独立
  先月末(S43/7月)を持って水産会社退職、清算整理がほぼ終了。   S43/8/1が私の記念?すべきリスタートの日、 しかし当面の当てが或わけでも無い。  しかし何なのかこの開放感、 夏空の太陽が眩しく心清々しい思いが当時の心情。
 
 矢張り自分には技術関係以外考えられない。社会順応や適応力の限界も知る。 ドイツでのバイト探しの様に訪ね歩く事とした。 長崎は造船の町で水産時代にも度々造船所や鉄工所には出入りしてたが、 以前にも増して敷居は高く、 パス。 何軒か訪ねた中で、 T船舶設計事務所社長から雇われないが請負いならと。
 
  当事務所は若い女性4~5名、 通りの奥まった狭い一室で細々といった印象。 中小造船所相手に漁船構造図、クレーン、ボイラー、炉等手広く手掛けており、長崎では珍しく仕事の所掌範囲は私に取り幸運だった。 尚 長崎では三菱関係で数人の「下請けグループ」は無数にあり、 三菱付近山の手は民家の開け放たれた窓・窓・窓から多くの姿が風景の如く見られたもの、 当時冷房は普及してなかった。 
 
 後年知った事だが、彼らの仕事は専門的に別れ例えば、 基本計画(船型)、船穀(船体構造)、艤装(機関、甲板、内装)、電装(電気設備・機器)等々専門的に特化、 いわゆるツブシ(応用)が利かない。 又、殆んど二次若しくは三次下請けで仲間内の離合集散自然消滅も々。 長崎は工業高校造船科や造船大学も有り人材は豊富。
 
 製図道具一式は手持所有も自宅での仕事に製図板や椅子等揃え準備は万端。 しかし、T設計事務所からの電話を待つ日々、暫らく一向にその気配が無い。 顔を出し伺うも私の力量図りかね逡巡の風、 私も機械設計のみ経験丈に当然。
 
 最初の仕事は田上の山頂付近にあった無線局から。 当時珍しく高価なA0サイズでマイラーフイルムに烏口(カラスグチ)で桝目を描画する作業、暑さで滴る汗にタオル鉢巻、 失敗許され無い。 何しろプロとして初仕事、 事務所の面子も背に感じる。  納品の際、 相手担当者の言葉に安堵、依頼先に相当困ってたらしい。 一丁上り! 
 
 二度目が良く思い浮ばないがデリックの図面と強度計算が次々、クレーンの一種でポストと吊上げ用のブームで構成、能力500kg~2トン程度の吊上げ荷重。 鉄工所や造船所で内製されたケースが多く、控え構造も様々あるが労働基準監督署(当時)係官と荷重検査立会いまで所掌。 殆ど各社自前で造られたが監督署の指導で計算書提出を求められ、云わば救いを求めて依頼のケースが多く立ち位置は監督署サイド。 この仕事は私に取り計算する上で基本的に多種多様なケースに多くの勉強を強いられたが、荷重試験での緊張感は構造部材の軋む音と共に怖さと責任を実感。 技術者として机上計算と現場での実働を目にして、努力の要諦を学ぶ。
 
 造船・船舶設計(船体構造:船穀)のきっかけ !
 T社長や検査官の信頼も次々得られ、長崎県内各地からの仕事に一部光明が。
話はその数ケ月後、いきなり船体設計をする様求められた。 内容はODAでタイの保安庁に納める300トンの灯台敷設船だった。 2機2軸の鋼船で長崎市郊外、林兼造船からの依頼。 尤も佐世保重工からの下請けで、分厚いスペック(仕様書)や参考資料含めトランク一杯程度の量、図面はLine(船型線図)のみ、しかも全て英文なので回されたらしい。 仕事欲しさと若(馬鹿)さが貪欲にも喰らいついた。
 
 数日、独り資料に目を通すがサッパリ。 部屋は2階で手元に電話無く身近に問い質す相手も無い!  聞きようにも用語すら全く解らず正に「群盲象を撫でる」状態。  又 同じ設計でも機械の一品一葉が基本、一方はブロツク全体が図面一枚。   後年、福岡で設計事務所開設直後、新人に線の引き方からの指導に四苦八苦したが、 今尚  無茶苦茶な依頼に驚く、私は仕事領域の拡まりに期待したが、恐らく日本語資料でも同様な苦労を強いられただろう。
 
