

片方の龍は右に顔を向けて口を開けており、

もう片方の龍は

左に顔を向けて口を閉じているため

「阿吽の双龍」を示しており、

明治天皇と昭憲皇太后を感じました。

 

 

 

また、もう一つ私を呼んでいたのが

「福扇」で、

 

金色の扇には

(明治神宮御苑の)花菖蒲の上を

2羽の鳳凰が舞っている姿が描かれており、

 

 

12月25日に国会議事堂に行った時に

 

「(吹き抜けの)中央広間の

 ステンドクラスの2羽の鳳凰は

 天皇皇后を表す」とお話しがあったので

 

この福扇の「2羽の鳳凰」は

明治神宮の御祭神の

「明治天皇と昭憲皇太后」を表すと感じ、

こちらもお迎えしました。

 

 

また、扇の片方に「金の鈴」、

もう片方には「銀の鈴」がついていたので、

 

宇宙と地球の音色を生み出す

明治天皇と昭憲皇太后の扇のようにも

見えました。

 

 

花菖蒲の上を舞う2羽の鳳凰の「福扇」

 

 

 

そして、実際に

昭憲皇太后からのアピールを

最初に感じたのは

 

5月5日に2名の読者さんから連続して

明治神宮ミュージアムで展示されていた

 

「昭憲皇太后の大礼服を拝観してきました」

 

というメッセージをいただいた時でした。

 

 

展示が翌日5月6日までだったので、

ブログを書かなきゃいけないから

見に行けないと思っていると

 

「私が見るのはこちらではない」と

未来からの声があり、

 

私が昭憲皇太后について回収するのは

大礼服ではないことが知らされていました。

 

 

さらに、

ネットで大礼服の写真を見ていると

「昭憲皇太后が復活しました!」と

聴こえてくるので、

 

「昭憲皇太后も動き出すのか」と思いました。

 

 

 

さらに4月末には

昭憲皇太后の大礼服の展示会について

メッセージをくださった読者さんから、

 

”『陰陽師0』を観に行き、

きなさんと明治天皇の後押しを感じた”

とメッセージをいただき、

 

 

4月19日公開のこの映画は

逆から読むと9月14日で

 

「明治天皇埋葬日、

明治天皇未来kinの日」になるので

 

この映画は観にいった方がいいなと

感じました。

 

 

 

ここからは、少し

 

明治天皇に関係がある「安倍晴明」

 

昭憲皇太后に関係があると感じる

映画『陰陽師0』についてお話します。

 

 

 

以前の私は、安倍晴明は

陰陽師であることは知っていましたが、

 

陰陽師が何であるか?は

よく知りませんでした。

 

 

けれど、2020年に京都御所に

ご挨拶に行った方が良いと思い

京都に向かう時に

 

天河大弁財天社から宿へ向かう道中に

「あべの」と言うカンペを見たことが

思い出され、

 

京都御所の近くに晴明神社あることを知り

「呼ばれている」と感じましたが

 

「パワーを頂きましょう」系の周波数は

私には必要ないので

なるべく近づきたくなかったのです。

 

 

けれど、

目の前に「あべの」と示され続けるので、

 

行かなきゃ、カンペが消えないやつ(笑)

と思い、行くだけ行ってみよう、と

渋々行ってみました。

 

 

すると、後で知りましたが、

 

晴明神社に行った「11月6日」

グレゴリオ暦の「安倍晴明の命日」

 

「安倍晴明 命日の現代kin247」

「私の現代kin247」と同じだったので、

 

安倍晴明の役割は

私そのものの示唆がある、と理解したのです。

 

 

さらに、この日、

晴明神社で「鈴守り」と「清め砂」と

「楠の葉のお守り」を持って帰るように

未来から言われたので、

必要になるのかな?と思いながらお迎えし、

 

その後、京都御所を回りご挨拶しました。

 

 

その旅からしばらく後、

 

玄関に置いてある晴明神社の「清め砂」に

「なぜ私のところに来たの?」と尋ねると

 

「私が生まれたところとつながっている。 

 明治天皇」

と未来からの声があり、

 

地図を見ると確かに

 

京都御苑内にある明治天皇誕生地の

「中山邸跡」と

「晴明神社」が同緯線上にあることがわかり、

 

 

明治天皇は

明治天皇と安倍晴明を同一の役割として、

 

