あなたに平安がありますように。

あなたが救われますように。

イエス様のみこころのとおりになりますように。





そして彼らに言われた、
「あなたがたのうちのだれかに、友人があるとして、その人のところへ真夜中に行き、
『友よ、パンを三つ貸してください。

友だちが旅先からわたしのところに着いたのですが、何も出すものがありませんから』
と言った場合、

彼は内から、
『面倒をかけないでくれ。
もう戸は締めてしまったし、子供たちもわたしと一緒に床にはいっているので、いま起きて何もあげるわけにはいかない』
と言うであろう。

しかし、よく聞きなさい、友人だからというのでは起きて与えないが、しきりに願うので、起き上がって必要なものを出してくれるであろう。

そこでわたしはあなたがたに言う。
求めよ、そうすれば、与えられるであろう。
捜せ、そうすれば、見いだすであろう。
門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。

すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。

あなたがたのうちで、父であるものは、その子が魚を求めるのに、魚の代りにへびを与えるだろうか。

卵を求めるのに、さそりを与えるだろうか。

このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」。













人に願うと、断られますが、一生懸命願い続けるなら、必要な物を出してくれます。

人を見下していると一生懸命に願うことはできませんから、いつも人の下に仕えて、尊んで見上げていることです。

自分が少しでも偉いと思っているとイエス様の御心から外れます。

自分の子供は大事ですが、人の子供も等しく大事です。

自分を大事にして他を見下すと人を苦しめることになって、世界全体が苦しみとなります。

平和が無くても平和を生み出すために最大限努力するのです。

私たちにはイエス様がついてるからです。

人が神無しに願ってもそれは叶いませんが、イエス様の御心に叶うなら何でも叶うのです。

イエス様は聖霊を与えたいのですが、私たち人の方が汚れていて悪い思いで内側がいっぱいなので、聖霊が入る余地が全く無いのです。

先ず自分の思いを全て捨ててしまって、イエス様の御言葉でいっぱいにするのですが、簡単にできません。

自分の思いが何で悪いのか、人のやることが何で悪いのか、ハッキリ自分にわかっていないと、悪霊は出せないのです。

悪いことと、善いことを知るには、イエス様という一切が善いお方の言うことを聞かないと、何が良くて何が悪いのか理解ができないのです。

人は先ず自分が悪いのだと知らなければ、永遠に改心しません。

放って置けば、そんな悪いことしていないと言って死ぬまで逃げることになります。

悪くないのなら全部善いということになりますが、そんなことありません。

善いお方はイエス様だけです。