西ドイツには5年程滞在し航空関係の設計や現場体験、 事業の状況把握と生活。あわよくば就職し滞在を、 残念乍ら前年かEEC(当時:現EC)域外者に規制を知る。
アルバイト・パーミツション(労働許可)が取れず各社訪問の旅が、いきなり高いハードルに。
 
 予め訪問先は洋誌から目途、主だった各社は突然の若者訪問にも、社長や設計者
自身が工場内隈なく説明と見学を許可、量産中の最新機や開発中の機体も数々。
実は、九大・佐藤博教授(戦前九大航空科創設の為ベルリン大学留学)は上層部知己多く、 教授は前田建一師と戦前より共にグライダーの創生紀を築き、 機体検査官として師と自宅に数度訪ね航空局提出資料の打合せに同道してた顔見知り。 
プロフェッサー「サトウ」、「マエダ」の名は各社相応の対応と手厚くが有難かった。
 
 後年、 ㈲福岡航研でA.C.M.(アドバンスド・コンポジット・マテリアル : 先進複合材料)製軽飛行機試作開発で荷重試験に佐藤先生立会った際、 主翼構造がスパー(桁)のみでスッポンポンの中を覗き、もう私らの時代じゃゴザッせんと賛辞を頂き更に破壊試験を勧められ実施。 世界一周無着陸機「ボエジャー」に一週間遅れのロールアウト。

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              ACM(カーボン・ケブラー)製 軽飛行機 α-1
             S60~62(1985~87) 開発~1987/1/6 初飛行
B12.4m  L6.2m  H2.1m W240kg  We145kg  E38ps  Vmax102km/h  Vmin44km/h 
 機体構造重量 75kg   機体全構造ACM製は今尚世界最新鋭 ?
 
 西ドイツ、グライダー(フルークツォイク・バウ)各社訪問                          
    最初に訪れたのは、アウトバーン、シュテュットガルトから東に入った「シェンプヒルス(ト)」社 木造の工場で門や塀等は無く道路からも作業風景は覗ける、 各社同様な光景は今も浮ぶ。 訪問の趣旨を告げると社長直々のお出ましに思わず緊張、 細面の英国紳士然のスーツ姿。 断っとくが挨拶程度はドイツ語だが殆んど英語で通した。 当地では高校程度の人達は大概通ずる、フランス語もかなりなもの。 一般的な印象に過ぎないが、英語圏以外の人が話す英語が私の耳に通じ解り易い。 
 
 社長は私の来訪にいきなり日本との係りでプロフェッサー・サトウの名が、 一瞬驚いた。  佐藤先生はお会いするも二歩も三歩もの距離で拝む様な存在だから。
社長直々の案内で主翼、尾翼、胴体等の木工の作業現場は整然と並び、思わず頬ずりしたくなる様な温もりを感じたもの。 目の前にズラッーと本物の光景が、しかも作業員達の手で手際よく次々と形が露わに成り行く工程が不思議に思えた。
私の経験からは想像を越えた世界、 正に世界へ輸出は7割を越えるとか。 
機体の型式は忘れたが、 木製羽布張り単座丸胴体・単座のソアラー「スタンダード」クラス機(主翼幅15m)。  当時 最もポピュラーなクラス。
 
 日本との違いは接着剤と材がスプルース、片やカゼイン(牛乳由来成分)とヒノ木。
特にカゼイン(粉)は水の溶き具合でダゴ(だんご状)に為り易く、且つ圧着(5kg/c㎡以上)は段取りと時間に追われる、つまり生産性とてもでは無い。 一方目の前ではゴムバンドやベルト様のもので〆る程度。 主要構造部材の接着現場でもいとも簡単に。  接着剤はコゲ茶色のアラルダイト(エポキシ系樹脂)だった。 
 
 しかも接着剤をパテ代わり仕上面に塗りつけ水ペーパーで磨きを、恰も鏡面の如く。
いきなり目からウロコ。 胴体はベニアをくり抜いた(糸鋸で)スパント(断面形状を形造る)外縁に接着剤を塗り付け、外板ベニアを被せ自転車チューブで締め付ける。
しかも、 胴体をダクトとして温風を送って乾燥をしており、 彼らの合理性はその後
も至る所で目にし味わう事となる。  しかし製品は精細・精密さは行届いていた。 
 
 現実、 日本の当局(当時運輸省航空局)での許認可がチラつく、 後年実務で度々
出入りし応分の成果を挙げたが。 当時 師の話で航空再開直後か横浜在のS(?)さんが木製複座機を、当時発売され始めたたボンドで接着、完成したが不許可に。
尤も製作に当っては予め設計図書や使用材料等は申請の筈、 戦後のドサクサか。
 
 その後も各社現場を見る度に、日本では果しての現実問題が頭を翳める。
 
 ドイツ人は一般日本人と違いごっついオツサン、 農家の朴訥なお百姓さん風。
あの姿態で、スマートで流れる様な流線型、洗練され精緻を尽くされたグライダー。
を, 始めワーゲンやポルシェ、ベンツ等工業製品の数々は、 今もって不可思議。
 
      秘密の最新鋭機、開発現場、 飛翔のメッカ、ワッサークッペ