国内留学 大阪高等技術研修所
 仕事や会社にも次第に馴れた2年目、 会社から大阪高等技術研修所の入所試験の受験を勧められた。 関西の有力企業で設立の人材を再教育の研修所らしい。
セキスイでは各工場(7工場:泉尾・旭・京都・奈良・尼崎・水口・栗東)より1名ずつ割当受験。 無論異論有ろう筈も無く受験、 結局旭工場の人と計2人が受講した。
 
 同所は週一の講義で、6時~9時迄、夜学だが交通費+残業手当が有難かった。
講義は設計製図・機械工学・応用力学・構造力学・数学・物理等々で講師陣は、
製図・日立造船の部長(機械設計図法 著者)以外、主に阪大の教授陣がほぼ。 何れも各教授自身の著書が教材、 著者直々の講義だけに中味も濃く行間の説明もかなり具体的かつ詳細に為され、所謂顔が見える講義にクラス50名位い真剣さは並々ならぬ雰囲気だった。
 
 又、勉強や試験に追われる事となったが成績は会社に報告される、 怖い! 
お蔭で短大か同程度の専門課程を得たのは、 漢方薬の如くその後各分野の
知識や資料の理解・読解に身に付ける事となり、私の血肉となった。
 
  本社で英語会話講習
 その翌年、 本社で英会話教室が実施され、社内で公募、 各工場1名枠。 
無論真っ先に手を挙げ本社で米教師から口述試験、 教師の話を聞き書き。
教材は「American Spoken  Engrish」を元に、米教師は来日早々らしく日本語は一切
話せず全てが米語でリピートプリーズに慄きながらの時間、クイーンズイングリッシュと違い、 米語独特の巻き舌と速さには参った記憶が。 後生も米語には梃子摺る。 だが外人さんと直接接する機会を得たのは貴重な体験、 接する勇気を得た。
 
 又 一人一際優れ者がいた、奈良工場からの丸山さん1年先輩だが語学は抜きん出ておりクラスでも一目、 クラス7~8人世代がマチマチだが彼(失礼)とはウマが会い 
散会後、 梅田で彼の趣味「ジャズ喫茶」店でモダンジャズ浸りが毎度となる。
時に外人さん相手に会話も、私は相槌程度だがヒアリングに、彼は語学力と話題豊富で顔馴染みも数人、私も梅田に出た際立寄ったり、以後積極的に会話を試みた。
 
 当時、寮で英字新聞(The mainichi Daily News)を購読、 御堂筋の毎日新聞本社月一、 外国映画「ローマの休日」シナリオを元に解説と英語解釈の仕方、思考の違い等を織り交ぜ解説講義。 会話で聞き漏らした場合「I beg your pardon」アイベツグ 
ユアーパードンと言うべき所、 思いっきり「パーン」と言えば通ずるとか、 面白可笑しく。 
 
 講師は、 アポロ11号月面着陸の際同時通訳(男性)の方では、声・英語訛りの日本語、話すペース共に聞き覚えあり。 英語の直訳が極めて差異しニュアンスは伝わり難く、 TVや映画での会話は字幕とかなり異なつてる、伝わってくるは不思議、手品か。
 
 寮に同居人が入室、 大柄だが比較的寡黙なご仁。 何処の出身? 彼東京です。
ふ~ん、で東京の何処、東大です、 オエーッ!  工場でも4~5人在籍してるが、
何れも尊敬の念で見ている、何れも文系。 理系出身、ボートをしていたとの事。
毎食後ひと眠りして、枕元で辞書を開いて只管黙々とドイツ語を勉強中。 
 
 ドイツ語と会話
 門前の小僧は私流、 早速 独、仏語辞書を買求め朝晩寮の図書室でTVの英語会話とドイツ語を共にする。 須藤(3歳年長)さんは1軸延伸の開発で野口ポリマー研究所に通い開発と研究。 のちタフヤーン(1軸で荷造ロープ等)として商品化。 私はエスハンエース(2軸延伸フイルム)に没頭してた時。 共に延伸開発業務は偶然か? 互いに社内ではライン外の異質な存在だが果たして総務の計らいなのか、 有難い同居(室)人。
体格を見込みバスケツト部に無理やり引込み、先述の様に同じく試合を楽しんだ。
 
 後日談、 私は退職しドイツへ、出発の横浜では見送りして戴き、大切な辞書は餞別に今も手元に。 又前日には全日本ボート選手権でスカル(二人乗り)で優勝を帰国後知らされたが。 彼も触発されたかは不明だが、同じくカナダへ行く事に、皮肉にも目的地を交した如く。 後年、須藤さん日本ボートのオリンピック監督、活躍を知る。
 
       博工高時代隣席の彼、常時英単語辞書を後ろポケットに、お陰で感化され私目も・・・