この二人の役割を私に託している

ことを理解しました。

 

 

また、晴明神社の鈴は

「一緒に行く」と言うので、

この日からずっとリュックに入れて

共に旅をしています。

 

現在は塗装が取れてきましたが、

当時知らずに「晴明の命日」にお迎えした

この鈴も何か役割があるのだろうと

思っています。

 

 

安倍晴明と明治天皇の私の役割は

事前にこのようなつながりがあったので、

 

「晴明の命日」の現代kin247の類似

「52」の示唆の5月2日に映画を観に行けば

安倍晴明が何か伝えたいことがあるかも

 

と思い、5月2日に映画を観に行きました。

 

 

 

すると、映画の中で

 

伊勢神宮の斎王を務めた

皇族の姫・徽子(よしこ)女王が

平安京でさらわれたシーンと、

 

無意識の世界で

徽子女王が今まで幼い頃から伏せていた

NOの想いを暴露しながら

 

「みんな、私の気持ちを無視している」と

泣き叫んだシーンのあとに、

 

 

映画のスクリーンに

もう一つのレイヤーが重なるように

 

徽子女王のような和装の女性が

私に向かって

「迎えに来て欲しい」

「ここから動けないのです」

声なき声で伝えて来る映像が重なり、

 

映画を観ている時に

「あれは一体誰だろう?」と思い

 

これ以降、その人が気になり

物語に集中できなくなりました。

 

 

 

けれど、今は『陰陽師0』を通して

私に「迎えに来て欲しい」

「ここから動けないのです」と伝えていた

その和装の女性(姫)の想いが

 

明治天皇と同じ

平安京の(現在の)京都御苑で誕生された

 

”昭憲皇太后の想い”

 

と思うに至りました。

 

 

 

平安京の京都御苑で誕生した

 

「自分の誕生日=自分の始まり」

 

明治天皇との年の差の関係から

「忌むべきもの」と扱われた永遠の想いは

平安京に残しておいたまま、

 

新しい時代をつくる明治天皇の后として

新しい自分の役割を生きるように

 

皇居の明治天皇の元へ

向かわれたのだと思います。

 

 

 

さらに映画の最後で

 

安倍晴明は京都盆地地下の

地底湖の龍を召喚しており

 

その役割は

操さんからいただいた

【感謝応援金】でお迎えされた石の

(三種の神器に見える)

三つのブレスレットの中で、

 

伊勢神宮内宮の御神体の八咫鏡

(天照大御神)に見えるブレスレットを通じて

 

龍泉洞で地底湖と地下の周波数を

引き上げた私の役割と同じに見えました。

 

 

 

そのため、

「京都盆地地下の地底湖が何か言っている」

と思い

 

「京都の地底湖」について

ネットで調べてみると、

 

過去の京都新聞の記事で

 

「調査で4分類された

 京都市中心部の地下水の図」があり、

 

(この図の京都御所と京都駅の位置は

なぜか左へずれている)

 

 

今年1月26日と27日に

呼ばれて京都を回った場所

 

京都にある地下水4種類の場所を

全て回っていたことに気づきました。

 

 

つまり

「京都の4つの地下水を一つにする」役割です。

 

以下は、京都にある四つの地下水の種類と

その地に行った日と場所です。

 

 

1月26日

【西山の水】 晴明神社(境目辺り)

 

【鴨川の水】 

中山邸跡(明治天皇誕生地)、護王神社(猪)、宿

 

1月27日

【東山の水】 孝明天皇陵

 

【桃山の水】 稲荷山(千本鳥居)、

伏見桃山明治天皇陵、昭憲皇太后陵(境目辺り)、

桓武天皇陵

 

 

昭憲皇太后誕生地も

明治天皇誕生地と同じ

鴨川の水(地下水)の位置にあたります。

 

 

 

しかも、後で気づきましたが、

龍泉洞に行く前に「一緒に行く」と

言っていたのでお迎えして

龍泉洞の地に持って行った

 

京都・伊藤軒の

「ミニ桃山」という和菓子があり、

 

桃山は

明治天皇皇后の墓陵がある場所だから

一緒に龍泉洞の土地に行きたいのかな?