 昼間 何度も電車バスを乗換え都合半日がかり、造船所を訪れ恥ずかしさ厭わず基本から尋ねたが、そこは技術者同士気持ちよく接して対応頂いたのは救い。  質問内容の稚拙さに大概不安に思われた筈、今思うも恥ずかしさにゾッとする。  自宅での作業だけに24時間フルに使えたのが幸い、時折横たわる自由は助かる。 
 
 図面と共に構造計算書も全て英文が基本、専門用語や慣用句は普通辞書に記載無いのも混乱要因「めくら蛇に怖じず」日を経るほど後悔の念益々募った。
 
 彼此2ケ月余り、四苦八苦の末CAL.Sheet(構造計算書)・Const.Profile(全体構造図)・midship(中央横断面図)・ShellExp.(外板展開図)・BowConst.(船首構造図)・SternConst.(船尾構造図)・以下、甲板・船底・機関室・機関台・甲板室・上部構造・操舵室・アンカーベルマウス(船首アンカー口に覗いてる品)・シャフトブラケット等々都合20数枚。 納めた時点でほぼ造船のイロハ程度は理解出来る様になったと思う。  実質2ケ月以上の作業は、ど素人ゆえ堂々巡りが災いもT社長からお褒めの言葉。
 
 又 林兼造船所の課長以下スタッフ(総員5~60名程度)からは、此れまで多くの設計者を観て来たが、 造船設計すら初めてにも係らず、しかも単独でやり遂げた者は造船界でも恐らく無い事と断言し感心される。 私の仕事は、同社内で内々心配してた気配が伺えた。
T社長異国帰りの私を吹聴し引受けた事を後刻一杯の席で知る。  思い遣りと、一方造船所サイドでは持て余していた案件でもあった。
 
 その後、林兼造船所からは外国に納船クレームのテレックス(1~2M以上の長文)や米国の構造基準A.B.等々翻訳仕事を頂く事に。 博多工高時代のA.V.授業?(授業では無く、棚町ちゃんのボランティア)に感謝。
 
 後年、福岡で外国船設計には独自路線、造船所の中枢部から委ねられ、設計事務所では異例の役割を果たす。 その模様は福岡航研の項で記述の予定。
 
 時を同じくしてセキスイより延伸(熱収縮)フイルム製法特許が認証され金千五百円の特許料、現金書留で届く。 硬貨はご丁寧にもテープで台紙に止められていた。 記念にゴッツイ英語辞書を購入、翻訳には多数の辞書が必要で多様な活用に適宜其れらしい文言を探し解釈を当て嵌める作業、正直な所。
 
 以後 漁船の設計が中心となるが、水産業時代出入りの造船所では私の変わり様にマサカの表情。 くどい様だが私の人生ではこのマサカが常に付き纏う。  其れまで客扱いが、現場と設計の違いと担当部署も違えど仕事を頂く立場に逆転。  時に現場事務所で怒鳴り散らした覚え多く、倒産の事情も皆さん承知の筈。
混乱を生じたのでは、つい数年前の事。
 
 当時 造船業法の改正で新造船建造の造船所は3トン以上のクレーン設置を義務付けられる。各社軒並み対応に追われ、労働監督署担当者のご使命で県内隈なく回る事に。 大概打合せと監督官立会いの試運転に二度は訪れる。 業界では監督署は恐れ多いお役所、そのご指名なので扱いは全社上げての親切過ぎる対応は、監督官並み。 送迎も地域各社で分担持ち回り、特殊技術は立場や主導権をも左右し並の努力以上の可能性を知る。 
 
 ここで、お立寄りの皆さん不可思議に気が付いたお方はおられないだろうか。  建築では建築設計資格、や施工管理技士等々資格や試験の件。  しかし 航空機設計含め造船設計は全て無資格で有り、全世界共通の事情。  しかも人命や資産財産を委ねているにも関らず結果が全て。
 
  何れも、提出資料や実施の試験で実証と整合性は都度吟味される。  これら万一事故に対峙も、検査結果が通行手形で無く監督官庁の責でも無い。  全て製造側責任が問われる、今「製造物責任」が話題だが、とうの昔よりの事。  私が、船舶や航空機に係れる由縁。 
            
