花の都パリ 私にとり全くの外国、言葉の通じない不遇は滞在中全てが不自由。  

 

インスブルックで知合ったチャン君の声かけで一度はと訪れたのだが、ベルギーのブリュッセルで一泊例の「小便小僧」の像を見た程度で余り印象は無い。 ただ街を過ぎた辺りからフランス語に変わりなんとも、英語ドイツ語共に全く通じず、ドライバーや道行く人全てノン。 聞くには心地よいフランス語が鼻母音や半母音を発する事が出来ず、齧った程度の語学、役に立たず脳が路頭に迷うが如く。 何処をどう辿ったのか取り合えず彷徨った挙句パリ・ソルボンヌ付近彼の元に行き着いた。 

 
 パリで馴染みの古いアパート3階の一室、窓の景色は古色蒼然なアパート群。 彼の母は日本人でベトナム人父とのハーフである事を始めて伝えられた。 インスブルックでは詳しい話はしていなかったが確かに日本人らしい雰囲気もある。
歓待の積もりか童謡のレコード「さくら」をかけてくれ少しセンチな気分に浸った。
ソルボンヌ大学に留学中、同じベトナムの友人とルームシェアしており、そこに数日厄介になった。 フランス語は流暢だが英語は私以上にたどたどしいが、意思疎通は有難い。 夜近くのベトナム料理の食堂でベトナム食を振舞われ、しかしニョクマムの生臭い味と匂いはチョット馴染めなかった記憶、彼精一杯の持て成しだった。
 
 翌日メトロ(地下鉄)でセーヌ川沿いのルーブル美術館、元々要塞として建設されたらしく広大な敷地と建物に圧倒される。 とても一日では、教科書で見慣れた絵に
目が行くが、それ以上に素晴らしい芸術作品の数々は凄いの一言。 ミロのビーナスは廊下か通路にポツン、ミレーの落穂拾い等も壁にただ掛けての展示(今は知らぬが)手で触れられる、尤も監視員の眼が光っている。 床にしゃがんで画学生か模写に励んでいた。 数年前、京都の美術館で3時間余り並んだ挙句トコロテンの如く押されながら見たのと全くの違い、正に一人独占してジックリには拍子抜け。 
 
 引き返す付近にノートルダム寺院、デカイ! 建築物は全て石造りだがよくぞ、とだけの印象。 ルーブル→コンコルド広場→シャンゼリゼ通り→凱旋門が一直線に連なっており、シャンゼリゼのオープンカフェで一服とコーヒータイム。 このコーヒーが途轍もなく苦い? 砂糖やミルクを加えても飲めたものでは無く其れっきり、ただ道行く人や景色を眺め雰囲気を味わう。 思い返すと朝から一言も喋ってない、疎外感にふと吾に返るが、どうにも言葉が解らない喋れない正に異国を痛感。 
 
 凱旋門からエッフェル塔へ、ルーブルからの徒歩行は聊か疲れたが、エレベーターで展望台に昇る、4本脚の一脚にあり斜めに添った走行、昇降は面白い。 
吹きさらしの展望台からはパリはおろか、かなり遠くまで見通せ、又今朝からの道のりを辿るが如く眼下を見下ろす。 東京タワーのガラス越しと違い臨場感は別格。
ニューヨークのエンパイアステートビル最上階でも金網越しの同様な体験。
 
 まだモンマルトルの丘やベルサイユ宮殿にも行きたいが、案内が読めない、尋ねるにも英語が通じない、私だけの経験か。 従ってチャン君の案内は夕刻か夜が頼りに、 附近の散歩がてら見物が強く記憶に。 帰国し3年後、長崎の県展で50号の油絵が入選、題名は「ソルボンヌ散策」恐らく留学の徒と勘違いでは、絵仲間7人全員落選。 風景だけは脳裏に深く刻まれたのだろう、パテ塗りで雰囲気は出ていた。
 
 展示は長崎県立美術館、天主堂の絵専門で長崎では重鎮の中山清三郎画伯と隣り合わせ。折りよく氏と対面、頑張って下さいと励まされたが。 以来一作も描いてない画けない。 前年、夜間簿記学校同級の女性、マサカ?との視線を背に感じた
 
 パリからリヨン、マルセイユを回りスイスのジュネーブ、だが当地もフランス語チューリッヒ手前辺りかドイツ語圏に漸くほっとする。 日本から大勢が押しかけてるが、私は二度と・・・。 ただフランスパン(ナゲット)は固いが100%美味い、老人はスープに浸して食している。 フランス料理なる物一度たりとも、しかし町外れの食堂らしき所の料理とスープやサラダは絶品。素朴なドイツと違い真のフランス料理と解釈。
 
  語学力無くしての一人旅、左様にも不便をつくづく味合わされコリゴリのフランス。
今では、せめて日本語か英語の地図を持参しておけばと悔やまれる。
 
           開放的な街中に魅せられて・・・