あなたに平安がありますように。

昨日疲れて寝てしまい、反芻できませんでした。
至らずに申し訳ありません。
悔い改めます。

あなたが救われますように。

イエス様のみこころのとおりになりますように。





イエスは目をあげて、金持たちがさいせん箱に献金を投げ入れるのを見られ、

また、ある貧しいやもめが、レプタ二つを入れるのを見て

言われた、
「よく聞きなさい。
あの貧しいやもめはだれよりもたくさん入れたのだ。

これらの人たちはみな、ありあまる中から献金を投げ入れたが、あの婦人は、その乏しい中から、持っている生活費全部を入れたからである」。













生活費全部を入れたら生活できません。

誰よりもたくさんイエス様に捧げるには、自分の全てを捧げることです。

命を捧げたら死んでしまうと思えますが、イエス様のために死ぬならイエス様がその人を生かすのです。

自分の力で生きる人は死に、イエス様を頼って死ぬ人は生き返ります。

自分が助かるために信仰する人は助かりません。

人に対するあわれみが無いからです。

自分を愛するように人を愛するなら、自分だけ一番大事にはなりません。

自分よりもイエス様が大事でなければ信仰ではないのです。

イエス様が死ぬことで救われたと信じることはイエス様よりも自分が大事なのです。

信仰が本物かどうかというのは、自分を大事にしているのか、イエス様を大事にしているのかで明らかです。