 クレーンの話で二話
 その一つが三菱香焼工場。 当時世界最大の百万トンの乾ドツク含み新設されていた。 大きな工場棟が数多く建設、 当然内部に天井走行クレーンが何基も設置。  新期クレーンはメーカーサイドだが、 中に本工場より移設のクレーンも20基余り鋼板組立てボックス構造やトラス構造も有り、明治以来の資料不足の案件も有る、工場の建屋幅一杯のスパン20~30M位だったか。 クレーンは定格荷重に対して静荷重・動荷重・過荷重・水平動荷重・地震荷重屋外の場合、風荷重(60M/秒:当時)の動圧等各係数が積算され、それに安全率1.25倍(定格荷重で数値は異なる)実質定格荷重約5倍程度の負荷を基に計算される。 因みにワイヤーはその6倍の抗張力保持を要求。 エレベーターも同等以上の安全率を課されてる筈、ご安心を。
 
 曲げ応力・せん断応力とそれら合成応力と長スパン(L)の場合撓み量(1/1000・L以下)が制する。 断面係数より断面二次モーメントが主要チェック項目。 それら飛行機設計の過程で主翼の強度計算は高校生以来経験済み、 但し主翼はこれ等に捻り応力、せん断剛性が加味される。 又トラス構造はクレモナ力線図で幾何学的に求める手法で、軸力に負荷される圧縮や引張り力で個々の部材強度を検証。  尚トラスの場合、 各格点に自重を配し各箇所のモーメント総和は0(ゼロ)が基本。
 
 監督検査官立会いの荷重試験は極度の緊張に包まれる。  荷重は過荷重つまり定格の1.25倍の鉄塊かコンクリートブロックが準備され数十人固唾をのみ見つめる。 しかし全体を把握してるのは私ただ一人。 目視検査し各部を検査官と金槌で打音検査して回る。 当然最高部にも昇る事となるが高所恐怖は元々、 足場も監督官の検査対象。 地面と繋がってると怖い不思議な感覚。 
 
  最大負荷の状態で撓み量測定は真下での計測ゆえ、 頭上が気になる。 検査結果は事務所にて関係者一同揃って、チェックリストに従い一部改善点も指導し、大概その場口答で合格を告げられ証書は後日発行。 帰路は検査官と送りの車で同道帰宅するが検査官も人の子、 我々互い顔見合わせホッとする。
 
 クレーン話 
 その二、 当時長崎在住の方なら大抵目にした事がある三菱造船所有の湾内に名物、 象の様な巨大フローティング・クレーン確か定格荷重60トン吊りだった記憶(?)高さも6~70M。 トラス構造で明治か大正時代建造の代物。 現在なら確実に「歴史遺産登録」と思われる。
 
 時は春の連休前、 旧い発電用ボイラーを整備補修の為、 船から陸上岸壁に降ろす際、 見掛け重量を誤り見事鼻先付け根部分で折れ曲がって仕舞った。 私もTVや新聞で事故の模様を目にし、当時長崎では評判の話題となった。 当時私の手になるとは思いもしなかった、 マサカの思い。 数日して労働基準監督署から呼出され、 その解決に協力を頼まれ引受ける事に。
 
 既に前田建一師亡くなられ、 来年福岡で事務所旗揚げの予定で、学生リーダーだった天本君達数名が連休を利用して、 神戸や関東から来る予定だったので正直困った。 折角の来長に自宅で本件計算の最中、連休明けにもと緊急事態に三菱からの要請強く徹夜の作業。 彼等には申し訳無い事になって仕舞った。
 
 戻るが、 変形なトラス構造なる物は初めての経験。 業務の場合大概書物が私の先生代わり、 即本屋や図書館に駆け込むのが私流。 定型の天井走行クレーンは参考例多く比較的簡単。  しかし今回は困った、幸い造船大学の学生がアルバイトでT事務所に居た、 建築科の誰か紹介をお願いする事に。  早速翌晩女学生が現れ、流石建築の学生クレモナは建築や構築物(タワー等)の分野で活用。 タップリ3時間要領の指導を受け、 結果連休明けには完了。  晴れて対岸から象のフローティング・クレーンが景色に溶け威風堂々姿を眺める。   その後如何なる経緯で何時ころ姿を消したのか、 知りたい。