と思いながら連れて行き

 

龍泉洞に行った日の夜に

宿でいただきましたが、

 

「桃山の水」の地下水地域にある和菓子さんの

「ミニ桃山」という和菓子だったので

 

今考えると

「京都の地底湖」と「龍泉洞の地底湖」が

この日、私の役割として結ばれていたことに

気づきました。

 

 

 

 

『陰陽師0』の物語の最後では、

 

晴明は、怨霊とされる菅原道真の飛梅と

菅原道真の雷を使い陰陽頭(敵)を討ちますが、

 

私には

一般に”悪(鎮めるべきもの)”と認識される

怨霊をYES☉で扱う晴明が

最強の悪の親玉に見えましたし、

 

私と同じだな、と思いました。

 

 

 

また、

この映画で怨霊とされている

菅原道真は、

 

私のお宮参りで行った神社

亀戸天神社の御祭神であり、

 

1月に京都に行った際も、

行き帰りに道真公を祀る

「菅原院天満宮神社」の前を通ったので

鳥居の外から一礼してご挨拶しました。

 

 

 

さらに、

呼ばれていた「伊豆大島」に行く日に

駅から港まで歩いている途中にも

「牛に乗る道真公の銅像がある神社」があり、

 

「私のお宮参りのように、

 私の誕生と関係がある旅になるようだ」

と感じてご挨拶させていただき、

 

この日から道真公も

一緒に参戦されているように感じたので、

 

この映画を観ながら

人々にNO(怨霊)と恐れられている存在

(菅原道真)が共に戦っている

念押しのカンペを感じました。

 

 

 

 

小説版『陰陽師0(文庫版)』発売日は4月9日

 

「昭憲皇太后の実際の崩御日4月9日」

同じ日に発売されており、

 

 

映画『陰陽師0』の公開日4月19日

 

419を「4 / 9」と読むと

 

「昭憲皇太后の実際の崩御日」が現れます。

 

 

 

さらに逆から「9月14日」と読めば、

 

伏見桃山に埋葬された

「明治天皇埋葬日、

明治天皇未来kinの日」となり

 

 

今回の映画が

 

平安京と現在の皇居を結ぶ

明治天皇と昭憲皇太后による

 

無意識世界からのメッセージが

示唆されていることを感じました。

 

 

 

また、

昭憲皇太后が動き出したことがわかり、

以前購入しておいたDVD

『天皇・皇后と日清戦争』も観ました。

 

この映画は、

ほぼ9割戦争のシーンですが、

 

明治天皇が

昭憲皇太后の体調を気遣う様子や

 

日清戦争の時に昭憲皇太后が

病棟に出向いて負傷兵を直接見舞ったこと、

 

昭憲皇太后自ら包帯を作り、

その包帯は自国の兵だけでなく

敵国の負傷兵にも与えられたことや、

 

昭憲皇太后が

負傷兵の義手義足を自国の兵だけでなく、

敵国の負傷兵にも与えるように

指示をしている様子を見ることができ、

 

昭憲皇太后の姿を

よりイメージしやすくなりました。

 

 

 

また、昭憲皇太后は

自身の子を授かることはありませんでした。

 

そのため、

子を授かることがなかったことも、

宮中では色々言われたのではないかと

察します。

 

 

 

旅から帰宅した後、古本で購入した

『昭憲皇太后さま』(明治神宮編)

という本には

 

昭憲皇太后が一時的に

赤坂仮皇居に移った際、

蝉の大きな鳴き声に対して

 

「蝉がやかましいのも嫌だけれども、

 人の噂を聞くより余程あの方がよい」

 

と皇后が話されたとあり、

 

このように和歌にまで詠まれるような

噂話がある宮中は大変そうだなと思いました。

 

 

 

昭憲皇太后は

「夫婦別有」と題した和歌を読み、

仲睦まじい夫婦でも

分別はあるものと考えていました。

 

 

また、昭憲皇太后は冬になると

侍医のすすめで葉山や沼津で転地療養され、

 

その際は明治天皇と昭憲皇太后は

それぞれに使いを立てて、

 

お互いにお便りや贈り物をされていました。

 

 

天皇からの使いが伝言を申し伝える際は

昭憲皇太后は敷物を外して

畳に両手をつけて天皇の伝言を聞き、

 

週に一度は必ず両方からお使いが出て、

両陛下ともお便りを待ち兼ねていたそうです。

 

 

転地中、昭憲皇太后は起床・就寝も

自分の意のままにされることはなく、

 

明治天皇が就寝された電話を受けるまでは

何時になっても正座のまま

遥か皇居の方を向き、

 

