朝忘れもしない空港前6:44分or7:07分発の西鉄バスで二又瀬、吉塚経由博多駅バスセンター迄、駅からは西鉄市内電車で呉服町、東中洲、天神、赤坂門そして下ノ橋停留所下車、潮見櫓をくぐり学校へ。
 
当時バスはボンネット式で1時間に1~2本しかなく毎朝超満員、若い女性車掌は乗降口にブラ下がり。  電車も満員は同様だが、 博多工高生は早めなのか比較的少なく、福岡女子高、九州女子高、筑紫女学園等の女子高生が大半、ヒソヒソ話が自分への冷やかしではと過剰に意識、 同時にホンノリ憧れた通学時間。 揃いのセーラー服姿は眩しく、 視線は自然と車窓へ。 呉服町角に博多大丸、手前に博多帝国ホテル、川端・寿通り商店街左右に東西那珂川を挟み東中洲、当時無縁の飲み屋街、私には映画館が集中し特大看板は「ローマの休日」「石原裕次郎」物等当時流行の映画を見た気持ちにさせてくれた。
 
那珂川を渡り左側に教育委員会・旧福岡県庁、何れも明治・大正期の息吹を感じさせてくれる重厚さ、勤務評定反対闘争や三池闘争時は赤旗が林立、社会党知事が門前で組合員に向け手を振ってたは違和感を憶えた。 天神角は岩田屋と向かいに「天神ビル」の工事、 建設は屋上部分が下から数日を経ない内に上層階へと昇りつめ(建ち上る)ながら順次下層階が現れる、 最新の技術にワクワクしながらほぼ全工期、完成まで眺められたのは技術屋を目指す私に感動を。 当時チョコ色の壁タイルは、市の中心部が暗い雰囲気にと新聞やTVで物議に。 その後天神の顔になったのは、当時のデザインセンスに座布団! 因みに卒業アルバム編集委員を務め、 同ビル写真は当時市の原風景として巻頭を飾る。
 
 天神を過ぎ大名手前右は漆喰の塀と門の母里(ボリ)太兵衛屋敷跡、 先の左手現西鉄グランドホテルは当時2階建て黄色モルタル木造の西鉄本社、 赤坂門を過ぎ上ノ橋左手は平和台球場、 余談乍ら当時西鉄ライオンズ全盛期、長嶋・王巨人と日本シリーズ、 大歓声は授業中教室にも聞こえてた、記憶の人も多い筈。 同級の西脇君から貰った鉱石ラジオのイヤホンをコッソリ耳にあて聴いたもの。 書き連ねる内に脳裏に往時の町並みや情景が次々と浮かぶが、 不思議と白黒写真並の記憶、 当時の心情か世相か、はたまた後の刷り込みか。
 
 写真アップしたいが著作権もあり御参考までに下記URLで参照願いたい。
 ①古写真に見る昭和の福岡
        https://www.asocie.jp/archives/fukuoka/p-fuku/index2.html
 ➁博多駅今昔物語  http://ameblo.jp/64thkoshien/entry-12056260998.html
 ③戦前の絵葉書 福岡(博多)
        http://nekonote.jp/jp/old/postcard/fukuoka/index.html
      他にも沢山有り、流石に博多は歴史に富んでいる。
 
 次回、  ⑤ 飛行機への夢 
          目 次    技術屋の回顧譚