あなたに平安がありますように。

弟子の言葉はイエス様の御言葉とは違います。

人の言葉をイエス様の御言葉と同じに扱わないことです。

あなたが救われますように。

イエス様のみこころのとおりになりますように。





初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手でさわったもの、すなわち、いのちの言について——

このいのちが現れたので、この永遠のいのちをわたしたちは見て、そのあかしをし、かつ、あなたがたに告げ知らせるのである。
この永遠のいのちは、父と共にいましたが、今やわたしたちに現れたものである——

すなわち、わたしたちが見たもの、聞いたものを、あなたがたにも告げ知らせる。
それは、あなたがたも、わたしたちの交わりにあずかるようになるためである。
わたしたちの交わりとは、父ならびに御子イエス・キリストとの交わりのことである。

これを書きおくるのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるためである。

わたしたちがイエスから聞いて、あなたがたに伝えるおとずれは、こうである。
神は光であって、神には少しの暗いところもない。

神と交わりをしていると言いながら、もし、やみの中を歩いているなら、わたしたちは偽っているのであって、真理を行っているのではない。

しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。

もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。

もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。

もし、罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とするのであって、神の言はわたしたちのうちにない。

















全ての人は暗いです。

闇のやり方しか知らないからです。

賢さによって強くなったり上に立ったような気になって、自分が最も偉いと思い込んでいますが、病気にも不運にも死にも勝つことができません。

自分を偉くしても、自分は全く偉くないからです。

イエス様が何よりも偉いとわかった時に、あなたはどうするのでしょうか。

闇は光に勝たないですから、どれだけ力一杯頑張っても、最後には勝てないのです。

人を殺すことは神様が許していないのです。

それを知りつつ人が死ぬように追い込むことは、神様に逆らうことです。

何をやっても良いのではないです。

イエス様が十字架で人の罪の身代わりに死に、蘇ることで救われたのではありません。

救いは終わっているのではありません。

イエス様を愛することで、愛されることが救いです。

では、イエス様を愛していると言えるでしょうか。

愛しているとは言えないのです。

自分のことばかり考えているからです。

自分を第一とすることが暗闇です。

光に背くから闇となります。

罪が無いのではなく、罪が有ると言う人が罪人です。

イエス様は罪人を救いに来ます。