この数日年末の雑事に追われると共にP.C.診断の結果、ハードはO.K.だがシステムが壊れている。 OSの再インストール必要あり、 OSとマザーボートの両方のCDが必要だが、マサカと思うがMBのCDが見当らない。 P.C.ショップでは2週間待ち、新規買換えも視野に思案する。 居間の本機を6月に買ったばかり、年明けでも再考し越年覚悟が・・・後述の如くに。
もう一つ、 28日深夜RKB特番で「飛べやオガチ」の再放送を以前紹介していたが、当日の番組欄にも無い? 果たして放送は無かった。今月始めから何度となくテロッブで宣伝されていたが今もって理由不明、期待された方に申し訳無くゴメンナサイ。
ゾーリンゲン
この5~6日間、PCトラブルでかなり時間を巻き戻す必要に脳内もフリーズ気味。
まずはハノーバーで国際列車を降りた時点から独自行動。 当り前だがこれまでは、お客さん扱い時々刻々を楽しめれば良かったが、 これからは自由と不自由の両方とも抱えねばならない、 新めて彼の地を踏み緊張感を憶えると共に漲る。
これからの旅は基本ヒッチハイクと宿泊はユースホステル。 予め日本で国際登録した手帳を持参。 ヒッチハイクは同行の丸山さんからのアドバイスで前年春の連休、明石から3泊4日で伊豆半島一周羽田と往復、当時就航したばかりの最新鋭B727旅客機(ジェット三発のT尾翼)をターミナルビル屋上から眺めた・・を経験済み。

写真 ヒッチハイクで伊豆半島一周の際 「潮吹岩」。 S39/5(1964)
当時流行のカニ族、黄色のリュックに寝袋・テント姿はドイツでも同様。
当時から西ドイツはアウトバーン(自動車専用高速道路)がかなり網羅され無料! しかも速度制限が無い!! ある時ベンツで170km/h走行中脇をビューッと追い越され瞬く間に消え去った、 ドライバー曰くヤグワ、ヤグワと呟いている、 260km/hは出ているらしいジャガー・スポーツカーの事。 乗用車はほぼ170平均で走行、 たまに140km/hの車もあるが少数。市内でも90km/h位いで走っている、ドイツ人ドライバーは殆んど皮手袋を装着。日本では前年か名神高速道路が開通したばかりの時代。
アウトバーンとフォルクスワーゲン(国民車)はヒトラーの遺物、生活道路として又、車社会の浸透の状態は、当時日本と同じく戦後20年にも拘らず凄い。
旅の始まりはハノーバーのインターチェンジ入口から、 ゾーリンゲンを目指し早朝だが早々にヒッチハイクは若いカップルに拾われた。 朝日に映え緑豊かな自然や街並み。 整然とした道路や並木、 小奇麗な家々まるで「おとぎの国」だ。 前回⑰記述の如くで、 丸山さんとスタート。
現在12/30午前1時、昨日結局PCを買ってしまった。 昼間は日常の些事で途切れ頭もチョチョ切れ作業が捗らない事に我慢ならなかった。 OSは変らずW7(3台目)自分流にセッティング、無線LANや辞書登録に昨夜11時頃より嵌っている。 6~7割り方済み、今後は成り行きで随時追加作業に委ねる。
アウトバーンに差し掛かった時点で周囲の景色は一変、美しい光景に覚えたてのドイツ語でシェーン! (美しい)すると前のカップルが思わず顔を見合わせ笑ってる。どうも彼女の事と勘違いしてる様だが、それなりに美人だったが誤解もアリかな?!
