武術を長く続けていると、不思議なことに気づく。師から教わった型を忠実に守っているはずなのに、いつしか動きの端々に「その人らしさ」が滲み出るのだ。この滲み出る色合いこそ「武風」と呼ばれるものであり、いわば武術における個性の表れである。
武風は意図的につくるものではない。何千回と同じ突きを繰り返すうちに、身体の使い方や呼吸の癖、物事の捉え方までもが技に反映される。ある者は鋭さを、ある者は柔らかさを、またある者は粘り強さを。その違いは、人間そのものの生き方や価値観が映し出されているからだ。
現代は効率化や標準化が求められる時代だ。AIが動きを解析すれば、理想的なフォームや最短距離の打ち方を導き出すだろう。しかし、そこには「その人だけの味わい」は宿らない。武術は技術であると同時に芸術でもある。だからこそ、同じ型を稽古していても、一人ひとりにしか出せない「音色」のような響きがあるのだ。
武風とは、長年の鍛錬と経験の果てに自然と結晶する、自分だけの「戦いと生のスタイル」である。個性を隠すのではなく、技の中で昇華させること。それは武術を学ぶ者に与えられた最大の自由であり、また人間にしか持ち得ない尊さでもある。