海外駐在するということ | ワーママから、駐妻へ。ADHD➕ASDっ子育児日記

ワーママから、駐妻へ。ADHD➕ASDっ子育児日記

行政書士から、夫の仕事の都合で仕事を辞め駐妻という職業へ転職しました。

先日、夫のおばあちゃんが亡くなりました。昭和2年生まれ、96歳でした。


夫が、中国に行く時に、一番懸念していたのが、おばあちゃんが万が一の時に帰ってこれないかも。ということでしたが、現実のことになってしました。


義理の母から電話があり、明日の通夜だけど、子供も小さいし、雪が降るっていうから、帰ってこんでいいよ、と。


私が、そういうわけにはいかんよ、大丈夫。というと、『ダメ、絶対に帰ってきたらいかんよ!』と、強く言われてしまいました。


すぐに夫に電話。『おばあちゃん亡くなったって。お母さんに帰ってくるなと言われたよ。悲しい』と伝えると、夫も、オレが帰れんけん、みんな行けるなら行ってほしい。もちろん、無理はせんでいいけど。


そこからは、スタッドレスのレンタカーを借りて、実家に迷惑かけないように近くの宿をとって…としていると、今度は夫から電話が。


『いま、お父さんと話した。ちゃんとお別れがしたいから、行かせるって伝えたよ。でも、無理はせんでね。お父さんもお母さんも、本当に心配して、そう言ったらしいから』


私は、小さい頃から、お葬式だけは何があっても飛んで行くものだ、と親から言われて育ってきました。ましてや、子供たちからみたら血のつながったひいおばあちゃん。身体のあるおばあちゃんと最後のお別れなのに、来るなとまでいわれると、私は家族じゃないと言われたような気持ちになっていました。


もやもやした気持ちはありましたが、翌日にレンタカーを借り、車を走らせると、雪がどんどん降ってきて、実家に着くとすでに地面は真っ白。


通夜に参列し、帰りにはもう道路が凍っており、一晩明けた葬儀の朝はさらに積もっていました。


私は若い頃、割と雪の深い地域に6.7年すんでいたので、雪道の運転は多少知っていたのも良かったと思います。


無事に最後のお別れをし、改めて思ったのは、あそこまで強くくるな!と言われないと、きっと、ノーマルタイヤで行って、とても怖い思いをしていたと思う。(免許取り立ての頃、ノーマルタイヤで30センチの積雪をつるつる滑りながら運転した頃があるので、ノーマルタイヤの危険性を身を持って体験している)


帰宅後、改めてお父さん、お母さん、夫、無事に帰って、きちんとお別れができたことの感謝を伝えました。


常に笑顔で、常に人のことを褒めて、涙もろくて、優しいおばあちゃん。夫が大好きだったおばあちゃん。夫が最後にお別れができなかったのは残念だけど、私たちが行けてよかった。


私にも、母方の祖母が存命しています。91歳、帰ってくるまで、元気でいてほしいな…