何度か乗継ぎゾーリンゲンのシュタッヘ家に辿り着いた。 丸山さんの知合いの知り合い本当に薄いご縁なのだが三男エドガーとムッター(お母さん)に迎えられ2週間ばかりお世話になる事に。 次男フリードヘルムの部屋を当てがわれた、彼は26~7歳でケルン大学在学中で寄宿生活。 エドガー19歳で仕事に就いているが滞在中、ワーゲンで近在のあちこちへドライブは夫々に興味を起こされた。
長男(入り婿?)の家庭にも案内され、義父は自宅脇の仕事場で刃物生産、見慣れた鍛冶屋さん風。ゾーリンゲンは刃物の産地として世界ブランドだが、中小の工場が散在している程度、 これら家内工業で支えられているのだろうか。
近在、商業の街デュッセルドルフやケルンの大聖堂等々。 ラムシャイドの滑空場では波打つ滑走路?最初に見た奇異な光景。 飛行機曳航のグライダーが交互に見え隠れには驚いた、滑走路は舗装された滑走路しか知らなかっただけに。
しかし各地で似た様な風景は数々目にする、 最近話題の普天間基地も同様。
同じくハング型の市内モノレールが両岸から架けられたトラスブリツヂにぶら下る様に走っている、 殆んど川面を辿るが如き路線に用地買収の手間を省いたドイツ流の合理性を垣間見た。
私見乍ら一般にヨーロツパで風呂に入る習慣は無いのか、バスタブは何時も洗濯物が浸かっておりシャワーが一般的か、確かに夏から真冬にかけ滞在したが汗を掻く事は殆ど無かった様に思う。 空気が乾燥しているせいか不自由しなかった。
公営プールのシャワーでは湯上りの如くに石鹸で体を洗っていた風呂代わりか。又、女性は見た所目鼻がハッキリ美人顔だが近くで見ると産毛が茫々、剃ると如何わしい商売女と間違えられるとか、 従って一様に化粧は粉が吹いている感じ。
確証は無く風聞の程度でしか無いが。
シュタッヘ家では、朝は黒パンにバターを塗りコーヒー。 昼はソーセージにマスタード、蒸かしたジャガイモ(これが美味い、何処でも)、キャベツの漬物(ザワークラウト)、他にもう一品で一番のご馳走。 夕食は黒パン・バターにチーズと紅茶、これが一般家庭の食事。 ユースホステル(ユーゲントヘルベルゲ)でも似た様なメニュー、朝夕は比較的質素で昼食が日本での夕食に値するのか、所変ればのひとつ。
シュタッヘ家のムッター(名前は聞いてなかった?)にはお世話になりっ放し、思い出すも若気か今も冷や汗、フリードヘルムには帰省の折、懐かしさにデュッセルドルフ郊外のセキスイの工場(塩ビパイプを生産)に連れて行って頂いたのを思出す。
ドイツ語
滞在中フォルクスシューレ(小学校)で夜間外国人相手のドイツ語教室、世界各国から来ている人達と1週間程度か習う、 フリードヘルムからも英語辞書片手に数回(彼は卒業後高校教師とは後年再訪の丸山さんからの伝聞)。
ドイツ語は英語・フランス語と共に、セキスイ寮時分、須藤さんと共に励んだが、不肖私めには付け焼刃。 故に一苦労! ラテン系そのものが複雑怪奇、例えば名詞には男性、女性に中性名詞?又夫々に冠詞が複雑に変化、最早実践で覚えるしか。
恥を承知で言えば英語の何と平易で整列された言語かが理解できる。 序でに
日本語も助詞・助動詞の変化やオマケに漢字、よそ様の国の人々に気の毒な事。
ユースホステル
日常会話も覚束ない侭、目的の航空関係を訪ねる為ゾーリンゲンを出発。
丸山さんともここで別れ愈々一人旅、 宿はユースホステル泊の予定だが幸いあらゆる街や場所に存在、ヨーロッパ各地はもとより世界から若者が離合集散の場。
目的は様々だが各地の情報交換、又国際交流の雰囲気は友人知己つくりの場
として最大限活用したもの。 ドイツ国内はもとよりパリやウイーン、ロッテルダムを旅したのも彼らのお陰。 遠くアフリカ、フィリピン、スペイン、イタリア、アメリカ、イスラエル、南米の人達とも住所交換、再会を約したがほぼ世界一周は可能な位い出会いの所だった。 日本人とは殆ど会わなかった、最も前年解禁されたばかり。
面白い事に発展途上国出身者ほどエリート若しくはインテリジェンスやマナー等優れものが多かった傾向。 知人情報だがアフリカ某国では王様待遇の扱いに並外れた生活が送られたらしい。
場所や建物は夫々だが、ハイデルベルグ等、古城が其の侭使用されている宿も。
古城は小高い丘上に有り、辿るにはしんどかったが周辺が見渡せる景色は、遥かな歴史と共に旅気分を満喫、食事付きで2~3マルク(当時2~3百円)は有難かった。
インスブルック(オーストリア)は数年前「冬季オリンピック」が開催され、トニーザイラーの活躍は俳優としても鰐淵晴子共演の映画にもなった(見てないが看板で)所。
そこは自炊が出来る宿、瞬時に仲間で互いの料理を振舞う事になりインターナショナルクッキング。 ミュンヘンのベンツ(弁護士見習い)、チャン(パリ在住のベトナム留学生)、ベンドバスチン(徴兵前の休暇中、後ドイツ空軍入隊帰国後絵葉書が届く)と友人等々7~8人正に国籍不明の鍋パーティーの賑わいに。 特に3人とはその後彼らを訪ね滞欧中何度か交誼し名前も忘れがたい。 街はアルプスそのもの2千m級の山並みが眼前に迫るが如く、空は暗い位いの青さと夜の星空は別世界。
山裾の牧草地に立つと放牛のカウベル(鐘)が谷間にこだまし夢の様な時空間。
アルプスのハイジ?か、 画面と違い周囲360度回りは緑豊かな自然と匂う空気感。
しかしウッカリすると○○を踏ん付けたり、腰にヒンヤリを味わう事になる。
ミュンヘン~