彼方を超えて 眠れる美女 | 不思議戦隊★キンザザ

彼方を超えて 眠れる美女

眠れる美女 
川端康成
新潮文庫

初めて読んだとき、マダムは二十歳過ぎだった。徹頭徹尾キモかったことしか覚えてない。「みづうみ」も同様にキモくて完読は無理だった。しかし必要に駆られて「眠れる美女」をまたもや再読してみた。必要に駆られた理由は後述する。

 


読むのがツライ系

 

この文庫には3篇の小説が収録されている。まず文庫本のタイトルにもなっている「眠れる美女」である。

 

主人公は初老の男。男は知人から紹介された秘密倶楽部へ赴く。そこは少女と添い寝できる館であった。少女は薬を飲まされて裸のまま深く眠っている。男は布団をめくり少女の隣に滑り込む。館の客は少女の隣で眠ることしか許されておらず、少女を起こしたり身体を触ったりすることは厳禁である。
しかし触らなくてもむっとするような少女の臭気は感じるし、少女の顔を間近で見ることはできる。男は少女の隣で横になりながら昔のことをとりとめもなく思い出し始める。

 

「片腕」

 

少女が片腕をはずして男に貸す話。

 

「散りぬるを」

 

少女ふたりが知り合いの男に惨殺される話。

 

この三篇の短編で共通しているのが「死の匂い」である。登場する少女たちは眠っていたり片腕をはずしたり殺されたりして、全体的にネクロフィリアの気配が濃厚である。川端って死体好きだったっけ?まあ、川端の作品はこれと「みづうみ」しか読んでないから知らないに等しいんだけど。

 

さて再読してみたものの作品に対する感想はいつも同じである。それは「ゲンナリ」である。デカダンと評されることもあるらしいが、デカダンっつーのは生の匂いがないんだから死の匂いさえしないもんだ。死の匂いが鼻につくのはちゃんとそこに「生」があるからだろう。しかも生々しい「生」である。

 

「眠れる美女」の初老の男は年寄りだけれども男性機能は衰えていない。だからどうしたって話だが、そういったことをわざわざ記述するってーのが既にゲンナリ。何かの暗喩か隠喩だろうかと考えてみるも、そもそも理解できてないんだから全く分からず。っつーか、理解する前に「うへえ」ってなゲンナリ感に邪魔されて読了するのに一苦労。他のひとたちはどうやってコレを読んでるの?何かコツがあるの?ってなくらいマダムには苦手な一冊だ。

ところがこの作品を手放しで評価した人物がいる。三島由紀夫である。解説を三島が書いているのだが、そりゃもう大惨事大賛辞を送っているのである。解説でスゲー誉めてんなーってことは分かるが、何を言っているのかはさっぱり分からない。なぜこんなにもレトリックの迷路みたいな書きかたなんだ。三島の解説を、誰か解説してくれないか。

「眠れる美女」を絶賛した三島はその2年後、割腹自殺して彼方を超えてしまう。

 

もうひとり、川端の作品に触発され「彼方を超えて」しまった人物がいる。佐川一政である。

 

ちょっと、こんなアレしかなくてすまんな

 

触発されたというのは言い過ぎだろうか。だが昭和56年の4月に発行された「国文学 解釈と鑑賞」の座談会「川端康成におけるエロティシズム」では川端の「眠れる美女」について以下のように述べている。

 


学術雑誌ってやつですかね

 

(画家のクールベを引き合いにだして)最後の方にある白い肌の娘と黒い肌の娘の描写には、何かこれを彷彿とさせるものがあると思います。ところでクールベという人は女性の肉体を見る目がキャニバリストのそれだと皮肉られたという話です。つまり、女性を肉の塊、“もの”として見る、その冷ややかさ、冷たさをいうのです。

 


若き文学者だったはずなのに

 

この座談会を掲載した雑誌が発売された2ヵ月後、佐川はパリでオランダ人の女性を殺して喰うという、いわゆる「パリ人肉事件」を引き起こした。

佐川は座談会の時点で既に「外国人女性の肉を喰いたい」という衝動が抑えきれなくなっていて、ついその衝動を漏らしてしまったのではないか?それとも、そういった衝動を誰かに気づいてもらいたかったのかもしれない。これはSOSだったのだろうか?

 

さて、唐突に佐川の話に飛んでしまったが、これにはワケがある。今年6月、現在の佐川(といっても撮影されたのは2015年)をフィルムに収めた「カニバ」というドキュメンタリーが上映された。もちろんマダムは鑑賞した。なぜならマダムは20年来の佐川ウォッチャーだからである。まだ知り得ない何かを映していると思ったのだ。だって邦題が「パリ人肉事件38年目の真実」なんだもん。期待に胸を膨らませて見たさ!

ところがドキュメンタリーと銘打っておきながら、その内容は非常にお粗末なものであった。真実っつっても、それまで佐川が書き散らしてきた以上の真実は何もなく、「佐川の弟もヘンタイだった」というどーでもいい真実が明るみになっただけであった。

こんなしょーもない素人撮影みたいなフィルムを撮った監督と、こんなしょーもないフィルムに「真実」ってな邦題を付けてカネを集めた配給会社に超ムカついたマダムは再度佐川についておさらいし、なぜこんなトホホなフィルムが撮られたのか考えてみようと思ったのである。そんで、佐川本を引っ張り出していろいろ読んでいるうちの一冊が川端の「眠れる美女」だったということだ。

久々に読んで相変わらず気色悪かったので俎上に載せてみた。載せてみたはいいものの「眠れる美女」については結局「うへえ」ってな苦手意識を新たにしただけであった。あーあ。

佐川と「カニバ」についてはいろいろ考察したり妄想したりフランス人監督の情報を漁ったりしているところだ。そのうちブログに掲載出来ればと思っている。いつものことだが、いつになるか分からんぞ。

 

あ、そうそう、タイトルの「彼方を超えて」の元ネタはエルロイの「ホプキンズの夜」から拝借したんだけど、これについてもいつかまとめてみたい。「Once Upon a Time in Hollywood」の「Green Door」ネタとか。

 

 

 

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