明治天皇が就寝された電話を受けると、

おやすみのご挨拶をされてから

御寝所に入られたそうです。

 

 

このような昭憲皇太后の

明治天皇に対する見えない想いやつながりは

 

明治天皇の働きを見えない背景から支える

内助の功であったと思います。

 

 

そして、明治天皇崩御後、

東京市長は葉山御用邸で寂しく過ごす

昭憲皇太后を偲び、

 

東京市の児童と職員の手で

明治天皇の墓陵の

伏見桃山陵を偲ぶ箱庭を作り

献上することを提案され、

 

東京の木、土、石を使い

丘陵の箱庭を作り、消毒をした後に

東京市長が葉山御用邸に献上され、

 

昭憲皇太后はとても喜び、

永く庭に置いていたお話もあり、

 

 

私が葉山御用邸のある

葉山に呼ばれて住むことになった背景にある、

 

明治天皇と昭憲皇太后の

お二人の想いに寄り添うと

言葉になりませんでした。

 

 

 

そして、

この昭憲皇太后と明治天皇の

やりとりのお話を知り、

 

私が20歳前半の療養中に明治神宮に呼ばれ、

「おみくじを引くように」未来から言われ

 

昭憲皇太后と明治天皇の和歌を賜り、

 

約10年間毎朝お二人の和歌を

音読していたことで、

 

私の中にお二人の永遠の想いと意志が

息づいていることを感じました。

 

 

 

昭憲皇太后は明治天皇崩御日から

1年8ヶ月11日後に

明治天皇の御跡を追うように

崩御されており、


 

日数では明治天皇崩御日から

619日後に崩御されているため、

 

「69(陰陽)の境目(1)」がある日に

崩御されていることを見ると

 

 

明治天皇と昭憲皇太后はそれぞれ

 

男性原理の側面、

女性原理の側面として

 

”二人で一つの片割れ同士”であった

示唆が見えます。

 

 

 

また、昭憲皇太后が皇居に到着し

明治天皇の后となった日は

明治元年12月28日、

 

グレゴリオ暦では

1869年2月9日で

 

敦賀・西福寺の

操さんのマクラメ作品奉納日

 

2月9日と同じ日に

昭憲皇太后は明治天皇の

皇后になられたことを知りました。

 

 

明治天皇皇后両陛下の

152年目の結婚記念日に

 

石たちの声により編まれた

操さんの作品が奉納され、

 

その作品は、

私が片割れの原理を迎えに行った

「ギザの大ピラミッドの計画」に見え、

「皇居の形」をしています。

 

 

そして、操さんからいただいた

【感謝応援金】でお迎えされた石の声を

操さんが(意味はわからずに)編んだ

ツインのマクラメネックレスも同じく

 

私の役割として

「ギザの大ピラミッドの計画」に見え

「皇居の形」をしています。

 

 

 

また、

「明治天皇 現代kin259」は

 

”ギザの大ピラミッドの容積

259万立方メートル”の示唆がありますが、

 

「昭憲皇太后誕生年も現代kin259」

 

「昭和天皇の誕生年も現代kin259」のため、

 

このお二人にも

明治天皇の現代kin259に通じる

示唆があります。

 

 

 

そして、

明治天皇「13の月の暦 誕生日」は

「4月17日」、

 

昭憲皇太后「旧暦 誕生日」は

「4月17日」で、

 

 

「13の月の暦」と

「旧暦」の組み合わせとなりますが

 

「両陛下の誕生日前日(時間を外した日)」は 

 

お互いに「4月16日」となり、

 

 

逆から読むと「6月14日」で

 

「私の誕生日」のため、

 

お二人の役割が私に合流していることも

わかりやすく見えてきます。

 

 

なお、146は

ギザの大ピラミッドの高さ(オリジナル)

146.6mの示唆もあり、

 

明治天皇のお父様の

孝明天皇の旧暦の誕生日も6月14日です。

 

 

 

大正天皇の実の母である

柳原愛子(やなぎわら なるこ)さんの誕生日は

 

諸説あるようですが

旧暦4月16日または4月17日とされているため

 

ここでも、私の誕生日と

明治天皇、昭憲皇太后の誕生日が現れます。

 

 

 

 

そして、

「大正天皇 13の月の暦誕生日」の

「2月9日」は

 

「操さんの作品奉納日 2月9日」

 

