前年のタッグリーグではシルバーペアとして久しぶりにメインにたったり、後半戦に出場することもあった赤城だが、1979年になると途端に引退へのカウントダウン。
当時はデイリーには後半戦しか載らない日ばかりだったのでそんなデイリーに載った数少ない引退までの後半戦出場を追ってみました。
1979年1月26日宇部 セミ
○マキ上田(ロメロ・スペシャル)赤城☓
2月8日鳥羽 セミ前のタッグ(休憩前のタッグの可能性大)
赤城&塙(0-1)池下&フィゲロア
☓赤城(体固め)池下○
2月13日藤岡 セミ前の変則タッグ
赤城&ミミ&ちの(0-1)モンスター・リッパー
☓ちの(体固め)モンスター○
これ以降後半戦、休憩前の締めの試合に出場することはなく前座でミミやちの、堀を相手に戦うことがほとんど。
テレビマッチでもチノサトーとのシングルが一度放送されたきり、その後は田園コロシアムの引退セレモニーまでテレビ登場もなし。
ちなみに同じ日に引退の鋤崎も地元長崎でのモンスターとの変則タッグ2試合以外引退まで後半戦に出場はなく、同じくテレビマッチでは素顔になった鋤崎真澄として横田に敗れた試合が放送されたがそれ以外は同じく第1、2試合が定位置。
半年間もふたりともそんな扱いなんてちょっと可愛そうですよね。
赤城に至っては同じような小柄の小峯がちょこちょこ後半戦で起用されはじめており、やっぱり悔しかったでしょうし、真澄も同期のゴールデン・ペアがなんだかんだレコードだしたり活躍していたので悔しかったんじゃないでしょうか。
赤城も豪快にぶるちゃんねるではお話してましたが、肩たたかれまくっていたのですね、きっと。