今お役に立たん様に臣民の目から、役員の目から見えても袖にするでないぞ、地でも改めしてまだまだ曇り取らなならんぞ、磨けば皆結構な身魂許りぢゃぞ、人民の肚さへたら天もさへるぞ、心鎮もれば天も鎮もるぞ、神勇むぞ。


あなたに平安がありますように。


あなたが救われますように。


イエス様のみこころのとおりになりますように。






イエスが山をお降りになると、おびただしい群衆がついてきた。


すると、そのとき、ひとりのらい病人がイエスのところにきて、ひれ伏して言った、

「主よ、みこころでしたら、きよめていただけるのですが」。


イエスは手を伸ばして、彼にさわり、

「そうしてあげよう、きよくなれ」

と言われた。

すると、らい病は直ちにきよめられた。


イエスは彼に言われた、

「だれにも話さないように、注意しなさい。

ただ行って、自分のからだを祭司に見せ、それから、モーセが命じた供え物をささげて、人々に証明しなさい」。


さて、イエスがカペナウムに帰ってこられたとき、ある百卒長がみもとにきて訴えて言った、


「主よ、わたしの僕が中風でひどく苦しんで、家に寝ています」。


イエスは彼に、

「わたしが行ってなおしてあげよう」

と言われた。


そこで百卒長は答えて言った、

「主よ、わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしにはございません。

ただ、お言葉を下さい。

そうすれば僕はなおります。


わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下にも兵卒がいまして、ひとりの者に『行け』と言えば行き、ほかの者に『こい』と言えばきますし、また、僕に『これをせよ』と言えば、してくれるのです」。


イエスはこれを聞いて非常に感心され、ついてきた人々に言われた、

「よく聞きなさい。

イスラエル人の中にも、これほどの信仰を見たことがない。


なお、あなたがたに言うが、多くの人が東から西からきて、天国で、アブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席につくが、


この国の子らは外のやみに追い出され、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう」。


それからイエスは百卒長に

「行け、あなたの信じたとおりになるように」

と言われた。

すると、ちょうどその時に、僕はいやされた。


それから、イエスはペテロの家にはいって行かれ、そのしゅうとめが熱病で、床についているのをごらんになった。


そこで、その手にさわられると、熱が引いた。

そして女は起きあがってイエスをもてなした。


夕暮になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れてきたので、イエスはみ言葉をもって霊どもを追い出し、病人をことごとくおいやしになった。


これは、預言者イザヤによって

「彼は、わたしたちのわずらいを身に受け、わたしたちの病を負うた」

と言われた言葉が成就するためである。














神に感謝することで、神によって清まったと、行いで証明することです。


自分の考えで話すと誤ります。


イエス様は神の権威の下にありますが、百卒長もこの世の王の権威の下にあるので、イエス様には何でもできることを理解していました。


下の者に言葉を言えば、その通りになるのです。


それなら、イエス様が言うだけで、その通りになるのです。


何もかも全てが、イエス様の下にあるからです。


だから、百卒長はイエス様を自分の下に入れることはできなかったのです。


百卒長がイエス様の下にあるからです。


全てはイエス様の下にあると知っていることが信仰です。


イエス様は、ハッキリと、天国に入れない人がいると言っています。


自分がそうではないかと、自覚することが必要です。


なぜなら、私たちは神を信じたことがないので、信仰から外れる可能性が、どこまでもあるのです。


いつも剣の上に下に居る心構えが結構なのです。


自分の考えでこれで良いと信じることは危険です。


イエス様は病気を治すということは、自分が病気だという自覚が無ければ治らないのです。


罪人を救うということは、罪人であるという自覚が必要です。