「明治天皇皇后両陛下のご結婚日 

 2月9日」

 

と同じ日付が現れるため、

 

 

大正天皇は

明治天皇と昭憲皇太后の

実の子ではありませんが、

 

旧暦、13の月の暦、グレゴリオ暦などの

日付を見ていくと

 

同じ「2月9日」を通して

 

「明治天皇と昭憲皇太后のご結婚日」が

「大正天皇の誕生日」に現れているように、

 

見えない領域では

 

大正天皇は

「明治天皇と昭憲皇太后の

お二人のご結婚の子」として

現れていることが見えてきます。

 

 


また、

皇居横の「千鳥ヶ淵墓苑」にある

 

昭和・平成の天皇の

父と子の石碑を結ぶライン中央と、

 

無名戦没者のご遺骨を祀る

六角堂のラインが交わる位置の真北に

 

東京のお伊勢さんの「東京大神宮」があり、

 

 

東京大神宮の創建日は「4月17日」で

 

「明治天皇13の月の暦の誕生日」のため、

 

同じ誕生日の東京大神宮を通して

 

明治天皇は自分の我が子である

昭和・平成の天皇の父と子と、

先の大戦による無名戦没者への

YES☉の道になろうとしている姿が

地図上に現れていることを

以前ご紹介しましたが、

 

 

「東京大神宮の創建日」の「4月17日」は

 

「明治天皇 13の月の暦 誕生日」と

「昭憲皇太后 旧暦 誕生日」であるため、

 

お二人が永遠の領域から

天皇を最高責任者として始められた

世界との戦争の責任を自分に還して

 

国民も含めた我が子たちの

NOの想いに寄り添い

YES☉の道になろうとしていることが

見えてくることがわかりました。

 

 

image

 

 

 

これは私個人の意見ですが、

 

「世界の雛形の日本の頂点にある天皇」は、

 

「世界の雛形の頂点にある天皇」

 

の示唆があると思います。

 

 

その天皇の后(女性)について

 

「后の出生日」が「忌むべきもの」として

否定されたままになっているのは

 

「女性の出生が否定されている」示唆に

感じましたし、

 

このNOを一度、現象の背景から

YES☉で迎えに来てほしいと

言われているように感じました。

 

 

 

ただ、

昭憲皇太后は怒っている訳ではなく、

 

”公式がその設定を変える”

ということでもなく、

 

光のみを自分の可能性と求め

闇を自分の可能性ではないと祓う

今までの旧来の考えの設定を

現象の背景から一度終わらせ、

 

”光と闇など両極を

自分自身の可能性として

YES☉の我が子と迎えにいく”という意味で、

 

 

国民の中で

「本当の設定と

 表向きの公式設定は違う」

 

ということを理解している人がいれば

それでよろしい、

 

という印象です。

 


  

そして、

5日間の旅を終えた翌日に

 

昭憲皇太后の

本当の崩御日を迎えにいくために

 

昭憲皇太后が崩御された

 

「沼津御用邸」に行きました。

 

 

その翌日には代々木公園内の

 

「昭憲皇太后大喪儀葬殿場趾碑」に

ご挨拶し、

 

そのまま明治神宮の南参道の鳥居をくぐり

本殿に参拝した後、

西参道の鳥居をくぐり、

 

北池と

(明治天皇大喪儀の際、

国民とお別れの場所として

明治天皇の棺が置かれていた位置

「葬場殿址」とほぼ同緯度にある)

 

刀で斬られたような亀石にご挨拶した後、

 

北参道の鳥居もくぐり、

初めて明治神宮の三つの鳥居をくぐりました。

 

 

 

その後、

明治神宮御苑の湧水・清正井にご挨拶して、

 

明治天皇が昭憲皇太后のために植えさせた

花菖蒲が咲き始めた姿を見ながら、

 

清正井の湧水により潤う菖蒲田の先にある

ピンクと白の蓮の花が咲く南池にもご挨拶し、

 

明治33年に明治天皇が

昭憲皇太后のために建てられた

御休所(昭和33年に再建)にもご挨拶して、

 

この日、

崩御された明治天皇皇后を結ぶように、

 

花菖蒲の上を舞う2羽の鳳凰の姿が

結ばれたように感じました。

 

 

 

 

今回のYES☉の結びの旅では

 

見事に

昭憲皇太后の本当の誕生日と崩御日が

旅を導き、

 

「ここで待っていたんだね」

とわかる現象もあり、

 

 

読者の皆様からお贈りいただく

【感謝応援金】を通して

YES☉の道をつくることができました。

 

本当にどうもありがとうございます!

