夢に燃え数年がかりの準備と貯金、 図らずも帰国の止む無きに悔しく再度渡航を目指す。
観光ビザでの労働許可は各地で試みるも頑固に拒否され、闇の就労は周辺部では目立ち困難。
シュライハーとシャイベ社は受入れを承知頂くものの、同理由で壁に突き当たった。 
シャイベのデービッドスティーブンソンからミュヘン大学へ聴講生を勧められ、英文の卒業証書(ディプロマ)を福本先生宛てお願いも返事なく(後年、依頼されるも前例、例文無く断念らしい)。 再度書類整え(ビジネスパスポートと就労ビザ取得)伺うと約束したが、再度の資金調達が問題。
 
 愈々帰国のウイーンの駅、モスクワ行き国際列車。 駅構内人は少なく夜10時出発の予定、荷物一切を抱え改札へと急いでいた時。 目の前に眼鏡をかけチョビ髭の中年日本男性が呆然と立ち、聞けばチケットを友人宅に忘れて来たらしい。 友人に連絡取れないのか出発1時間は切っている最早遺憾とも、大変ですねとかで先を急ぎ手続き済ませ一応乗車。 当該車両に乗客は私ただ一人、例のコンパートメントだがソファーベッド前後に対面式の二人部屋。 数時間後の深夜チェコスロバキア入国、又煩わしい国境越えの手続きは迷惑千万だが諦めるしかない。 しかし程な く妙齢のスラリとした美人が合席となった、不思議にも男女別がこれまでの経験。翌日も一日彼女と二人っきり、一昨年東京オリンピック体操で活躍のチャスラフスカの印象まだ新しい。
 
 しかし彼女はチェコとロシア語だけ、身振り手振りの会話は互いに思いの半分も伝わらないが日本人女性の様なやさしい感情には好感、モスクワ大学の留学生で帰省後再び向かっているらしい。 何をどう過ごしたか小さなリンゴを頂き齧った以外、勿体無くも記憶が薄い。
 
 翌夜ロシア国境で例の台車交換と手続きに数時間覚悟の時、突然駅内に来るよう呼出される。 何事かと事務所に出向くと例の中年男性が居た、ウイーンで取合えず本列車の料金だけ支払い乗車したらしい。 言葉が通じず私を思い出し応援を頼んでの事。 当然日本迄の旅費経費は一括支払い済み、名簿や手続き全て挙がってるのが共産圏、国境だけにドイツ語は通じた。 約2時間余り、官僚体質の係官数人と喧嘩ごしの談判、相手は数回何処か電話連絡を取りながら私も必死の交渉。 
結果、翌日モスクワ駅で代金返済の結論に到る、彼の喜び安堵の表情今も浮ぶ。
 
 勝利気分で彼のコンパートメントに連れられる、同室はロシア人の陽気な若者。
若者持参のウオッカ60度をボトルごとラッパ回し呑み数本、先程の出来事を言葉通じずとも一件落着も手伝い酒宴が始まった。 60度は最早純粋アルコール、ピクルスを齧りその液もゴクリと飲みながら。 彼(A氏)は宮崎大学の助教授でイタリアにオペラ観劇を目的に行った帰途との事。 酔う程に高音でその時の感動、感情豊かに歌曲を車中響かんばかり歌い且つ呑む。 幸い車両はこの一部屋のみ貸切状態は同様いつ寝たのかサッパリ覚えなく、しかし早朝モスクワ到着。 不思議と二日酔いも無くスッキリは不思議、良質のウオッカだったのだろう。
 
 昨夜国境駅の際事務所まで付いて来てくれた彼女、寒いからと引上げさせ其の侭に、荷物を取るべく部屋に戻ったが既に降りていた。 暖房効かず寒く再々車掌責めるもラチが明かず、彼女どう過ごしていたのか気にかかった別れ。
 
 今回は古色蒼然「メトロポールホテル」ツアー(皇帝)の時代を彷彿させる豪華で華美な総大理石造り、最高クラスのホテル。 国立グム百貨店の裏手か(G.MAP確認記憶確かだった)街の中心部に位置。 早々レストランで朝食は既に懐かしいボルシチに黒パンとリンゴジャムの入った紅茶で旅と呑み疲れを癒す。 ロシアのホテル全て各階エレベーターホールに監視と思しきデップリ肥えたオバチャン愛想無く24時間出入りをチェック。 部屋に戻る際そこにか細き日本女性が困惑の態、聞くとご主人が体調崩し部屋で難渋してるらしい、招じられ行くと腹痛、引返し例のオバチャンに薬を所望、部屋の水道水を飲んでの事。 ヤバイは私も翌日油断しウッカリ飲んで同様な腹痛と下痢、しかし自然治癒に委ねた何を飲まされるやら
 
 ご夫婦はパリで日本人経営の寿司職人として3年振り、四国・松山に帰るとの事。
あのパリで数年間定住は尊敬する、しかも言葉は日本語のみ、どの様な生活だったのか聞き漏らしたが、思い出すにゾッ。 昨夜の列車と二度人様のお役に立てた。
 
 昼間グム百貨店や赤の広場を散歩がてら、外気は-30℃各所に看板並みの温度計が-50℃近くまでの表示、所変われば。 ホテルの二重ドアを出た瞬間、ガチーン額を殴られた様なショック、頬も硬張り鼻毛はガリガリ音を立てる。 積雪は無く青空太陽の光を受けてるが空気がチカチカ光っている、聞くとスノーダストらしい光が漂う如く。 ミュヘンの寒さとは格段の違い着衣は不充分、早々に引上げた。
 
 モスクワからの機中、ハバロフスクからの車中、ナホトカから客船「バイカル」号で
都合4~5日間一段と華やかで賑やかなグループと同道。 劇団「民芸」30名程度の内10名程か女優含めた一団、数人テレビで見馴れた顔も、事件記者の滝田裕介、大滝秀治、高田敏江(共に後年知る)他、以後度々TVで見かけ思い出す。
 
 船中、食事は毎回高橋征男さんと相席、比較的無口で真面目一方に伺え俳優の片鱗薄く(失礼)。 後年長崎の民芸公演で再会。 原爆をテーマの演劇、同一人物とは思えぬくらいの迫力、彼の出番に客席の反応一段と湧く、矢張り役者だった。
終演後、片付けを手伝うが先程の女優さん達も作業姿で専用トラック積込は驚き。  
附近の寿司屋で会食、数年の空白を埋めたもの。 現在劇団活動の中、作・演出家としてご活躍の様子、当時の直向な性格は今尚の感。(今回調査で消息判明)
 

 翌々早朝、房総半島を交わし東京湾入り口に差掛ると、真正面に富士山がポッカリ野に1点聳えるが如き見事な景色、まるで浮世絵の様な景色に驚嘆、今も瞼に。 

 
    次回 ※① 帰国後 長崎