あなたに平安がありますように。

あなたが救われますように。

イエス様のみこころのとおりになりますように。





イエスは彼らに言われた、
「どうして人々はキリストをダビデの子だと言うのか。

ダビデ自身が詩篇の中で言っている、
『主はわが主に仰せになった、

あなたの敵をあなたの足台とする時までは、わたしの右に座していなさい』。

このように、ダビデはキリストを主と呼んでいる。
それなら、どうしてキリストはダビデの子であろうか」。

民衆がみな聞いているとき、イエスは弟子たちに言われた、

「律法学者に気をつけなさい。
彼らは長い衣を着て歩くのを好み、広場での敬礼や会堂の上席や宴会の上座をよろこび、

やもめたちの家を食い倒し、見えのために長い祈をする。
彼らはもっときびしいさばきを受けるであろう」。












なぜイエス様を人として見ているのか。

イエス様を信じない人たちはイエス様をキリストではないと裁いて、神の子ではないと決めつけ、嘘つきの人として殺したのです。

イエス様を殺したということは、イエス様は人間であるという人の裁きです。

私たちはイエス様は神であると信じているので、イエス様を殺すことに一切関わらないのです。

パウロが何と言おうが、イエス様が死ぬことにより救われることは無いのです。

イエス様が自分から命を捨てたのではなく、人々に殺されたのは明らかです。

イエス様が殺されなければならなかったのは、この世の人たちがイエス様を信じなかったからです。

だから、イエス様を信じる人はイエス様を殺すことに絶対に賛成しないのです。

愛する妻や愛する息子を殺して、自分が天国に行けると言われて、納得するでしょうか。

それで良いと思えるなら、極悪非道です。

イエス様の救いがわかったとか、何もかも理解していて知っていると思うことはおかしいです。

自分だけ人より高くなって、自分は神と人を取り次いでいると信じ、自分が先生になっている。

先生はイエス様ただひとりであるのに、自分が何もかもわかったようなつもりになって人に教えている。

何も知らない人はそれを信じてしまいますが、その教えていることが間違っていた場合には、どうやって責任を取るのか。

嘘の教えで金儲けしている宗教がありますが、その嘘を教えて人を騙している人たちはどうなると思いますか。

この世はイエス様の裁きの日のその時までは、嘘はまかり通るのです。