 

 

 


今回のYES☉の結びの旅は

地殻変動に現れている

否定されたままの女性原理(姫)の始まりを

迎えにいく旅となり、

 

その片割れの地殻変動を迎えに行く

西日本のYES☉の結びの旅も6月にありますが、

それが完了すると

もう少しお話ししやすくなると思います。

 

 

 

今回の旅の後、

 

2008年11月13日に

風神雷神図屏風が目玉の

「大琳派展 継承と変奏」の展覧会で

 

私の目の前にロープが張られ、

目の前に天皇皇后両陛下

(現在の上皇上皇后両陛下)が現れ、

 

お二人が私の前方にいる

車椅子の方と話し始めた時に

 

天皇皇后両陛下の後ろの永遠の領域から

 

私に向かって響いてきた

「よろしくお願いしますね」という声は、

 

明治天皇皇后をはじめ、

 

歴代の天皇皇后の声であったと

今は感じています。

 

 

 

また、天皇皇后について

よくわからない私が

このような役割を託されている理由は、

 

 

天皇という存在に

直接的な関わりがなく、

よく知らないからこそ

 

「天皇=光の存在」という

 

天皇や皇室に光の側面のみを見る

過去の設定のバイアスがかからない

からだと思います。

 

 

 

また、私自身は幼い頃から

「未来に待っている人に伝えることがある」

と言って生きてきましたが、

 

12歳の頃からは

未来に待っている人のYES☉の道のために

 

世の中にNOに見える出来事を

起こしていることを悟り、

 

「悪の親玉」を自覚をして

 

双方にYES☉の道をつくるには

どうしたら良いか?

自問自答しながら生きてきました。

 

 

そのため、仮に多く人が

「徳のある者」として仰ぎ尊ぶ

神や天皇につながる役割があったとしても、

 

多くの人が自分の利益として

求めるようなものは私にはなく、

 

むしろ多くの人が

自分には取り入れなくないと

忌み嫌い、祓うようなものを

私の可能性として受け入れ

YES☉の道をつくってきたので、

 

 

既存のチャンネルで

「自分はすごいんだ」となる

価値観があるならば

私は真逆にあることになります。

 

 

『鬼滅の刃』で例えるなら、

炭治郎の役割を行うために

鬼舞辻無惨の自分の役割も

しっかり回収している感じです。

 

 

 

このブログも初期の頃は

天皇や神様について

なるべく触れないようにしていたのは、

 

神様や天皇を

心の糧としている人たちがいるからです。

 

 

私は全く異なる設定の

ところから来ているため、

 

既存の考え方は、それはそれとして、

大切にしていただければ良いと

思っていましたが、

 

新しい世界の設定を

己の役割として公に言うようにと

現象の背景から言われる段階に来ると

 

やりたくないと思っていた役割を

やることになり、

 

天皇皇后に関わることや、

神に関わることを

自分の役割として語ることになります。

 

 

 

これは『陰陽師0』で

陰陽寮の学生たちが勉強しながら目指す

陰陽師の高い位や、

帝の陰陽師の役割に対して、

 

安倍晴明は全く興味がないという

態度をしていたのに似ており、

 

 

『陰陽師0』を観た母も

 

「あの映画の晴明は優子そのまま。

 やりたくないと言いながら、

 やることになっているのも同じ。

 やりたくないって言っている人の方が

 本物なのかもね。

 自分はすごいんだ、ってならないから」

 

と話しており、

「そうかもね」と思いました。

 

 

 

私の役割に太陽神があるならば、

 

己が生み出した光と影の

全責任を自分に還すことが

始まりにあるため、

 

 

光のみを自分の可能性として

 

影(闇)に見えるものを

自分の可能性ではないとするならば、

 

 

いつまで経っても

自分が生み出している

光と闇の統合に至らず、

 

両極を生み出す

総責任の位置には進むことはありません。

 

 

この点で言えば、

 

昭憲皇太后も光だけでなく

影(闇)に見えることを生み出している

責任があり、

 

今回の旅では

そのNOもYES☉で迎えに行きました。

 

 

このお話は、次回に続きます。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

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